三、すずなりの神

 店を出ると、空は夕陽で染まっていた。

 石室にあった無数の傷の色を思い出して最悪な気分になる。


 雁金は紺の鞄を背負いながら言った。

「これからどうするの?」

 切間が苦々しく答える。

「調査を続ける」

「そう……じゃあ、橋の向こう側に行ってみな」

「向こうに何が?」

 雁金は首を振って答えなかった。


 俺は思わず口走った。

「なあ、何とかしてくれって言わねえの」

 切間と雁金が同時に怪訝な目を向けた。

「鈴の音に悩まされてんだろ」

 あの橋で蹲っていた奴の姿は、まるで自分を見てるようだった。存在しないはずものに苛まれる理不尽さはよくわかる。


「別にいいよ。私らの先祖がやったこと、祟られて当然だし」

「でも、お前がやった訳じゃねえだろ」

 雁金は少し面食らったような顔をしてから鼻で笑った。

「無職なのに優しいんだ。頑張ってね」


 奴は言い残し、橋を大きく迂回して去った。

「無職は関係ねえだろ……」


 くっと喉を鳴らす音がして、切間のなめし革みたいに真っ黒な顔に笑窪が浮かんでいた。こいつ、笑うのか。

「何だよ」

「やっと対策本部らしくなったな」

 切間は俺の背中をぶっ叩いた。

 トラックに追突されたような衝撃だった。



 俺たちは夜更けに河川敷に戻った。

 川は黒い大蛇のように静かに波打っている。

 赤い橋は通行人が途絶えた夜も煌々と照らされ、地獄の門を想像させた。


 橋を渡るのは嫌だったが、他に道もない。

 全時代の風景を残す村に不似合いなほど強固な橋は、一歩進むたび硬い感触が足の裏を押し返した。


「これからどうすんだよ」

 俺は鈴を掻き消すためにデカい声を出す。

「うるせえよ。気づかれたらどうする」

 橋を渡り切って、切間はペンライトを取り出した。


「神は信仰が作るもんだ。おためごかしだろうが、あの伝説で人柱の娘は神と同一視された。それでこの地に縛られてるんだろ」

「じゃあ、娘を解放するってのか? どうやって?」

 切間は口を噤んだ。



 橋の向こうはデカい土手になっていた。たぶん橋ができる前の堤防代わりだったんだろう。土壁は闇と溶け合って境も曖昧だ。

 虫の声に混じって、しゃんと鈴の音が響いた。


「手っ取り早いのは事実を全部ぶちまけることだろ」

 切間が足を止めずに俺を見る。

「娘は望んで神様のところに言ったんじゃねえってさ。そうしたら、神格化もしれないし、娘だって少しは浮かばれるんじゃねえか」

「無駄だな。人間は信じたいことしか信じない。自分の村の悪事を暴かれてハイそうですかって信仰を捨てると思うか?」

「だよな……」


 実際、村人の何割かは伝説のおかしさに気づいてるはずだ。わざとらしいほどの信心は後ろめたさから目を背けるためだろう。



 切間はライトを振った。

「しかし、雁金は何を見せたかったんだ?」


 光の帯に照らされた土手一面に無数の穴があった。

 蜂の巣、いや、駅のロッカーみたいだ。

 石で固めた真四角の穴が土壁に等間隔で穿たれている。穴は奥行きがあり、一層濃い闇が黒い水を湛えたように見えた。


「何だこれ……」

「横穴墓だな」

 切間は唖然と壁を見上げつつ答えた。

「古墳時代の墓の形式だ。岩盤を繰り抜いて、死者を埋葬する玄室と出し入れするための羨道を造る」

「こんなに大量に造んのか?」

「ああ、基本は墓群だ。ひとつの穴を何度も使うこともある……だが、この地域にあるのは知らなかったな」



 穴のひとつに近づくと、毛髪に似た何かが飛び出し、鼻先をくすぐった。俺の叫びに切間が振り返る。

「どうした!」

 光で照らされると、乾いた女の髪に見えたものは藁を編んだ筵のようなものだと気づいた。


「何でこんなもんがあるんだよ……」

 切間が呆れた息を漏らした。

「セブリって言って、昔は各地を渡り歩いて仕事をする非定住民たちがこういう穴に寝泊まりしたんだ。二十年前くらいまではよくある話だ」



 鈴が鼓膜に張りついたようにじりりと鳴った。

 昼より涼しいのに汗が止まらない。

 何故泊まった奴は貴重な寝具を置いてったんだ。


「それ……」

 俺は切間が手にした筵を指す。藁がぱらぱらと降り、藁より脂ぎったものも落ちる。

 引き毟られたような毛髪だった。


 切間が落とした筵が砂利道に広がる。中心に穴が開き、血の染みが広がっていた。



 鈴が鳴る。一斉に。

 助けを求めてる哀れな娘なんてもんじゃない。命乞いをする奴を嘲笑うような最悪な音だった。



 穴のひとつから、狭い通路を壁に身体を打ち付けながら無理に通るような、ずりっという音がした。

 切間が音の方にライトを向け、すぐ下方に向ける。

 下の方からも音がした。

 ずりっ、ずりっ、じりん、じりん。

 這いずる音と鈴の音が反響し合う。


「どうなってる……」

 切間がライトを左手に持ち替え、右手を懐に入れたときだった。


 楕円に切り取られた光の中に、顔が浮かんだ。

 石室のひとつから顔が覗いている。

 浮腫んで鬱血した、若い女の顔だった。


「お父さん、お母さん……」

 腫れた唇がそう動く。女が嗚咽しながら舌を出した。舌の先に、黒く錆びた鈴が乗っている。

 じりん。女が壮絶な笑みを浮かべた。


 女の首が熟れた果実が落ちるようにもたげ、俺の膝を掠めた。石室の奥がぼこりと膨らんで、円形のものが溢れた。

 無数の乾涸びた人間の頭だ。

 顔は全部笑っていて、嘲るように突き出した舌には鈴が乗っていた。鈴生り。


 じりりり。

 落ちた女の首が俺を見上げた。


「烏有!」

 切間が俺の肩を引く。鈴の音を掻き消す破裂音が響いた。

 切間が構えた銃から薬莢が落ち、女の額に丸穴が開いていた。


 石室から枯れ葉と泥が溢れ、長く伸びた爪が土壁を掴む。爪には紐で鈴が括られていた。

「退くぞ!」

 切間は俺の肩を掴んで走り出した。



 土手の土が崩れ、崩落する音が響く。

 じりじりと鈴が鳴る。

 俺と切間は振り返らずに橋の方へ走った。

「どうなってんだよ……!」


 顔の真横でじりんと音が響いた。俺と切間は転がって避ける。赤い橋の支柱が削れて破片が飛んだ。 


「いいから立て!」

 切間に急かされて俺は立ち上がる。最悪だ。

 木乃伊の腕のような長い影がずるりと伸び、鈴の音が鳴る。

 奴は橋の支柱に絡みつこうとしている。橋の上には上がれないのか。


 俺と切間は一目散に橋の中央まで駆けた。



「何だよあの神は!」

 切間が肩で息をしながら答えた。

「くそ、悪い。俺の見当違いだ……」

「何?」

「ここの神は殺された娘じゃねえ。とんでもない悪神だ」

 橋がガツガツと震動し、水音に混じって鈴の音が聞こえる。


「橋に人柱が必要だったんじゃねえ……最初からここの神は川を荒らして、やめてほしけりゃ生贄を寄越せつってたんだろ」

「マジかよ……」

「あの横穴墓も生贄を入れた所だろうな。近代になってからは非定住民に貸す振りをして食わせてたんだ」

 俺は言葉を失う。今までで一番最悪の村だ。



「じゃあ、鈴の音は……?」

 切間は青い顔で首を振った。

「娘が助けを求めて鈴を鳴らして、両親が来たんだろ。神の奴は鈴を鳴らせば、より生贄が寄ってくると思ったんだ」

「最近鈴の音が激しくなったっていうのはそろそろ新しい奴を寄越せって……」



 赤い欄干から無数の頭が覗く。じりじりと鈴が鳴った。

 橋には上がってこないんじゃなかったのかよ。


 切間が俺を突き飛ばした。

 閃いた長い爪が切間の脇腹を掠める。暗がりの中でシャツが赤く染まるのが見えた。


「切間さん!」

 蹲る切間の後ろに化け物の頭が見える。俺は咄嗟に転げた銃を拾い、一発撃った。

 化け物が橋の下に落下する。くそったれ。



 俺は欄干から身を乗り出し、真下の草むら目掛けて飛び降りた。

 重力がのしかかり、脚に衝撃が走る。気にしてる暇はない。


 すぐそばで神が身を起こすのがわかった。

 俺は橋桁に向けて駆け出す。鈴の音が追ってくる。


 目指すのは橋の真下の石室だ。

 石と木の祠が見える。俺は足を早め、祠の直線で地に伏せた。


 俺の上を鈴音と影が通り抜ける。巨体が穴の奥に滑り込んだ。


 穴蔵で影が蠢く。俺は祠を蹴り崩した。木板と岩を食らった顔が俺を見上げる。

「手前がやったことだろうが!」


 俺は岩を投げつけた。鈴の音が聞こえなくなるまで、俺は木と石を放り投げる。

 その上に土を被せ、靴底で何度も踏み固めた。


 背後から明るくなり、朝日が射した。

 鈴の音は聞こえない。崩れた祠も石室も、草むらに隠れて見えなくなっていた。



 橋の上に戻ると、切間が座り込んでいた。

「大丈夫かよ……」

 頷く切間は破った上着を巻いて止血していた。大事にはなってなさそうだ。

 俺は切間に肩を貸しながら橋を渡り切った。


 村はまだ寝静まっている。

 清廉な青い光が辺りを染めて水底のように見えた。



 バス停まで辿り着くと、ちょうど始発のバスが来た。

 車掌は怪訝な顔で泥まみれ血まみれの俺たちを見たが、乗車拒否はされなかった。


 俺たちは一番後ろの席に雪崩れ込んだ。

「どうすんだよ、あの村」

「起こったことを報告すれば、対策本部が悪神として処理しようとするだろうな」

「できんのかよ」

「実績があるらしい。俺は反対だがな。下手に手出ししてより最悪なことになりかねない」

「報告しなかったら?」

「放置だろうな。その場合、あの神のせいで被害が出るかもしれない」


 俺は黙り込んだ。あの村の連中は悪人だ。

 でも、知らずに伝説を信じてる奴もいる。雁金みたいに運命を受け入れている奴も。


 俺の考えを見透かしたように切間が口角を上げた。

「人間には神をどうこうできない。ひとを裁く権利もない」

「じゃあ、どうすりゃ正解なんだよ」

「正解はねえよ。考えるのをやめないことだ」


 切間は黒手袋を外し、乱れた前髪を掻き上げた。

 左手薬指には細い指輪があった。


「あんた、子どもいんの?」

「……いる」

「なら、死に急いでんじゃねえよ」


 切間は目を逸らし、窓の外を眺めた。

 どう見ても俺と兄弟に見えない。


 だが、俺の兄貴が働き詰めでくたばる前もこんな顔をしていた。考えるのはよそう。



 緩い振動と共にバスが発車した。

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