序、すずなりの神

 鈴の音が聞こえた?


 よかったですねえ。これはとってもいいことなんですよ。


 学生さん、ここに来るのは初めてですか?

 ご旅行? ああ、大学のゼミで。何をしてらっしゃるの? 民俗学! じゃあ、フィールドワークっていうんでしょうか。

 そうですか、それならこの土地はぴったりですよお。



 ここに来るとき、大きな橋があったでしょう。

 そう、赤くて綺麗な大きな橋。竜宮城みたいなもの。

 あれは江戸時代からあって、それだけで歴史的的な価値のあるものなんですけれど、文化財とかではないんですよ。

 大昔から今まで何度も改修しているから。昔はもっと質素な橋だったんですけど、だんだん増築してあんなに豪華になったんです。


 昔のまま残しておけば世界遺産になったかもしれませんけど、それよりもっと大事なことがありますから。

 そう、川の下から見てるひとがずっと楽しめるようにとびきり綺麗なものにしようってね。

 渡るひとじゃなくて下にいるひとがね。



 学生さんなら専門でご存知でしょうか。

 人柱ってわかります。

 ああ、そんな顔しないで。そういう怖いものじゃないんです。いいお話だから。


 あの川も今じゃ穏やかですけれど、昔はもっと流れが激しくて、嵐が来るたび何度も橋や堤防が壊れて村が大変なことになったんです。

 特に、あの大きな橋がある辺りは堤の角になってるから何度橋をかけても壊れてしまって。


 これは川の神様のお怒りなんじゃないかって話し合った末に、人柱を立ててはどうかってことになったんです。

 どなたかを堤に埋めて、神様に村を守ってくださいってお祈りを届けていただこうってね。


 今の感覚じゃ怖いことですけれど、昔は名誉なことだったんです。

 誰がその大役を果たそうかってことになったとき、村の外れに住んでいる貧しい一家の娘に白羽の矢が立ちました。


 その家は余所から流れ着いた一家で、各地を旅をして疫病や何かがあったとき祈祷して回る拝み屋のようなものだったんです。

 父親の病気で旅ができなくなって、たまたま辿り着いたこの村に住み着いていて、当時の地主さんの息子さんが何かとお世話をしていたらしいんです。


 そのご恩もあってか、娘さんは「私たちのような流れ者を温かく迎えてくださったこの村のお役に立てるなら」と快く引き受けてくださったそうです。


 村のひとたちはすぐに堤に穴を掘って、祠を作って、中に娘さんを埋めました。


 しきたりで人柱の手足を縛らなきゃいけないんですけれど、娘さんは「縛ったままでいいから、両親が祈祷に使っていた鈴を持たせてほしい」と言いました。


「生きている間、鈴を鳴らし続けて祈るからその音が途絶えたら、私が神様の元に向かった印だと思って、それから橋を立ててほしい」ってね。

 最期まで心の綺麗な娘さんでしたんでしょう。


 それから、七日七晩村に鈴の音が鳴り響きました。

 ついに音が途絶えた八日目の夜、いくら名誉なこととはいえ、娘さんの両親は我が子が亡くなったのが哀しかったんでしょう。

 夫婦で娘さんの後を追うように川へ飛び込んで行方知れずになったそうです。



 村のひとたちは三人を厚く弔ってから橋を立てました。

 祈りが通じたのか、それから堤防も橋も壊れることなく、川は信じられないほど穏やかになりました。

 ありがたいことですよ。


 しばらく経って、村で鈴の音を聞いたというひとが出るようになりました。

 最初は怖がりましたが、それから嵐も起こらないので、まだ娘さんが祈ってくれているんだと思うようになりました。

 地主さんの息子さんが亡くなるとき、三人に感謝を伝えるために娘さんを神様としておまつりして、橋と川を綺麗にしようと遺言を残したそうです。


 地主さんのお家がなくなりまった今でも、その言い伝えだけは残っているんですよ。



 どうしたんですか、学生さん。怖い顔をして。

 鈴の音が不気味じゃないのかって?

 そんなことありませんよ。ありがたいものですから。


 自分が生贄になっても村を恨まないのかって?

 そうですね。

 そう思わないから、神様なんですよ。

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