一、蓋を押す神
嘘なんかつくもんじゃねえ。
二十年間生きて俺が辿り着いたのは、小学校で散々言われるような単純な話だ。
その小学校にも途中からろくに行けなかったのが悪かった。
親父が借金残して首吊っちまって、真面目なお袋と兄貴が働き詰めで血吐いて死んじまったのもちょっとは悪い。
金を稼ぐなら不真面目にやる方がいいと思っちまった。
自分ならちょっとは上手くやれると思っちまったのも悪い。
だが、最悪なのはこの手の刑事にブチ当たっちまったことだ。
「
目の前に刑事が吊り気味の目を更に上げる。
なめし革のような日焼けした黒い肌と、座っていてもわかる背の大きさから、叩き上げの敏腕刑事だと思った。
こういう奴には泣き落としも言いくるめもまるで通じない。
「霊感商法詐欺。よくある話だな。最近身内に不幸があっただろうとかほざいて取り入って、除霊だ何だと金を巻き上げる。ろくでもねえことしやがって」
刑事がガラスの灰皿を引き寄せた。重たげな音がした。
あれでぶん殴られたら一発で脳天が割れる。そうじゃなくても、あの黒手袋の下には容疑者どもをしばいてきたタコが残ってるはずだ。
俺は反論もせずに目を背けた。
「そんなに脅したら何も話せなくなっちゃうでしょう」
刑事の隣に座る眼鏡をかけた女が苦笑した。
その仕草があまりにこの状況に不似合いで俺は思わず口に出す。
「悪いけど、あんたら何だ? 本当にここ警察か?」
刑事は眉間に皺を寄せたまま煙草に火をつけた。答えを待っても唇からは煙しか出てこない。
「あんたはわかるけど、隣の眼鏡の奥さんはどう見たって刑事じゃねえだろ。いいとこ小学校の先生だ」
女は眉を下げて俺を見ただけだった。
「俺が詐欺やったのは確かだ。言い逃れする気はねえよ。じゃあ、何で取り調べが始まらねえんだ。俺の仲間は? ヒロミもツバキも駒井も一緒にしょっぴかれたの見てたぜ。何で俺だけこっちに呼ばれた? 来るときだって妙だった。目隠しされて政治犯みてえな……」
「うるせえジャリだな」
刑事が煙草を灰皿ですり潰した。
灰を散らして立ち上がり、窓のブラインドを下げ、扉の方へ向かう。鍵の閉まる冷たい音がした。
しくじった、と思う。
穏便に済む手があったかもしれないが、自分で潰した。
「なら、早速始めるか」
刑事は再び座り直し、腕を組んで俺を見下ろした。俺は動揺を悟られないように睨み返す。
刑事は机に資料の束を投げ出した。
「お前が詐欺をやった場所はこの村で間違いないな」
手袋の指先が地図に記した赤丸を指す。俺は首肯を返す。一番最近やったのは、とは付け加えないでおいた。
「村の資産家連中に『背後に後光を背負った子どもの手がたくさん見える』と言ったらしいな。何でだ?」
「詐欺なんだから何でもねえよ。出まかせだ」
鋭い視線が俺を捕らえる。
「出まかせならもっと簡単なことがいくらでも言えただろ。わざわざ村には間引きされた子どもや水子をまつる祠がないかとも聞いたらしいな」
「調べたんだよ」
「嘘をつくな」
喉元にナイフを突きつけられている気分だ。
「あの村の信仰に関する資料は意図的に処分されていた。専門家が調べても出てこねえもんが詐欺師に見つかるはずはねえ」
「はい、専門家です」
眼鏡の女が笑って手を挙げた。
「
眼鏡の女が刑事の制止に構わず口を開く。
「私が刑事じゃないのは正解。先生は惜しかったかな。私は民俗学の准教授なの」
「民俗学?」
何故そんな奴が警察にいて、俺の取り調べに参加してる?
「こちらは
「殺人課?」
俺は思わず腰を浮かせた。
「何言ってんだ。俺は流石にひと殺しなんかしてねえぞ」
ドン、と重く響いた音が俺の動きを止める。
切間という刑事の拳とともに机に叩きつけられたのは、一枚の和紙だった。
そこに描かれていたものに、俺は息を呑む。
「お前が見た“腕”はこういうもんじゃなかったか?」
日に焼けてセロハンテープのようになった表面に、乾いた墨の跡があった。
湾曲した粗雑な筆の運びで描かれた無数の腕は、水の中で屈折した光のようにも見える。短く、関節の柔らかい、子どもの腕だ。
取り繕う言葉を探す俺の喉から漏れたのは吐く前のような呻きだけだった。
それだけで、切間は全てを察した表情で頷いた。
「当たりかよ」
「言ったでしょう?」
凌子と呼ばれた女が満足げに口角を吊り上げる。
「光る腕の神は完全に沈黙した。情報も遮断し、人的措置も施した。村外に機密が漏洩する恐れは限りなくゼロ。なのに、君はどうやってこれを見たのかな?」
「詐欺師に聞いて本当のこと言うと思うかよ」
今更悪態をついたところでもう遅い。俺がしくじったのは目に見えていた。
切間は撫で上げた前髪を掻き乱した。
立ち上がって、俺を威圧するように見下ろす。タッパのデカさと目つきの鋭さで、気の弱い奴なら何でも吐いちまうだろう。
「烏有定人、お前は何を隠し持ってる」
俺は口を噤んだ。馬鹿正直に答えたせいで酷い目に遭った奴もいれば、中途半端にごまかしたせいで酷い目に遭った奴もいる。
沈黙はいい手じゃないが、それ以外に方法もない。
「ムショ送りにならずに済む可能性があると言ったら?」
「……何をさせる気だよ」
切間は立ったまま煙草に火をつけ、吹きつけるように煙を吐いた。紫煙が目を刺す。
「俺は殺人課の刑事だった。今も広い意味で人間を殺す恐れがあるものと戦ってる。だが、相手は人間じゃねえ」
凌子が膝の上に置いていた茶封筒から何枚かのポラロイド写真を出した。
古びた廃校のプールの端から端まで届くような巨大な腕、山の稜線を縁取るような炎、ダム湖の中央に佇む黒い人影、取り壊されかけの雑居ビルの階段に直立する鉄の扉。
怪奇映画の一幕のような異様な写真が広がっていた。
「烏有くん、この世にはね、普通に生きていたら信じられないような存在がいるの。人間の理解は遠く及ばない、神と呼ぶしかないようなものばかり」
凌子は出来の悪い生徒に言い聞かせる教師のような静かな声で言う。
「善とも悪とも呼ばず、人知を超えて人間たちの日常に亀裂を入れる、奇怪にして不可侵のおぞましい神々とその奇跡を、私たちは“領怪神犯”と呼んでいるの」
「領怪神犯……」
俺は阿呆のように繰り返す。実際阿呆だ。こんなもの作り物だと突っぱねてしまえばいい。
だが、写真を見たときから指先も喉も震えて身じろぎひとつできなかった。
「領怪神犯はその名に犯罪の字がつく通り、多くが長期的な目で見て人類にろくでもねえ影響を及ぼすものだ。実際死人が出ることもある。死体が残るならまだいい方だけどな」
切間が灰皿の縁で煙草の先端を叩いた。
「だから、殺人課の俺が呼ばれた」
「何なんだよ、ここは……刑事が税金使って怪奇映画ごっこか?」
刑事は犬歯を見せつけるように唇を歪めた。
「ここは領怪神犯対策本部。紛れもない警察の管轄だ。烏有定人、これからお前の真価を試す」
そのとき、俺は資料の山に埋もれて、俺が護送されるときにつけられていた手錠と黒い目隠しがあるのに気づいた。
嘘なんかつくもんじゃねえ。
だいたいは、嘘より現実の方が手に負えねえからだ。
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