二、辻褄合わせの神

 ラジオの電源を落としたように、祭囃子が急に聞こえなくなった。



「片岸さん、どうします?」

 宮木が眉を下げて俺を見る。

「とりあえず、神社にでも言ってみるか。あの神について聞きたいこともあるしな」

 耳を澄ましても残響すらなく、空には色素の薄いぼんやりとした青空を遮る枯れた梅の木の枝が広がっていた。



「あれ、何だったんでしょうね」

 住宅街を抜け、老人ホームや何かの工場がちらほら見えるだけのだだ広い草原に通したアスファルトの道を進みながら宮木が言う。

 どこにでもある田舎の風景だ。こういう事案のときは例によって、見かけだけはどこにでもある田舎の様相を成す。

「この村の神だろ……」


「お神輿を担いでた白いのも合わせて神なんでしょうか?」

「さあな、神輿と担いでる奴らに分かれてるように見えても実際はそうかわかんねえしな。それか、まあ、神輿なんだから上に乗っかってたのが神なんじゃねえか」

「見ました、片岸さん? あの輿、てっぺんにあるはずの鳳凰とかの飾りが何もなかったですよ」

 俺は口を噤んだ。



 送電塔が等間隔で並び、遠くに広がる雑木林を封じ込めるように電線が伸びている。注連縄のようでもあり、商店街に吊るされていた提灯のもつれた紐のようでもあった。

「土産屋の婆さんが妙なこと言ってた理由がわかったな」

 俺の声に宮木が振り向く。

「日付を決めてやるんじゃなく、祭囃子が聞こえたら今日が祭りの日になる。訳わかんねえ化けモンが神輿担いで降りてくるなんてこと受け入れられねえから、祭りってことにして納得してんだ」

「納得するための辻褄合わせ、ですか……」


 道を進むと両端の街路樹の色が濃くなり、ガードレールにのしかかるように茂り出す。

 入道雲に似た深緑の林に埋もれる赤い鳥居が見えた。



 ひび割れた石階段を登り、坂道の上の境内に出ると思いの外広く、明るい陽光が降り注いでいた。

 俺は神社を見渡す。

 楢の木に囲まれ、ブランコと滑り台だけの申し訳ばかりの公園と併設された敷地内は静かだ。

「お祭りの気配はありませんね……」

 宮木が呟く。


 男たちの笑い声が聞こえ、振り返ると手水舎の奥に作業着を纏った三人の中年の男が煙草片手に談笑していた。

 俺が声をかけるか迷っている間に宮木はとっとと三人に近づいている。



「すみません、今日はお祭りがあったようですが」

 男たちは少し驚いてから、ひとが良さそうな苦笑を浮かべてタオルで汗を拭いた。

「あー、またお神輿が通ったかあ」

「知らねえひとは不思議に思うよな」

「うちはよくそういうのがあるんだよ。どっから来たんだい?」

 拾った落ち葉を燃やしていたのか、彼らはドラム缶を囲んでいた。三人は端に詰めて俺と宮木が入る隙間を空ける。

 塗装の剥げた緑のブリキ缶を覗き込むと、黒く焦げた落ち葉が細い煙を上げ、赤い舌のような炎がちらついた。



「東京です。大学院で民俗学を専攻していましてフィールドワークに来ました」

 宮木が臆面もなく言う。堂々と出まかせを言えるのは羨ましいが、そのせいで三人の視線が俺に集まった。

「こちらは私が師事している准教授です」

「あぁ、お若いのに……」

 作業着の男たちが納得したのか一斉に会釈した。俺は聞こえないように舌打ちする。


「こちらの村で興味深い信仰があると聞いて伺いました。何でも善人には報酬を、悪人には罰を与える神様だとか……」

「あぁ、昔話みたいだって思うよねえ。笠地蔵みたきな」

「そんな可愛らしい話じゃねえべ」

 男は笑いながら吸殻をドラム缶に放り込む。炎の勢いが少しだけ増した。

「もうちょっと厳しい神様なんだよな、うちのは。悪いことを見過ごさないっていうか。神輿も神様が送ってくる抜き打ちの監査みたいなもんだ」

 男のひとりが欠けた前歯を見せた。



「変な話ですが、皆さんの中でそういう、神の裁きのようなことを実際見聞きした方はいるんですか?」

 俺は箱から取り出した煙草を歯に挟んで尋ねる。三人の中でも一番若い男が首を捻った。

「自分が見た訳じゃないが……うちの爺さんが結婚したての頃、夜道で急に後ろから殴られて四針縫う怪我したとこがあってさ。犯人が見つからなかったんだが、しばらくして結婚に反対してた嫁の従兄弟から詫び状みてえなのが一筆届いて、次の日その男が柿の木で首吊って死んじまったんだってさ。そのとき、爺さんの家にあった柿の木の枝も折れてたって聞いたな」


「その従兄弟さんが、本当に犯人だったのでしょうか」

 宮木がさりげなく聞くと、男は鷹揚に頷いた。

「そりゃあ、神様がそうだってならそうなんだろうなあ」

 他のふたりも同意を示す。

 俺は内心薄ら寒い気持ちで灰をドラム缶に落とした。その男が犯人だという保証はないが、村人たちは疑いもしない。ひとびとを安心させるための適当な人身御供だとしたら。



「皆さん、お集まりですか」

 頭上から降った声に顔を上げると、林に紛れる斜面に木を埋め込んだだけの簡素な階段から初老の男が降りてくるところだった。

 三人の男が急に居住まいを正し始めたので、俺も何とはなしに煙草を缶に捨てる。


「ここの宮司をやっております」

 男は穏やかな笑みを浮かべた。ラクダ色のジャケットにネルシャツを着た姿には何の威厳も感じないが、三人の反応からして本当らしい。

 俺たちが説明するより早く、作業着の男たちは東京の大学から偉いひとと学生が調査に来ているとまくし立てた。


 宮司は微笑すると、俺たちに背を向け、ついて来いと言うように元来た階段の方へ歩き出した。



 自然の光に満ちていた境内とは違い、林の中へ潜り込んで行く細道は木の葉が影を落として仄暗い。

 ぬかるんだ泥から顔を出す階段も腐りかけて踏み抜いたら崩れそうだ。


「この山道を通ってお神輿が降りてくるんですよ」

 宮司は背を向けたまま穏やかな声で言う。

「お神輿っていうのは、あの、村の皆さんが担ぐ……」

 敢えて聞いてみた俺の前で宮司の薄くなった頭がかすかに横に揺れた。


「お神輿は神様が村のみんなを見に来ているんじゃないかと先ほどの方々が仰っていました」

 沈黙に耐えかねたのか宮木が口を開くと、木々のざわめきに混じってふっと笑う声が返った。



「村の皆さんは少々うちの神様を誤解しているようです。本来の権能以上の期待を受けるのも神の仕事と言えばそうですが」

 宮司は足を止めて藪の方へ視線をやった。黒々とした葉の中に白いペンキの塗装が剥げかけた蔵のようなものがある。


「元々、うちの神様はそれほど大層なものでなかったんです。昔もっと遠くに大きな神社がありまして、村人は何かあったときはそちらにお参りしていました。ここの神様に祈るときは失くし物をしたときだったんですよ」

 宮司の目元のしわが濃くなる。

「失くし物ですか……」

「はい。失くした物が戻ってくるように祈りを捧げると、不思議とすぐに見つかると評判でした。まあ、その程度のものだったんです。あそこの蔵が見えますか」

 白かったはずの蔵の扉は半分だけ開け放たれていた。


「お神輿もここから出て村の中を一周して戻ってくる。あるべきものがあるべきところに戻るように。そういう祈りの意味があったんですね、昔は」

 蔵の戸の奥は完全な闇でぼっかりと口を開けているように見えた。



「それがなぜ罪に罰を与えるようなすごい力を持った神になったんでしょうか」

 宮木は中の何かの睨み合うように蔵を見つめていた。

「そうですね……聞いた話によると、世界大戦のときから徐々に変わっていったようです」

「世界大戦って一次ですか、二次ですか、三次ですか?」

「三まであってたまるかよ」

 俺が口を挟むと、宮木がはっとしたような顔をする。宮司の男が堪えきれずに吹き出してから咳払いした。



「第二次の方ですね。皆さんご存知でしょうが、あのときは村の若いひとがみんな兵隊に取られたでしょう。表向きはお国のためにと喜びますが、親としては無事帰ってきてほしいのが本心です。それで、村の親たちが皆、お百度詣りをしたんですよ。失くしたものを戻してくれる神に『奪われた子どもたちを返しておくれ』と」

 村人たちの願いを聞き入れて、あるべきところに物を戻すだけの神は、因果すらも正しく戻そうとする傲慢なほど強大な神に変わったのだろうか。


「それで、徴兵された方々は……」

「戻ってきました。ひとり残らず」

 俺と宮木は同時に息を呑む。

「それは、すごいですね……」



 風が木の葉を揺らす音だけが響き、日差しの強さに反して少しも温まっていない風が首筋に触れる。

 宮司は口の中で言葉を転がすようにしばらく言い淀んだ後、やっと声を絞り出した。


「ただね、最初は村のひとも喜んだんですよ。それが、その子の親たちがひとりまたひとりと『うちの息子じゃない』と言い出すようになったんですよ。だんだんとそれは広がっていきました」

 風が凪ぎ、周囲が水を打ったように静かになる。


「村の皆さんは神社に詰め寄りました。お前が寄越した息子の姿をしたものは何者なんだ。本当の息子を返してくれとね」

 宮司は振り返って寂しげに笑った。

「村人の総意で、彼らを神社に返すことになったそうです。戦争から帰ってきた皆さんは何の抵抗もせず、この山道を登って行きました」

「それでどうなったんですか……」



 そのとき、鼓膜の内側で鳴り響いたような盛大な鈴の音がした。

 俺たちが来た階段をものすごい勢いで神輿が駆け上がってくる。

 狂ったような祭囃子と鈴の音。人間の声は何もしない。

 象徴を頂かないお神輿を担いだ白衣の男たちは頭巾で顔を隠し、何も言わずに一糸乱れぬ歩みで蔵を目指す。


 左右に避けた俺と宮木の間を祭りの集団が駆け抜けた。風が巻き上がり、ひとりの頭巾を口元まで捲る。

 硬く引き締めた唇の端には細い刀傷があった。



 祭囃子が唐突に途絶え、神輿が跡形もなく消えた。

 呆然と立ち尽くす俺たちをよそに宮司が静かな声で呟いた。

「ああして、村の若い衆が神輿を担いでいたんでしょうね」

 宮木が俺を見る。これも辻褄合わせの一環だ。

 神輿を担ぐのはこの村の若者の習いであるならば、神輿を担いでいれば間違いなく村人ということになる。

 白衣の男たちは戦場から神社を経由して返された若い兵士ではないだろうか。


「神社に還った若者たちがこうして神輿を担ぐ者になったということですか?」

 宮木の問いに宮司は否定も肯定もしない。

「わかりません。ただその頃から村で不可解なことが起こるようになったと噂で聞きます。あくまで噂です。うちうちで処理しているそうですから……」



 俺は怯えきった友井一家を思い出す。

 村の人間はああして不可解な事件に見舞われたとき、どうしているのだろう。

 おそらく解決を図るはずだが、辻褄合わせの神がどうにかしてくれるならあれほど怯えるはずはない。

 村人の間で落とし所を見つけているのだろうか。例えば、犯人を見つけ出したことにする、などで。


「片岸さん、友井さんの家に戻りましょう」

 俺は首肯を返す。

 蔵の扉はぴったりとしまっていた。


 これは神の試練か、もっとひどければ意趣返しだ。

 望んだものを返してやったのに不満だと言うならば、お前たちでより良い辻褄を合わせてみろ、と。

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