一、辻褄合わせの神

 商店街の両端に並ぶ電柱には、ピンクと白や水色と白の陽気な提灯がぶら下がっている。



 不器用な人間がかけたのか、紐がもつれているのはまだいい方で、高すぎて揺れるたび電線に触れそうな危なっかしいものもある。遠くから水の中で聞くようなくぐもった太鼓や祭囃子の音まで聞こえてきた。


片岸かたぎしさん、ラッキーですね。今日はお祭りの日みたいですよ」

 宮木が楽しげに言う。

「仕事で来てんだぞ」

 このやり取りも久しぶりだ。

「でも、屋台とかはないんですねえ」

 宮木みやきは商店街を見回す。


 通りは思いの外閑散としていて、埃をかぶったショーケースに革靴を並べる老人や、呉服屋の前で煙草を吸う女は微塵も浮かれた様子がない。

「準備だけで祭りの当日じゃないんじゃねえか」

「でも、お囃子が聞こえてきますよ」

 俺は肩を竦めた。



 祭囃子の音は遠いが、少しずつ大きくなっているような気がした。

「今日はお祭りなんですね?」

 宮木は店頭に並ぶ唐辛子や犬張り子を模した根付を手にしながら、雑貨屋の店主に話しかけていた。


「そうみたいですね。だいぶ急なようでしたけど」

 手編みのケープを羽織った店主の老婦人が微笑む。

「店主さんもご存知なかったんですね。というと、最近この土地にいらっしゃったんですか?」

「いいえ、うちは三代前からここの人間ですよ」

 平然と答える老婦人に、宮木が怪訝な表情を隠すように愛想笑いを返した。


「この村はこういった突発的な急なお祭りがあるんですか」

「ええ、お囃子が聞こえてきたらお祭りの合図なんですよ。みんなお神輿が通れるように急いで道を空けて、提灯だけでも吊るして、いつ来てもいいように準備をするんですよ」

 宮木が助けを求めるように俺を見た。

 こういう調子は危ない。俺は顎で戻ってくるよう示す。

 宮木は適当なところで切り上げてとぼとぼと俺の側まで来た。



「どういうことなんでしょう……隣の村か何かと連携してお祭りをやっているんでしょうか。村にひともわからないなら祭囃子は誰が流してるんですか?」

「さあな、そういう風習なんじゃねえのか。山の方にいる神主や宮司か何かが適当なときに祭囃子を鳴らして、神輿担いで駆けてくる。それまでに村の人間で用意をしておけば福が来るとか何とか」

「すごい奇祭ですが、ない話でもないですね……」


 宮木は首を捻りながら、空に揺れる提灯を見上げた。

 飴玉のような色彩の提灯の不均等な吊るし方は不器用なのではない。祭囃子を聞いた人間が焦って吊るしたからだ。



「お祭り自体も妙ですけど、それより妙なのはここの神様と何も関係なさそうなんですよね」

「そうだな……」

 緑と白の提灯の真下、うがい薬のような半透明の茶色のガラスに店名を白で彫り抜いた古書店があった。

 店内には文芸賞受賞作品の入荷の知らせや、棚卸のため休業する日時に混じって、店主のものらしい手書きの字を記した藁半紙が貼られている。

“万引きは絶対にやめましょう。誰も見ていないと思っても必ず見ています。悪いことには天罰が下ります”。


 今時珍しい、子どもでも鼻で嗤うような警句だが、この村の書店が貼り出していると思うとぞっとした。

 何せこの村で祀られている神は、天国や地獄に代わって人知れぬ善行には褒美を、明るみに出ていない悪事に罰を与える神だ。



「金を持ち逃げした秘書は腹に金塊を詰められて死に、継子に真綿で絞め殺されるような思いをさせた母子は綿を吐いて死ぬ。不幸な子どもは他人の子を我が子のように可愛がった不妊の女性の元に生まれ変わらせる……それがこの土地の神なんですよね」

「説教くさい昔話みたいな話だよな」

 聞こえますよ、と宮木が苦笑した。


「でも、そんな神様なら多くのひとはいてくれてありがたいと思うんじゃないでしょうか。私たちに調べて何とかしてくれなんて依頼が来ますかね?」

「それが、来たからこうして俺たちがここまで出てきた訳だ」

 商店街の扇型のアーチを抜けると、二階をそのまま住居にしているような居酒屋や洋食屋がまばらに並び、すぐ住宅街に繋がる。

 俺たちに依頼した人間の家はそこにあるらしい。

 俺は宮木に促して脚を早めた。


 提灯の列が途切れる頃、真下に古びたリアカーに幌を被せただけの屋台があり、祭りらしくお面が並んでいた。

 的屋の姿はなく、古風な狐やオカメの面は輪郭の溝に埃が溜まっていた。



 椿の生垣に埋もれるような民家が見えてきた。

 家の敷地から梅の木の枝が突き出していて、何かの罠のように道路に伸びている。

「梅切らぬ馬鹿……」

 俺は呟いて呼び鈴を鳴らした。

 二度鳴らしたとき、中からいかにも甘やかされて育ったような色白でほっそりとした大学生くらいの青年と、気弱そうな夫婦が現れて会釈した。


 家の中は先祖代々の和風の家を、花柄の壁紙や外国製の家具で何とか近代的にしようとする創意工夫が見える、こじんまりとした雰囲気だった。

 普段なら家族団欒の光景が浮かびそうな、小綺麗なテーブルと椅子の前に通されたが、居間全体がどことなく空気が淀んで暗く感じた。



 一家は友井ともいと名乗り、俺たちのような仕事の人間が遠い親戚にいて、そのツテで頼ってきたのだと言った。

「この村の年寄りたちに知られる前にどうしてもと思いまして……」

 家長の男が青ざめた顔で切り出す。


「私たちの仕事を知っていて、ということは警察では解決できないことですね」

 何故か上座に座らされている、この家のひとり息子が怯えたように頷いた。


「何があったか教えますか?」

 答えの代わりに友井の妻が腰を上げた。

 傷ついたフローリングを椅子の足が削る音が長く響き、夫人が奥の部屋の暗闇に消える。

 俺たちは何も言わずにその帰りを待った。


 椅子がカタカタと鳴る。

りょう、やめなさい」

 父親に制され、青年がはっとして身じろいだ。音の正体は彼の貧乏ゆすりだったのかと思い、机の下を覗くと、まだ小刻みに震えていた。



 戻ってきた夫人は両手に新聞紙で包んだ一本の筒のような何かを抱えていた。この村のような田舎の商店街の八百屋で大根を買ったらこんな風に包装して渡されるのだろうと何となく思った。

 だが、大根にしては細く、柔らかい。半分から上が夫人の肩にしな垂れかかるように倒れている。


 夫人は陰鬱な表情で包みをテーブルの上に置いた。柔らかな見た目に反して、ことりとコップの縁で叩いたような硬く軽い音がした。

「驚かれると思いますが、いや、慣れていらっしゃるかもしれませんが、見ていただけますか」

 着席した夫人に変わって友井が新聞紙を止めるセロハンテープに手をかける。

 俺と宮木が頷き、陵と呼ばれた青年が硬く目を瞑った。


 かさり、と乾いた音がして包みが開く。

 放火事件の記事の間からくすんだ肌色が現れた。開いた毛穴と、くの字に曲がった部分に浮き上がる真新しい青痣。

 宮木が机の上に身を乗り出す。

「これは、腕……ですか?」

 新聞紙の上に人間の腕が乗っていた。太さと硬質な筋肉からして痩せ型の成人男性だろう。

 二の腕より下ですっぱりと斬り落とされたような腕だ。白っぽい五本の爪は四角く整えられている。


「失礼ですが、これは一体誰の……」

 俺の問いに、陵がしきりに首を振って泣きそうな声を出す。

「わかりません、一昨日、朝起きて大学に行く前に……庭の垣根に引っ掛けてあって……」

「悪質ないたずらでしょうか」

 宮木が気遣わしげに言うが、どこまで精巧に作ってもこれほど生々しい偽物はできないだろう。


「誰のものかも、誰が持ってきたかもわからないんです。決して明るみに出ませんが、たまにこの村ではこういうことが起こるんです」

 友井が卓上の腕を凝視して言った。

「我々にこの原因を調べてほしいということですか?」

「お願いします!」

 陵が急に大声を出して立ち上がった。


「村のひとたちに見つかったら、もうおしまいなんです。人間ならいい……あれに見つかったら……」

 青年の細腕が俺の肩に絡みつく。どこから出ているのかわからない力だ。

「落ち着いて。あれとは何です」

 取り乱した人間に縋られるのは久しぶりだ。気が滅入るのを押し殺して陵を宥めると、宮木が口を開いた。


「あれ、とはもしかして、ここの神様ですか?」

 何とか座り直した陵が唇を震わせて頷いた。怯えきった息子の肩を母親が抱く。

「明るみに出ていない罪を裁く神様だと聞きましたが、もし本当ならそれに任せておけばいいのでは……」

「そんないいものでないんです」


 友井はかぶりを振った。

「確かに犯人がいるものならそういう解決もできたでしょう。でも、今回のような不可解な事件では––––」



 友井の言葉を遮るように祭囃子の音がした。

 耳元で鳴らされているような大音量だ。一家が揃って震え上がる。

 太鼓に笛、たくさんの鈴が掻き鳴らされ、急き立てるような囃子を奏でている。

「見れば、わかります……外に出てみてください」

 夫人が顔を上げずに言った。俺と宮木は視線を交わし、席を立ってリビングを出た。


 暗い廊下にもしきりに祭囃子が反響している。録音したテープを室内で流しているような大きさだ。

 玄関で靴を履いたとき、奇妙なことに気がついた。

 これだけ盛況な祭りで楽器の音はするのに、人間の声が一切しない。


 宮木が扉を開け、俺たちは外に出た。

 生垣に花はなく青々とした葉だけがひしめいている。

 垣根から身を乗り出して通りを眺めたとき、ちょうど神輿が突き出した梅の木の枝をくぐるところだった。

 俺と宮木は同時に息を呑む。



 金の彫刻と赤い飾り紐とで荘厳に飾られた神輿を担いでいるのは法被姿の男衆ではない。死装束のような白い着物と白い頭巾で全身を覆い隠したひと型の何かだ。

 頭巾に目を出す穴はなく、前など見えないはずなのに皆、一糸乱れず凄まじい速度で輿を運んでいく。

 神輿を担ぐものの他に白装束の姿はない。

 楽器を演奏している者も見当たらないが、割れんばかりの祭囃子は一層大きくなっていく。


「あれは何です、人間ですか……」

 宮木が呆然と呟いた。

「じゃなさそうだな……」

 白装束に担がれた神輿は住宅街の通りを抜け、商店街の方へ向かっていく。


 そこで思った。祭りがあるから神輿が出てくるのではない。その逆だ。神輿が出たから祭りということにしているんじゃないだろうか。

 あの不気味な存在は突発的に下界へ降りてくる。

 商店街の村人たちはその合図である祭囃子を聞いたらすぐに祭りの体裁を整える。

 訳の分からない不気味な何かが駆け抜けるのではなく、神様のためのお祭りだと納得するために。


 因果応報の神と、急に降りてくる神輿の集団は関連性がないと思っていたが、俺は気づきたくないことに気づいた。

 罪には罰を、善行には褒美を、お囃子が聞こえたなら祭りを。

 追求できないことに理由と結果を与える。


 要は辻褄合わせだ。

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