序、水底の匣の中の神
そっちは危ないぞ。
昨日まで信じられない量の雨が降ったからダムがエラいことになるんだ。そう、これから点検に行くんだよ。
面倒なんだ、大雨が降った次の日は。ダムの下の方まで降りていくんだけどな。本当はエレベーターがあるんだが、昨日みたいな雨の後は使えない。階段で一歩ずつ降りてかなきゃならないんだ。
別に雨でダムがエラいことになる訳じゃない。流石にそんな柔な造りじゃないさ。
村一個沈めて造ったダムがそれじゃあ困る。エラいことになるのはそのエレベーターの方で……ああそうだな。
何にもわかっちゃいない奴は村を潰した祟りなんて言いたがるが、そんなわかりやすい話なら苦労はしてない。
あそこに沈んだ村はクスノキに覆われたところでさ、暗いところだったよ。俺は隣の村の人間だが、あっちにはできるだけ近寄らないようにしてた。
何たって産業がさ、そのクスノキで棺桶を作ることだったんだ。日がな一日死人を入れる箱を作ってるんだ。暗くもなるか。
あっちの連中はそう思ってなかったらしいがな。
クスノキってのはあの村の守り神のご神木らしい。
神社に一本デカい木が立ってるようなのじゃなく、村の周りのクスノキ全部がご神木だと。昔はクスノキの下に死んだ村人を埋めてて、だから、先祖代々の魂が宿った木で棺桶を作れば神様のところに行けるとか言ってたっけ。
ちょっと待ってくれ。電話だ。
何? ああ?あの馬鹿、階段で行けって言ったのに横着しやがって。知らねえよ。医者なんか呼んでもしょうがねえ。あと三十分したら行くから待ってな。
失礼、何の話だっけ。
ああ、そうだ。あの村も結局今じゃ盛大な葬式やるところもないからさ、棺桶造りだけじゃ食っていけないって言って、観光の方に手出し始めたんだ。寄木細工っていうのかな、あんな大層なもんじゃないけど、土産物屋でそのクスノキで作った仕掛けを解かないと開かない小綺麗な箱みたいなのを売ってさ。箱作りは専門だからな。
大して売れもしないけど、まあ珍しいからそこそこ買う奴もいたらしい。
でも、それから村の奴らが暗いだけならいいけど暗い上におかしくなってさ。
箱の中から声が聞こえるっていうんだ。それがみんな死んだお袋とか子どもとか古い友だちの声なんだって。いかれてるだろ。村に住んでた奴でひとり知り合いがいて、そいつの妹、病気で十二くらいのときに死んじまったんだけど、仕事も行かずにずっと箱弄ってんだ。中から妹の声がするってさ。妹に買ってやったバドミントンのラケットを探してるんだって。出して一緒に探してやらないとってさ。
気持ち悪いから放っておいたら、そいつ、クスノキで首くくって死んじまった。縄を使ったんじゃない。幹の上にデカい穴みたいなのがあって、そこに首突っ込んでぶら下がってたんだ。
そういうことが何回もあってさ。
迷信だけど、それから黒い喪服を着た四メートルくらいのデカい人間を見たって奴らまで出始めて。その高さっていうのが村のちょうどクスノキの高さなんだよ。
それから、ダムの建設の話が出てさ。若いのが気味悪がってみんな出て行った村だから反対する奴もいない。市だか県から金もらってとっとと村沈めて終わりだよ。それで、終わればよかったんだけどな。
また着信だ。悪いな。さすがにもうそろそろ行くよ。
本当に祟りとかとはまた違うんだ。祟りならまだいい方だったかもな。
とにかくダムに来ることはないと思うけど、行くならエレベーターは使うなよ。
でも、まあエレベーターなんて使わなくてもな、雨が降るとダムの水嵩が増すだろう。そうすると、上がってくるんだよ。奴が。
でも、使わないで済むなら使わない方がいい。
何だって、あの村でできた箱は本当はどういう用途だって全部死人を送るもんになっちまうんだ。
知らないけどな。
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