序、不老不死の夢の神

 綺麗な海でしょう。


 この村だとどこからでも海が見えるんだけど、ここからの眺めが一番すごいの。

 夏になるとサーフィンや海水浴、冬でも釣りをしに来るひとなんかが、余所からこんな田舎ではちょっと珍しいってくらいお客さんが来るもんだから。

 こうしてお土産物屋さんの通りもたくさんできてね。


 ちょっとずつちょっとずつ、今でもお店が増えてるんだけど、新しいものを建てるときは必ずみんな少しだけ家と家の感覚を空けておくのよ。


 近くの村のひとたちは土地の無駄だとか言うけど、こんなに広いんだものねえ、無駄に使うくらいじゃないと。

 もっと酷いひとだと、老人の抜けた歯みたいでみっともないって言ったりなんかするんだけど、まあこっちもうちがみんなお客を取ってるんだからやきもちくらい焼かせてやれなんてね。


 そうそう、こうやって家どうしの間隔を空けておくと、隙間から海が見えるでしょう。

 朝と夕方の一番光が強い時分だと、波が一斉に光ってね、魚の鱗みたいに見えるのよ。


 お客さん、見ました? この海の一帯に人魚の絵が描いてあるお店や旅館が多いでしょう。

 そう、昔はね、まだこんなに栄えてなかった頃は防波堤なんかもなくて、その頃だといっぱいに広がった砂浜と海の境目が綺麗に見えてね、白い肌と鱗の生えた尻尾の人魚みたいに見えるって話だったのよ。

 砂浜がお腹の肌のところで、海がギラギラ光る鱗の部分ね。ちょうどあの丘の出っ張りが腰のくびれで、奥の方の崖から垂れてる森が髪の毛で、向こうの……今は霞んでちょっとみえないかしら、残念ね、本当は山があるんですよ、そんなに大きくないふたこぶの山で、それが……あら、嫌だ。ごめんなさいね。漁村のおばちゃんはこれだから嫌ね。なんてね。


 ほら、うちのお店でも人魚焼きって、人形焼きじゃないのよ。普通のアジやエボダイなんかの干物なんだけど、この村には人魚が住んでるって言い伝えて、その海から取れたものだから、全部人魚の加護があるってね。


 知ってるかしら? 人魚の肉っていうと、食べると不老不死になるって言ってね。

 いろんなところで聞く言い伝えだけど、うちは本当。


 昔、住んでた漁師のひとがね、奥さんに先立たれて、ひとりで寂しく暮らしてたところ、ある日浜辺を歩いていたら、女のひとが打ち上げられてたんですって。ねえ。

 で、助け起こして見てみたら、腰から下がね、大きな鮒みたいな魚の尻尾の形をしてたんですって。


 とりあえず漁師が助けて、ひとりで寂しいもんだからね、家に連れ帰って、看病してたらしいのよ。奥さんにでも似てたのかしらね。


 でも、変な話、海で亡くなったひとって岸に流れ着くまでに岩や何かにぶつかって身体がボロボロになるでしょう。それと同じで人魚も傷だらけだったから、治るまですごく時間がかかったんですって。


 漁師も朝は漁に出て夜帰って人魚を看病してたんだけど、村のひとに見つかっちゃってね。でも、みんな気立てのいいひとばっかりだから薬や食べ物を持ってきて、みんなで面倒見てあげたんですって。


 でも、ある夜とうとう人魚が私はもう駄目だって言い出してね。村のひとに感謝してるから、最後に私が死んだら私の肉を食べてくれって。そうしたら、みんな不老不死になれるからって。

 そう言い残して亡くなって、みんなでその肉を食べたっていうのよ。

 最初に人魚を拾った漁師だけは人魚を食べずに、次の夜明けに船で海に出てずっと戻らなかったってね。


 ええ、御伽噺よ。

 でも、この村に住んでるとわかるんだけど、人魚の加護ってものはあるみたいよ。

 私も夏は車の通りが多いから、子どもの頃に一度若い子のすごいスピード出した車に跳ねられかけたときがあったんだけど、虫の知らせって言うのかしらね、咄嗟にあっ危ないって思って避けて何の怪我もせずに済んだのよ。


 それにね、年を取るとみんなそういうのに縋りたくなるのかしらね。

 ここのお爺さんお婆さんはみんなそれなりの年になると人魚の夢を見たっていうの。

 不老不死なんかはもちろんないけど、本人たちはそれを信じててね。もう安心だ。お迎えなんか来ない。人魚が遠ざけてくれるからって。

 死ぬ最後のときまでそう言って、みんな幸せそうな顔して亡くなるのよ。


 ご老人だけじゃなく若い子でもね。この村で亡くなるひとはみんなそう。私もそのうち見えるのかしらね。


 本当に、どんな酷い死に方をしたひとでも、幸せそうに笑って亡くなるのよ、この村は。

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