第6話 出産
☆
出産までまだ1ヶ月近くあるから、いつものスーパーに出かけたとき、破水をした。
足を伝って、水が流れていく。
「大地君、破水みたい」
駐車場のコンクリートの所に、水が広がる。
「なんだって?まだ予定日まであるだろう?」
「タオル、鞄に入っているから、取ってくれる?」
「ああ、体は大丈夫なのか?」
「お腹が張っている。痛みもある」
「分かった。車に毛布が積んであるから、少し待っていろ」
大地君は助手席に毛布を広げて、わたしを抱き上げて、車に乗せてくれた。
体の上から、毛布を掛けてくれる。
「病院に電話できそう?」
「うん。すぐにする」
「俺は病院に向かうよ」
「お願い」
わたしは病院に電話をして、出先で破水をしたことを告げた。
すぐに来るように指示が出された。
わたしの子宮の近くに動脈が走っているので、以前のように大出血が起きる可能性もあるかもしれないと言われている。
自然分娩か帝王切開か、医師はまだ迷っていた。そんなときの破水だった。
「ここで産むなよ」
「うん。今は痛くない」
「陣痛が始まっているのか?」
「お腹は定期的に張っているけど、これが陣痛なのか分からない」
「時間を計るんじゃなかったか?」
「そういえば、そう言われていたね」
わたしはお腹が張る時間を確かめようと、時計を見ていたけれど、お腹の張りが消えた。
「陣痛じゃないかもしれない」
わたしはお腹を撫でる。
ずっと元気に動いていたのに、今は少しも動かない。
「赤ちゃんが動いていない」
「なんだって?」
大地君はアクセルを踏み込んだ。
病院の救急の近くに車を止めると、大地君が毛布ごとわたしを抱き上げて、救急に入っていた。
「破水で連絡しています。赤ちゃんが動かなくなったと言っています」
「すぐに連絡を入れますので、ストレッチャーに寝かせてください。あと、救急車が入りますから車を退けてください」
「妻を見ていてください」
看護師に頼んで、大地君は車を駐車場に移動させに行ってしまった。
「お腹の張りはどうですか?」
「張っていたんですけど、今はずっと張っていません。胎動が消えてしまって、赤ちゃん大丈夫でしょうか?」
病棟から看護師が駆けてきて、わたしは大地君が戻る前に、病棟に上げられて、内診室に入れられた。
ぐっしょり濡れたワンピースを脱ぐように言われて、体を拭いてくれた。病衣に着替えて、内診台に乗り検査が始まった。
赤ちゃんの心音が聞こえて、ホッとする。
わたしはまたストレッチャーに乗せられて、病室に運ばれる。
満床なので、個室しか空いていないそうだ。
大地君がわたしの横を歩きながら、個室に入った。
「10ヶ月にちょうど入りましたので、このまま出産させます。ですが、破水している上に逆子になっていて臍の緒が首に巻き付いていますので、すぐに帝王切開をしましょう」
「花菜ちゃん、切ってもらおう」
「臍の緒が巻き付いているの?」
「今のままでは、赤ちゃんが危険です」
「赤ちゃんを助けてください」
「最善を尽くします」
「優先順位は妻でお願いします」
「分かりました」
「赤ちゃん優先よ。わたしは大丈夫よ」
「どこが大丈夫なんだよ?花菜ちゃん」
大地君が泣きそうな顔で、わたしの頬を撫でる。
「すぐに準備を始めましょう」
「お願いします」
大地君が頭を下げた。
「では、開腹手術の念書に記入をお願いします」
医師達は病室から出て行った。
「大地君、ごめんね。立ち会い分娩できなくて」
「そんなことより、俺は花菜ちゃんと赤ちゃんをできるだけ安全にさせたいんだ」
わたしは頷いた。
赤ちゃんが死ぬのも嫌だ。赤ちゃんを見ずに死ぬのも嫌だ。
術前処置が始まり、大地君は母に連絡を入れてくれた。
「お母さん、すぐに来るって」
「入院準備、持って来てないね?」
「手術が終わったら、持ってくるから」
「うん」
処置の間、カーテンを引かれて、大地君はソファーに座っているようだ。
元々、前回の堕胎手術で大出血を起こしているので、医師は帝王切開で行いましょうと言われていたので、仕方が無い。
どうか無事に生まれますようにと、ただ祈る。
☆
腰から注射を打たれて、下半身の感覚がなくなると手術は開始された。
「お腹を切っていますからね。痛くないでしょう?」
「はい、痛くはありません」
「元気な足が見えますね」
わたしは微笑んだ。
「午前中まで、よく動いていたんですけど、破水したときから動かなくなって心配していたんです」
「急に逆子になって、その時に巻き付いてしまったんでしょう」
手術をしながら、医師と話ができる。
「よし、足が出てきた。ゆっくり巻き付いた臍の緒を解いていきますね」
「お願いします」
小児科の医師も来ている。
赤ちゃんはきっと大丈夫だ。
医師達が緊張しているのが、分かる。
しばらくして、医師達が動き始めた。
「生まれましたよ。今、小児科の先生に診てもらっていますよ」
「はい」
生まれたのに、まだ産声が聞こえない。
「赤ちゃん、生きていますか?」
「ちょっと待っててね」
なかなか泣かなくて、心配になる。
小児科の先生が立つ場所を見る。
「今度は胎盤をだしますよ」
「赤ちゃんは?」
おぎゃーと泣き声が聞こえた。
「元気な女の子ですよ」
小児科の先生が教えてくれた。
「息してなかったの?脳に傷害が残ったりするの?」
「大丈夫ですよ。少し吸引をしていただけですよ」
「本当に?」
助産師さんがタオルでくるまれた赤ちゃんを見せてくれる。
元気な産声も聞こえる。
「少し抱いてもいいですか?」
「ええ、どうぞ」
わたしは手を伸ばして、小さな赤ちゃんを抱きしめた。
「生まれてきてくれてありがとう。ずっと会いたかったよ」
やっと会えた赤ちゃんのあたたかな温もりと感じると、赤ちゃんは泣き止んだ。
愛らしい顔をしている。
「産湯につけてきますね」
「お願いします」
赤ちゃんはすぐに助産師さんが連れて行った。
わたしの手術はまだ続いている。
「薬を入れますね。少し眠くなりますよ」
「はい」
わたしはすぐ眠ってしまった。
目を覚ますと、嬉しそうな顔をした大地君が赤ちゃんを抱っこしていた。
「お疲れ様、花菜ちゃん」
「花菜、目が覚めたら、出なくても初乳をあげてくださいって、助産師さんが言っていたわ」
「お母さん」
わたしは起きようとしたけれど、お腹が痛くて動けない。
「花菜ちゃん、胸を開けて」
「うん」
わたしはいつの間にか着替えていた授乳用のパジャマの胸を開けた。
大地君がわたしに赤ちゃんを抱かせてくれる。
赤ちゃんがわたしの胸をチュッチュッと吸ってくる。
わたしの初めての授乳だ。
大地君がその様子をスマホで映している。
「尊いな」
「うん、幸せだわ」
お乳が出ているのか分からないけれど、赤ちゃんは一生懸命に胸を吸っている。
「花菜、今度は反対にするわよ」
大地君が一端動画を撮るのを止めると、お母さんが、赤ちゃんを抱き上げた。
赤ちゃんが泣き出す。
「おっぱいはごはんとおかずがあるのよ。左右、ちゃんとあげなくちゃ駄目よ」
「うん」
お母さんは、今度は反対側に回ると、わたしに赤ちゃんを抱かせてくれた。
胸を開けると、赤ちゃんはまた胸をチュッチュッと吸ってきた。
大地君が、また動画を撮りだした。
赤ちゃんは一生懸命に吸って、しばらくして眠ってしまった。
大地君は動画を止めると、写真を撮った。
ポケットにスマホをしまうと、洗面所で手を洗ってきてから、赤ちゃんを抱き上げたて、ベビーベッドに寝かせた。
「赤ちゃんが泣く度にオムツを見て、オッパイを吸わせるんだって。ママは大変だよな?」
「わたし、起き上がれないわ」
術中から、わたしの足には血栓予防のマッサージ器がつけられ動いている。
シュパーシュパーと音がする。点滴も一晩我慢らしい。
「赤ちゃんが泣いたらナースコールを押してくださいって言われたよ」
「そうなんだ?」
「俺、花菜ちゃんが入院中休みを取ろうかな?」
「赤ちゃんの世話をするつもりなの?」
生まれたての赤ちゃんは黒い胎便を大量に出すと母親学級で教わった。
夜間は助産師さんが預かってくれると説明された。
「自宅に帰った頃に、バテちゃうよ。夜は助産師さんが預かってくれるし、わたしも明日には動けるようになるんでしょ?」
「切ったお腹が痛いんじゃないかと思って」
「痛いかもしれないけれど、皆がしている事でしょ?」
「男にも産休制度があるんだぜ」
「社長補佐が休んで平気なの?」
「社長補佐だから取ってもいいかと思って。他の社員も取りやすくなるんじゃないかと思ってさ」
「社長はいいって言ったの?」
「もちろん、許可はもらった」
「退院してから手伝ってもらった方が嬉しいわ」
「退院してからも手伝うよ。食事や洗濯は任せておけ」
母は微笑んで帰って行った。
大地君は、30分おきに泣き出す赤ちゃんのオムツを替えて、わたしに抱かせてくれる。
就寝時間に赤ちゃんが保育室に連れられて行くと、自宅に帰っていった。
大地君は本当に休暇を取ってしまった。
翌日の朝に大地君は病院にやって来た。
わたしの診察が終わって、点滴も足につけた器具も外されて、起き上がる練習が始まった。
筋肉を切っているので、力も入らず、立っているのも辛いわたしの代わりに赤ちゃんのオムツを替えて、わたしに赤ちゃんを抱かせてくれる。
母乳で足らない分は、ミルクを飲ませてくれる。
わたしも日に日に母乳が出るようになってきた。ミルクを足さなくても足りているようだ。赤ちゃんが眠ると、赤ちゃんを抱き上げてベッドに寝かせてくれる。
毎日、持って来てくれる甘い卵焼きとオレンジをおやつに食べて、わたしも徐々に体調が良くなってきた。
「名前をどうしようか?花菜ちゃん、考えてある?」
「美来ってどうかな?美しい未来が来るって書いて『みく』よ」
「バーチャルゲームの主人公みたいだけど、可愛い名前だね」
「大地君は考えていた?」
「もしかしたら舞って名前にするのかと思っていたんだ」
「舞は生まれ変わって、新しい名前をもらえるとわたしは考えていたの」
「美来でいいよ。俺は舞で考えていた。死んだ子の名前をつけたら、やっぱり駄目だな。美しい未来がくるように美来にしよう。若瀬美来だ。響きもいい。役所に出生届を出してくるよ」
「うん、お願いします」
大地君は美来を寝かせると、リュックを片方の肩にかけて、部屋を出て行った。
「若瀬美来、いい名前だよね?」
わたしは体を休めるために、仮眠をした。
☆
名前が決まったら、若瀬花菜様の赤ちゃんから、ベビーベットにつけられた名札の横に美来ちゃんと名前が書き足されていた。
助産師さんや看護師さんも美来ちゃんと呼んでくれているようだ。
目をしっかり開けると、二重の大きな目になる。
ベビーフェイスも可愛い。
笑った顔も可愛い。
泣いた顔も可愛い。
わたしも大地君も、もう美来にメロメロだ。
大地君は「会社に行きたくない」と駄々をこねる。
わたしの回復も順調で、生後7日目で退院した。
お母さんは、お爺ちゃんのお世話をしていたようで、家にいた。お母さんとお爺ちゃんが、出迎えてくれた。美来を見て、みんな笑顔になる。
「大地さん、2週間くらいしかできないんですけど、その間、花菜とお父さんのお世話をしようと思うのだけど、このまま2週間住まわせてもらってもいいかしら?おしめを替える手伝いだけでも負担が減るんじゃないかと思って」
「助かります。お腹も切っているので心配だったんです。義母さんが来てくださるなら、花菜ちゃんも休めると思うので」
「お母さん、お仕事大丈夫なの?」
「花菜の出産の話はしてあったのよ。仕事量を減らしていた所だったのよ。産後は無理をしないように休んだ方がいいわ」
「奥の部屋を使ってください」
「ありがとうございます」
ベビーベッドは寝室に置かれていて、居間にはゆりかご付きのクーハンが置かれていた。
眠っている美来を真新しいクーハンに寝かせると、お母さんがわたし達のためにお茶を入れてくれる。
「食事と洗濯は、しばらくお母さんがしますね。お母さんがいる間に、ゆっくり休んでね」
「食事と洗濯くらい俺がしますから」
「大地さん、赤ちゃんは夜中でも容赦なく泣きますから、私がいる間に新しいスタイルになれてください」
「それなら、はい。お願いします」
お母さんが食事を作って洗濯もしてくれる。
懐かしい味だ。
お爺ちゃんはいつも食事を終わらせてしまうと、部屋に戻って眠ってしまうが、美来を見ている。
「可愛らしいの」
「そうですね。花菜の赤ちゃんの頃を思い出すわ」
「よう似ておるな」
大地君はお爺ちゃんとお母さんが美来を見ているところをスマホで写した。動画でも撮っている。
撮影を止めると、大地君はフォトアルバムの他にも1秒動画を作ろうとしているようだ。
「これからも美来や花菜ちゃんを撮って、美来の成長アルバムにしようと思っているんだ」
「すごいわ」
「日中の美来の様子は、頻繁に撮るつもりよ。わたしもフォトアルバム作ろうと思っていたの」
わたし達がダイニングで、ゆっくりお茶を飲んでいると、お爺ちゃんは「おやすみ」と言って自分の部屋に戻っていった。
お母さんに「そろそろ寝た方がいいわ。美来は明日もここにいますからね」と説得されていた。
わたしは先にシャワーを浴びて、濡れた髪をタオルで拭くと髪を梳かして、化粧品とドライヤーの置かれた北の部屋に行った。
母の荷物が置かれている。ミニ鏡台を開けて、化粧品をつけて髪を乾かす。
髪を後ろで一つに結ぶと美来の元に戻る。
そろそろお腹を空かせる時間だろう。
居間に戻ると、大地君がお風呂から出てきた。
「大地君、無事に赤ちゃんが生まれたからビール飲む?」
「そうだな。ずっと禁酒をしてきたからビールのこと忘れていた」
「赤ちゃんは、よく熱を出すってネットに書いてあったから、この際に酒を止めるか?突然の時に車が出せないと困るんじゃないか?」
「今日はいいんじゃない?お母さんもいるし」
「そうか、2週間、甘えさせてもらおう」
わたしは冷蔵庫の中から缶ビールを出して、大地君に渡した。
ぐずりだした美来のおしめを替えると、大地君はわたしに美来を抱かせてくれる。
「お腹空いたのね?」
美来は甘えるように泣いている。
乳を含ませると、一生懸命に吸っている。
美来はわたしの顔をじっと見ている。
「可愛いな」と言いながら、大地君は久々のビールを飲み始めた。
☆
美来が2歳の誕生日を迎えた後、わたしは二人目の赤ちゃんを授かった。今度の予定日は夏だ。
「美来、お姉ちゃんになるんだよ」
大地君が嬉しそうに美来に話かける。
「みく、おねえちゃんになるの?」
「ママのお腹に赤ちゃんができたんだよ」
「ママ、すごい」
「ママを大事にしような?」
「うん」
大地君と可愛らしく成長した美来は、わたしのお腹に触れている。
「美来、お姉ちゃんになる練習をしような?」
「する」
美来は大喜びをして大地君に抱きついた。
お爺ちゃんが嬉しそうに、その様子を見ていた。
お爺ちゃんは生活費として、施設に入っていた頃と同じ金額を、毎月入金してくれている。
生活は苦しくなくて、貯蓄に回せるほどだ。
大地君の釣り仲間は、時々遊びに来て、美来を可愛がりお小遣いを置いていってくれる。
美来の貯金も釣り仲間のお陰で、少しずつ貯まっている。
大地君は社長補佐から、社長になった。
貫禄が出てきたようだ。
わたしと美来の前では、優しいパパの顔で、毎日、定時に帰ってくれる。
ご飯もわたしと交代で作ってくれる。
大地君の料理は、趣味のようなものなので、わたしも美来も大地君のご飯に魅せられている。
・・・・・・・・・・・・
愛夫弁当に惚れました ~秘密の同居人~
これで完結とします。
読んでくださりありがとうございます。
愛夫弁当に惚れました ~秘密の同居人~ 綾月百花 @ayatuki4482
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