第5話 ロゼッタの初恋

「ねぇ、返してよ!」

「取れるもんなら取ってみろよ」

「魔法でとれるだろ? ニンジンあたま」

「ニンジンじゃない!」

 ロゼッタは、その赤い髪と同じくらい頬を染め、空色の瞳を吊り上げて怒りを露わにした。母さんに買ってもらった大事な鞄を、悪戯っ子が木の枝に引っ掛けたのだ。その枝までの高さは、ロゼッタの背丈の倍はある。精一杯背伸びをしたって到底届きそうになかった。


 魔法使いの国に生まれたにも関わらず、ロゼッタは全く魔法を使えない。

 周りの子供たちは程度の差さえあれど、蝋燭に火を灯す魔法や、にわか雨を降らす魔法、そよ風を連れてくる魔法など、皆何かしらの魔力を持っている。それにひきかえロゼッタは、魔力のまの字もなく、できることといえば、美味しいパンを焼くことくらいだ。だって小さい頃からずっと父さん母さんがパンを焼く様子を見てきたのだ。釜戸に魔法で火をつけることはできないけれど、美味しくなるパン生地の作り方は知っている。

 父さんや母さんは常々こう零す。

「うちがパン屋で、本当によかった」

「パンだったら、魔法が使えなくても焼けるからね」

 パン屋の跡を継げば、魔法が使えないロゼッタでも安心して暮らしていける、と。そして二言目にはこう言うのだ。

「おばあちゃんは偉大な魔法使いだったのにねえ」

 そう、読み書きや運動、なんでも誉めてくれる両親が唯一困った顔をするのが、魔法について話すときだった。

 だから、ロゼッタは魔法使いが嫌いだった。

 意地悪で、魔法でなんでもできることを鼻にかけている。彼らは魔法を使えるのが当たり前だと思っている傲慢な人間なのだ。ロゼッタは魔法なんて無くったって平気なのだ。魔法使いより時間はかかるけれど、一人でも火打石で火を起こせるし、バケツに並々と入った水をえっちらおっちら運ぶことも、母さんのとっておきの扇子で風を起こすことだってできる。そうやって十年間生きてきた。魔法なんかなくったって。

 木登りだって得意中の得意だ。今までも同じように意地悪をされたことがあったし、その都度自分で解決してきた。今日も、自分のものは自分で取り返すんだ。そう躍起になって木に登り始めた。

「うわ、アイツまた木登りしてる」

「落ちても知らねーぞ」

「うるさい! 落ちないもん!」

 悪戯っ子たちが囃し立てる中、大きな幹にしがみつきジリジリと上を目指す。手を精一杯伸ばした。あと少しで鞄の肩紐に手が届くところまで来たが、指先一本分だけ長さが足りない。もうちょっとだけ高く登れたら。片手を伸ばしつつよじ登ろうと足を動かした、そのときだった。

「あっ」

 ずるっと足が滑って、幹を掴んでいたはずの手も離れてしまった。上に向かって伸ばしていた方の手が咄嗟に枝を掴もうとして虚しく空を切る。ヒュッと心臓が縮むような心地がした。ダメだ、落ちる──そう思ったけれど、不思議とロゼッタの体は空中でぴたりと動きを止めた。えっ、なにが起こっているの?

「暴れんな、下ろしてやっから」

 下から聞こえてきた声の通り、ロゼッタの体はふわりふわりと、まるで花びらが舞い落ちるかのようにゆっくりと下りていった。トン、とロゼッタの足が地面を踏み締めた途端、ふっと全身から力が抜けそうになり足を踏ん張ってどうにか持ち堪える。

「ほれ」

 呆けていたロゼッタに、頭から爪先まで真っ黒に覆われた人が鞄を手渡してくれた。母さんに買ってもらった大事な、悪戯っ子の魔法で木の枝に引っ掛かっていた鞄だ。

「あっ、ありがとう」

 ロゼッタがお礼を言うと、真っ黒な人はニッと笑って「おう」と答えた。バサバサの短い黒髪、真っ黒のローブ、黒い瞳も神秘的で素敵だわ。ロゼッタは悪戯っ子のことなどすっかり忘れて、目の前の恩人をじいっと見上げた。

「ちょっと待て。髪に葉っぱがついてる」

 恩人は腰を屈めて葉っぱを取ってくれた。魔法使いなのに、なんて優しいのかしら。

「あの、あたしロゼッタ。あなたのお名前は?」

「私はクロウ。今日からこの西の街に引っ越してきた。よろしくな、ロゼッタ」

 クロウに呼ばれると自分の名前がなんだかとても素敵なもののように思えてきた。

「綺麗な夕焼け色の髪だ。もう無茶するなよ」

 ロゼッタがうっとりしたまま頷くと、クロウがやや言いにくそうに眉を顰めた。

「外じゃ珍しくもなんともねえが……ロゼッタ、お前はもう少し身を守る方法を考えたほうがいいな。お前さんはなんにも悪くないんだが、何かあってからじゃ遅い」

 クロウはその足でロゼッタを自宅まで送り届けてくれた。クロウに見惚れていたロゼッタは全く気づいていなかったのだが──あとから聞いた話によると、悪戯っ子たちはクロウがロゼッタを助けるための魔法に見入っていたが、クロウが「魔法をむやみやたらと人に向けるな」と凄むとそそくさとその場から逃げ去ったらしい。

 事の顛末を知ったロゼッタの両親はいたく感激して「娘を助けてくださったお礼に、毎朝うちのパンを届けますから!」と意気込んだが、クロウは即座に断った。

「毎朝は結構。ところで、娘さんのことですが」

「ええ、お察しの通りです。魔力を持たない者はシューニャという蔑称があるくらい、この国じゃ珍しく──ご覧の通り気の強い子でして、なかなか近所の子たちとは馴染めずにいます。この辺りに魔力を持たない子供が、他にいないものですから」

 なるほど、とクロウが顎に手をやった。

「娘さんを不要な魔法から遠ざけるために、一つ提案があります」


 数日後、クロウがロゼッタのパン屋を訪れた。ロゼッタが母さんに呼ばれて店先に顔を出すと、クロウから手を出すようにと促される。首を傾げつつ両手を広げれば、コロンと何かを手のひらに乗せられた。これは、と問う前にクロウが口を開く。

「これをロゼッタに。魔防石まぼうせきといってな、お前に向けて放たれる悪意ある魔法からお前の身を守ってくれる石がついている。ずっと使えるような作りにしておいた」

 クロウがくれたのはネジバネ式のイヤリングだった。シンプルで大人っぽい見た目のそれは、ロゼッタの瞳と同じ空色の石が嵌め込まれている。サイズ調整すれば大人になっても使えるだろう。十歳のロゼッタにとっては初めてのイヤリングだった。

「きれい──ありがとう!」

 イヤリングを両耳につけるようになってから、意地悪されることは減った。しかしそれは魔防石によるものだけではなかった。そんな暇がなくなったのだ。

「魔力の有無に拘らず、身を守る術があるに越したことはない」

 クロウの提案を両親が快諾したおかげで、ロゼッタは学校が終わるとすぐ、街外れの山の中腹にひっそりと建っているクロウの屋敷へ通うようになった。

 彼女はたくさんのことを教わった。体術に限らず魔法使い相手からうまく逃れるコツなんかも。

「無駄な力をなるべく使わずにその場を脱するべきだ。体術を使う相手には攻撃を受け流して無力化する動きを習得するのが一番で、魔法を使う相手なら呪文詠唱前に逃げるのが最善だが、間に合わなさそうなら石を拾って投げるなりして気を逸らすのも有効だな。でもお前に危険が迫れば私がすっ飛んでくるからな」

 それはあながち大袈裟でもなかった。魔防石には単に攻撃魔法を弾くだけでなく、有事の際にクロウがロゼッタの位置を特定して転移魔法で駆けつけることができるようになっているらしい。

「常に位置を確認とか、そんな面倒くせえことしてるわけじゃねえから安心しろ」

 それはロゼッタに魔法が向けられると反応するらしいが、ただでさえ魔法を使えないのだ。いくら仕組みについて説明されてもさっぱり理解できなかった。何しろロゼッタはこの頃既に学校でも、魔法の勉強に全くついていけていなかったのだから。

 魔力がなくとも身を守るために魔法の知識は必要だ。そう言って、クロウが懇切丁寧に教えてくれた甲斐あってか、魔法の実技はできなくとも座学では平均点を上回るほどになり、いじめっ子たちもすっかりなりを潜めた。

 ロゼッタは二人でお勉強する時間が大好きだった。クロウは口調こそ少し乱暴だがとても優しくて、繰り返し何度も根気よくロゼッタを指導してくれた。ロゼッタがわからないと言うとすぐに諦めて「魔力がないので仕方ありませんね」と呆れたような顔をする学校の先生とは大違いだった。

 二人きりでの勉強はクロウが弟子・見習い魔法使いを迎え入れる前日まで続いた。クロウに「明日から泊まり込みの弟子を取る」と言われたときは癇癪を起こしかけたけれど──弟子を取ってからも待たされることはあれど、ロゼッタの訪問をクロウが拒んだことはただの一度もなかった。ロゼッタは十五歳で学校を無事卒業すると、パン屋の仕事を本格的に覚えるためクロウの下で学ぶことは無くなった。十分な知識と護身術を身につけたとクロウからのお墨付きで。

 

 出会ってから六年の月日が流れた今でも、ロゼッタはお礼と称して焼きたてのパンを運んでいる。幼い頃は両親が焼いたパンだったけれど、今は自分で一から焼いた自慢のパンだ。ロゼッタは芳ばしい香りを漂わせながら今朝も山の中腹の屋敷を目指す。

 何より、大好きなクロウに会いたくて。

「おはよう、クロウ!」

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魔法使いの師弟 夢崗あお @yumeoka_ao

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