第4話 西の城にて

 城門をくぐった瞬間から嫌な予感がしていた。こちらを見てからのヒソヒソ声がいつも以上に多い。クロウは苛立ちを隠すことなく眉間に皺を深く刻む。このクスム国内の西の地方に移り住んでからというものの、出自が不詳だの、城に属さない野良魔法使いのくせに賢者連中に取り入ってるだの、魔力を持たざる者たちシューニャへ情けをかける偽善者だの、やたら顔の綺麗な弟子を取っただのなんだのと陰口が絶えることがない。思い当たることはいくらでもあり、噂されること自体には慣れているクロウでも、今日の異様な空気をひしひしとと肌で感じ取っていた。風を切るように早足で廊下を抜けて西の賢者の待つ執務室へと赴く。ノックをして扉を開いた瞬間、満面の笑みを浮かべる西の賢者に出迎えられた。

「まあクロウ。聞いたわよ〜、リオンに愛の告白をされたんですって?」

 顔を合わせて開口一番でそれか。クロウはため息を零したのち、怒りの矛先を変えて握り拳に力を込めた。

「ロゼッタめ、人のことを勝手にベラベラと……!」

「あら、その様子だと事実のようね」

「腹立たしくも事実ではありますが、すでに片がついた話です。これ以上、妙に話を広めるのはやめていただきたい。それと、見合いの話は相手に断っていただけたんですよね?」

 まあおかけなさいな、と西の賢者に促され、クロウは来客用のソファーへと足を向ける。続いて西の賢者もその向かいの席に腰を下ろした。

「そんなにカリカリしなくたっていいじゃないの。お見合いはちゃんと断ったわ。それに、弟子と恋仲になるなんてよくある話よ?」

「アレは未成年です」

 クロウがキッパリと言い切ると、西の賢者はひどくつまらなさそうな顔をした。

「あとたった一年じゃないの」

「私たち長命な魔法使いにとっての一年と、リオンのような子供にとっての一年は全く別物ですよ。アレにとっては大事な一年です。ところで、私は仕事の話でここに呼ばれたはずなんですがね」

 クロウがテーブルを人差し指で苛立たしげにトントンと叩く。 西の賢者が頬に手を当ててため息を零した。

「もう。雑談のひとつも満足にできないなんて、あなたもまだまだ青臭いわねぇ」

 西の賢者が喋っている間にポン、とティーポットが宙に現れた。次の瞬間には淹れたてのお茶の香りが辺りに漂ってくる。カップとソーサーがそれぞれ二人の前に置かれ、ポットが勝手にお茶を注いだ。呪文や杖を振るなどの予備動作なしで、しかも喋りながら繰り広げられるこれは、西の賢者の魔法によるものである。クロウが平然とした顔で出された熱いお茶に口をつけたのは、賢者やクロウにとっては大したことではないからだ。しかしごく平均的な魔法使いにとってはそうもいかない。この魔力の高さや賢者たちと渡り合える胆力こそがクロウがやっかみを買う理由のひとつでもあるのだが、残念ながら本人は気づいていないようだ。

「ええ、ええ、なんとでも。で、本題は?」

「他でもないあなたに、お願いがあるの。言っとくけどお見合いじゃないわよ?」

 うへぇとクロウが顔を顰める。この回りくどい話ぶり、明らかに面倒な〝お願い〟に決まっている。

「ねえ、賢者やらない?」

「…………は?」

 ねえ、お茶にしない? 程度の軽い誘い文句に一瞬クロウは思考停止する。

「けんじゃ?」

「そう、賢者。私もそろそろ引退したいのよ」

 西の賢者がそう言った直後、水の精霊ウンディーネが音もなく姿を現した。虹色に光る小さな体は人を真似ているが、男か女かわからない中性的な容姿だ。クロウは西の賢者の肩の上にちょこんと座っている水の精霊ウンディーネへと視線を移した。

水の精霊ウンディーネ様もご存知だったのですか」

「もちろん」

 水の精霊ウンディーネは西の賢者の肩からテーブルの上にぴちょんと水音をさせながら飛び降りて、じいっとクロウを見上げた。

「でも、ぼくは反対してる。だってきみ、イヤなんでしょ」

 えぇ〜っ、と駄々っ子のように残念そうな声を上げたのは西の賢者である。

「二人で説得しようって言ったじゃない」

 いやいやと水の精霊ウンディーネはかぶりを振った。

「あの子の魔力もぼくの魔力に反発してる。これじゃ契約なんて結べっこないよ」

水の精霊ウンディーネ様の仰る通りです。いにしえからの掟でしょう、『使い魔契約は、精霊または妖精と魔法使い、双方の同意のもと行われなければならない』──私には無理です」

「別に今すぐだなんて言ってないじゃない。あなたの弟子が独り立ちしたあとよ。他の三賢者たちへ話す前に、まずはあなた本人の同意を得ないとと思って」

「いずれにせよお断りします。私は賢者なんてタマじゃないし、今の暮らしで十分」

「ね、ぼくの言った通りだったでしょ」

 水の精霊ウンディーネは西の賢者の方を振り返ってふふんと得意げに胸を張った。クロウはすっかり臍を曲げている様子の西の賢者に畳みかける。厄介な話ばかりでもううんざりだ。

「話はそれだけですか?」

「いいえ。もうひとつ、こっちが本題よ」

 急に西の賢者の纏う雰囲気がピリピリとしたものに変わる。ぴゃっと飛び上がった水の精霊ウンディーネは、そのままパシャッと水が弾けるような音を立ててその姿を隠した。

「あなた、イーシュワラ王国について何を調べ回っているの?」

 西の賢者が冷たく言い放つ。クロウは何食わぬ顔で空になったカップを置いた。

 イーシュワラ王国というのは、このクスム国から西に位置する国である。ほぼ鎖国状態だった排他的な国ではあるが、ここ十年ほどで急に交易を盛んに行うようになり首都は随分と裕福になったという噂だ。一方で辺境に住まう農民たちは未だ貧しい暮らしをしており貧富の差が激しいという話もある。一番の特徴といえば、昔から王家が魔法そのものを毛嫌いしており、魔力を持つ者が迫害されているという点だろう。元が排他的な国である。他国との交易が増えた現在でも閉鎖的な思想が染み付いているんだろう、はるばるクスム国へ亡命してくる者も多い。魔力を持つ者を迫害しているイーシュワラ王国と、クロウたちのような魔力を持つ者が国民の大半を占めるクスム国は敵対関係にあるといっても過言ではない。クスム国は千年以上前に永世中立国であることを宣誓しているため戦争になることはないが、お互いの国政には一切関与しないことが暗黙の了解となっている。

「私が個人的な理由で何をどう調べようと、あなたには関係ないでしょう」

「本当に個人的な理由ならね。あなたも知っている通り、イーシュワラからの亡命者は後を絶たないわ。我々は魔力を持つ者を拒まないけれど、それはあくまで亡命してきた者、各個人を受け入れているだけ。国同士の対立は避けるべきよ」

「心配ご無用、単に知識欲を満たすために過ぎませんから」

 うんざりした顔を隠そうともしないクロウに、西の賢者は嘆息した。

「いくらあなたが城専属の魔法使いでないにせよ、相手から見れば魔法使いは魔法使いなの。ましてや、運び屋のジャックを使ってまで調べるなんて、間者と思われてもおかしくないわ。そうなると、あなた個人の問題では済ませられなくなる。いい? 〝眠れる獅子は起こすべからず〟よ」

「わかっています」

「お願いね」

 西の賢者の言葉を待っていたかのように、タイミングよく扉がノックされた。部屋の外で待機していた従者が恐る恐る顔を覗かせる。

「なあに? 来客中よ」

「お話中大変恐れ入ります、賢者様。亡命者の仮設住居が満員になった件について、現場責任者よりご相談があるとのことです」

「わかったわ、五分だけ待ってちょうだい」

 従者が下がったことを確認してからクロウが口を開く。

「お話は以上で終わりですね? 私はおいとましてもよろしいですか」

「そうねぇ……あっ、もしかしたら、また仮設住居建設のお手伝いをお願いするかもしれないわ」

「はあ、それは構いませんが……」

 先ほどまでの検のある口調とは打って変わって、西の賢者がにこやかに笑った。

「よかった。また伝書鳥を飛ばすわね」

 ではまた、と会釈したのち、クロウは西の賢者の執務室を後にした。

 再びヒソヒソ声と好奇の目に晒されつつ城門を抜け、転移魔法で帰路につく。玄関先に姿を現すと、庭で剣の稽古をしていたリオンが汗を光らせながら笑みを向けた。

「おかえりなさい。早かったですね」

「ああ、ただいま」

「てっきりそのまま賢者様の依頼で出かけるのかと」

「単に話を受けただけだ」

「話ってお見合いの?」

「いんや。賢者にならないかと打診された」

「けっ……けんじゃ?」

「断ったがな。というより、そもそも水の精霊ウンディーネ様の御眼鏡に敵わなかった」

 肩をすくめる師匠を目にして、リオンはタオルで汗を拭きながらほっと息を吐いた。

「そうですよねぇ。師匠の一番の得意魔法は火の魔法ですし、どうせ契約を結ぶなら火の精霊サラマンダー様とがいいんじゃないですか?」

「たとえ火の精霊サラマンダーでも風の精霊シルフでも、土の精霊ノームだろうが同じことだ。賢者国のトップなんてタマじゃねえよ」

 クロウはリオンの言葉を軽くいなして玄関の扉を開いた。リオンも剣を片付けてそれに続く。文句を言いつつもクロウは西の賢者からの呼び出しを断ったことがない。

「そういえば、この家って西の賢者様のツテなんでしたっけ?」

「ああ。厳密に言えば、西の賢者から借りている」

「えっ、ここ借家なんですか⁉︎」

 リオンが驚いたのはクロウが自由に家のあちこちをいじっているからに他ならない。壁に穴を開けることはザラで──それはクロウだけに限らず、リオンがまだここに来て間もない頃、魔法に失敗して開けてしまったこともあった──扉を外したり増やしたり、庭も畑にしていたりと、とても借家とは思えないほど好き放題やっている。

「蔵書の管理さえすれば、他は好きにしていいと言われているからな」

「なるほど」

 リオンは以前焦がしたまま修繕をしていないキッチンの壁にチラリと目をやった。

「もしかして、いくらでも本を読めるからここを借りたので……?」

「まあそうなるな。お前も知っての通り、ここの地下の書庫は魔法書の宝庫だ」

 街の人も時々貸出を求めてやってくるくらいだ。いわば図書館のような扱いになっている。

「西の賢者曰く、知識は独占すべきではない、共有すべきである、だとさ」

 汗がひいたリオンは水道からコップ一杯の水を汲んで一気に煽った。

「お茶でも飲みます?」

「ああ──三人分用意してくれ」

 クロウが言った途端、カランコロンと来客を知らせるベルが鳴った。

「こんにちは、クロウ。ついでにリオンも」

「なんだ、ロゼッタか」

「なんだとはなによ、失礼ね」

 失礼なのはどっちだよ、と〝ついで〟扱いされたリオンが内心呟く。口にすると言い返されるのが目に見えているので、賢明な彼は黙ったままやり過ごした。

「ロゼッタ、そこに座れ」

 クロウはロゼッタに来客用のソファーではなく、二人掛けのダイニングテーブル、つまり自分の向かいの席へ座るよう促した。蚊帳の外に追いやられたリオンは二人にお茶を出したあと、自分のカップを手に大人しくソファーに腰掛ける。

「お前なぁ……人のことを面白がってベラベラと喋り歩く癖をどうにかしろ!」

「面白がってなんかないわよ。あたしがクロウのことを大好きなのってみんな知ってるから、お見合いの話が出て心配してくれてたの。だからね、気にかけてくれたみんなにクロウがお見合いを断ったってことをちゃんと報告するってのが筋じゃない?」

「待て、論点はそこじゃない。いやそれも問題なんだがお前自身のことはまあ、一度横に置いておく。そうじゃなくてだな、リオンのことまでベラベラじゃべる必要がどこにある?」

「え? リオンの馬鹿が振られたってこと?」

「ロゼッタ、今なんて」

「お前は黙ってろ」

 今度は〝馬鹿〟呼ばわりされたリオンが思わず口を挟むが、クロウに凄まれてしおしおと引き下がった。

「見合いの話が漏れるのは時間の問題だった。そこはいい。だがな、リオンがトチ狂ったことを言いやがった醜態を周囲にばら撒くこたぁないだろうが‼︎」

 〝トチ狂った〟〝醜態〟、なんて言い草だ。リオンはそれでも文句を飲み込んで唇を噛んだ。

「だってクロウ相手に真正面から告白するなんて愚かな真似、笑い話にしてあげないと可哀想じゃないの。それに、これはリオンとあたしの作戦でもあるのよ?」

「いやロゼッタ、それは」

 いいからアンタは黙ってて。ロゼッタは目線だけでリオンを黙らせて再び口を開く。

「弟子に懸想されていることがわかれば、お見合い話だって少しは減るはずだわ。いくらクロウが人気でも、既に相手がいる可能性があると知ったら諦める奴らもいるでしょう。師弟が夫婦になる話も珍しくないしね」

「そもそも私は伴侶を得るつもりは」

「ハイハイハイ、それ耳が腐るほど聞かされたわ。いい? いくらクロウが独身貴族宣言しようが、そうは問屋が卸さないってことよ。それだけあなたが魔法使いとして認められてるってことでしょ。嬉しくないの?」

「所詮魔力でしか人を見らん連中に好かれて嬉しいわけあるか」

 そう言い切ったクロウに、ロゼッタは頬を染めてほう、と息を吐いた。

「さすがだわ。それでこそあたしの大好きなクロウ」

「……まあいい、お前の意図はわかった」

 ロゼッタはうっとりと惚れ惚れした様子で、 やや鬱陶しげに顔を歪めたクロウを見つめる。

「ねえクロウ、あたしにしない?」

「「は?」」

 クロウとリオンの声が重なった。

「あたしやっぱり、出会ったあの日からあなたのことが好き。心から愛しているの」

 あたしたちの出会いってやっぱり運命的よね。ロゼッタが夢見心地でそう呟いた。

 

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