第3話   怒りの精霊王



「目を覚ませ!」



 無理矢理、体を起こされて、エリザベートは呻きながら目を開けた。


 痛みに肩で呼吸をしながら地面に座ったまま、国王陛下と向かい合った。


 せっかく整復した肩の関節は、簡単に抜けてしまった。


 痛みに頭がクラクラする。


 スカートを捲られて、動く方の手でスカートの裾を引っ張る。



「足の傷は自分で治したのか?」



 エリザベートは頷いた。


 スカートはエリザベートの血で赤黒く変色している。穴も3つ空いている。



「腕は折れたのか?」


「折れてるし、脱臼もしているの。上空から突然落ちたのだから、怪我もするわ」


「骨折は治せないのか?」


「できる事とできない事があるって、話したわ」


「鞭の傷は治せないのか?」


「治せない」


「爪を剥いだら?」


「無理よ、いやーっ、やめて、ああああっ!」



 固定していない手を数人で捕まれて、人差し指の爪を器具で掴まれて捲られる。


 じりじりと……。


 めきめきと……。


 痛みで意識が遠のく。


 身をよじり、呼吸が乱れて、怒りも絶望も悲しみも湧いてくる。


 カチッとエリザベートの人差し指の爪が地面に落とされて、指先から血が滴る。



「……わたしに何を求めているの?」


「雨を降らせろ」


「こんな精神状態でできるか分からないわ」


「やれ!できなければ爪は全て剥いでいくぞ」



 エリザベートは唇を噛みしめて、慈愛の雨を降らせようとしたが、雨は降らなかった。



「何をしている?まだ雨は降っていないぞ?」


「降らせるわ」



 憎しみの雨なら降らせられるかもしれないと思った。


 もう一度、願ってみる。


 全て枯れればいい、そう願ったら雨が降った。


 国王陛下は雨を見て満足したようだった。



「毎日、降らせろ。水瓶が枯れている」



 雨はエリザベートの心の中のように、土砂降りになった。


 命を削るような憎しみの雨は、王家の水瓶に溜まって行く。


 池にも土壌にも……。


 人が飲む為の水瓶にも……。


 みんな死んでしまえ。


 エリザベートは、祈り続ける。


 もはや聖女ではない。


 優しげな顔は怒りに満ちて、白銀の髪は大きく膨らみ、白磁のような肌は輝いている。


 死を覚悟し、全てを破滅させるための祈りの力は、どの力より漲っている。



 +++



 一晩中、駆けて、やっとシュタシス王宮に到着した。そのまま馬で王家の墓の近くにある森の中に入っていった。


 馬は走りすぎて、倒れそうだ。


 それでも、湖まで走ってくれた。


 馬から下りると、湖に精霊王が立っていた。



「エリが、エリザベートが、襲われて、誘拐されたようなんだ。僕にはあの地は遠すぎて行く事もできない。エリは無事ですか?リーネは死んでしまったのですか?」



 コルが泣きながら精霊王の所に飛んで行った。



「主は足に怪我をして、リーネと一緒に地面に落ちたの。いっぱい、血が出て……ありがとうって。もう駄目かもしれないって」


「我が子、コル、よく無事に帰ってきた。王子、コルを連れ帰ってくれて感謝する」


「そんな事より、エリは生きているのか?」


「まだ生きておるが、意識は酷く弱っている」


「リーネは死んだのか?」


「まだ生きておるが、かなりの深手を負ったようだ。我が子がリーネを呼べば近くに行けるはずだが、我が子は誰も呼んでおらん」


「このまま放っておいたらエリは死んじゃうんじゃないのか?」


「おそらく、数日の内に死に絶えるだろう」


「精霊王、僕にも神獣をくれとは言わない。貸してください。エリを助けに行きたい」



 プリムスは必死にお願いした。



「心優しい、エリを死なせるものか」


「勇敢な戦士よ。我が子を救ってくれ」



 湖面の上を漆黒の猫が走ってくる。



「名を授けよ」



 凜々しい男の声がした。


 プリムスの脳裏に名前が浮かび上がる。



「アムル」


「よかろう。すぐに向かうぞ」



 アムルはリーネのように体を大きくした。


 その背に跨がる。


 瞬間移動でイリス地区の国境地帯に来ていた。


 国境を跨いで、大雨が降っている。



『この雨は邪悪な雨だ。雨に触れるな』


『エリが降らせているのか?』


『人を殺すための雨だ。彼女に何か遭ったのだろう。どこへ飛ぶ?人の子よ』


『エリがいる場所に』


『また厄介な。居場所を探す』



 アムルは国境の手前で浮かんだまま、じっと動きを止めた。


 エリザベートの居場所を探しているのだ。



『僅かな声でも聞こえれば』


「エリ、僕かリーネを呼んでくれ」



 プリムスは大声を出した。



 +++



 水瓶に水が溜まっていく。


 男は悦び、口を開けて、雨を浴びる。



「不味い水だ」



 水たまりより濁った雨は汚水の味がした。


 田畑の野菜が見る見るうちに枯れていく。


 男の顔に黒い斑点ができはじめた。無性に頭が痛い。



「あなた雨よ」


「来るな」



 男は妻に声をかけたが、遅かった。


 見る見るうちに、妻の美しい肌に黒い斑点が浮かんできた。



「何だか気分が悪いわ」



 夫婦は家に戻った。


 家の中には、子供も老人もいた。


 男の弟が「その顔はどうした?」と聞いた。



「まさか、黒死病じゃないだろうな?」



 隣国を襲った疫病である黒死病は、この国にもミミス王国から逃亡してきた民がいた。


 国境地帯で、黒死病はバコーダ王国の民も感染を起こして、多少なりと死者を出した。


 その疫病と同じ顔をしている。



「おい、こっちに来るな」


「おとう、おかあ」



 子供が両親めがけて駆けていく。


 子供を抱き留めた夫婦は、我が子を見て、悲しげな目をした。


 見る間に子供の顔に黒い斑点が広がっていく。


 男の弟は、逃げ出した。けれど、雨が体を濡らすと、肌が黒い斑点に冒されていく。



「雨だ。雨が疫病を広げている」



 逃げ場所はどこにもないことを知った。


 そこら中で、黒死病に罹った民が歩いている。



 +++



 やっと雨が降った。


 約1年前に大金でミミス王国に売ったシュタイン王国の第三王女であるエリザベートには、聖女の噂があった。約3年前に誘拐して、いたぶり尽くしても聖女の力を微塵も見せなかった。だから隣国に高額で売った。


 その地で聖女の力を見せれば、ミミス王国を討ち聖女を取り戻すつもりだった。


 だが、ミミス王国でも、聖女の力は見せなかった。


 そんな時、エリザベートはミミス王国から追放された。


 エリザベートが追放された頃から、変な病気が流行りだした。


 まさか、エリザベートが疫病を封じていたのかと思った程だった。


 エリザベートは、同盟国だったシュタシス王国に保護された。


 ある日、空が虹色に染まり光りの雨が降り注いだ。


 その日以来、黒死病は回復して、疫病は消えてなくなった。


 突然、ミミス王国との国境に高い壁がそびえた。


 シュタシス王国が国境を作ったのだと思った。展望台を作り、ミミス王国を覗くが、エリザベートの姿を見ることはなかった。


 やはり聖女はいないのか?


 それでも、聖女の力がなく、この地を清浄に清められるか?


 それから、展望台で、国境地帯を観察した。


 エリザベートが一人で飛んでいるところを見たのは、あの日が初めてだった。


 やはりエリザベートは聖女だったのだ。


 聖女なら神獣を従えていてもおかしくはないと思った。姿を消すこともできるならば、次のチャンスはないと思った。


 エリザベートと神獣をめがけて、数十人が一斉に発砲した。


 僅かにでも、意識があれば良しとした。


 バコーダ王国は土地が痩せていた。


 聖女の力を少し貸してくれるだけでいい。


 最悪、死んでいてもいいと思った。


 その体を地中に埋めても地域が潤うと思っていた。


 エリザベートは、二年間の拷問にも耐えて、聖女の力は使わなかった。それほど意思が強いのだと思っている。


 爪を剥がされる時だけは、少女らしく泣いていた。


 それほどの痛みがなければ、聖女の仮面は外れない。



(上手くいったではないか)



 神獣を殺して、傷を負ったエリザベートの爪を剥いだだけで、今回は雨を降らせた。


 やっとこの地が潤う。


 水瓶から、水をすくって、飲んでみた。



「なんと臭い」



 聖女の水ならば、うまいと思っていたが、これほど不味いものなのか?


 喉を通った水は、腹の中に染み渡っていった。


 不味いが、喉は渇いていた。


 一気に水を飲み干して。やはり不味い水だと思った。


 胃がムカムカする。


 こんな不味い水ではなく、もっとうまい水が飲みたい。


 文句を言ってやりたくなった。


 もう一枚、爪を剥いでやろう。


 急いで、牢屋に足を運んだ。


 エリザベートは、じっと祈っていた。



「おい、こんな不味い水ではなく、うまい水を出せ」



 パチンと足を鞭で打つと、エリザベートは顔を上げた。


 瞳が光っていた。



「水が欲しかったのでしょう?雨は降らせているわ」


「こんなに不味い水など要らぬ」


「そう、じゃ、雨は要らないわね」



 そう言った途端に、雨の音は消えた。



「わたしの大切なリーネを殺して、わたしも捕らえて、昔みたいに爪を剥いで従わせるつもりなのでしょう。この地は、もう終わるわ。あなた、自分の顔を見た?黒い斑点が出ているわ。黒死病ね」



 エリザベートは、声を上げて笑った。



「なんだと!」



 バコーダ王国の国王陛下は牢屋を出て行った。



「リーネ、生きている?契約はもうすぐ終わるわ」


『主、まだ早いぞ』



 暗い牢屋の中を見てもリーネの姿はなかったが、リーネの声は聞こえた。


 手を彷徨わせて、リーネを探していると、右手にリーネが触れてきた。



「リーネ、生きていたのね?」



 エリザベートは、リーネを抱きしめた。けれど、その毛皮は濡れていた。


 ぬるりとした感触は、血であろう。



「すぐに治療をしなくては」


「エリ!生きている?」


「プリムス、どうして?」



 プリムスは座っているエリザベートを包みこんだ。



「どこを怪我したの?」


「足は自力で血を止めたわ。左肩を脱臼して、腕が折れているわ。右手の人差し指の爪を剥がされたわ」


「傷の手当ては後だ。ここから戻ろう」


「リーネに跨がれないわ。こんな怪我をして可哀想に」 


「僕も精霊王様に神獣を借りてきたんだ。こちらにおいで」


「動けない」



 エリザベートは、諦めたようにプリムスを見上げた。


 もう力が出なかった。


 座っているのも辛いのに、立ち上がることなどできない。



「ごめんね、プリムス。一緒に国を創るって約束したのに」


「何を言っているんだ?」



 エリザベートの体が倒れていくときに、温かな毛皮が肌を撫でた。



「王子、主を抱き上げよ」


「ああ」



 プリムスはエリザベートを抱き上げて、アムルに跨がった。



「アムル、精霊王様の所に連れていって」



 エリザベートは、アムルにお願いした。



「我が主、了解した」



 その瞬間、精霊王の湖に到着していた。



「プリムス、ありがとう」



 エリザベートはプリムスの頬にお礼のキスをした。



「お礼が欲しくてしたわけじゃないよ」



 プリムスは頬を赤くして、照れている。


 そっとエリザベートを地面に下ろした。



「リーネ、ここに来て」



 そこにリーネが寄ってきた。


 エリザベートはリーネを抱きしめてから、リーネの傷を視た。


 弾が体の奥深くに留まっているのを視て、エリザベートは涙を流す。


 エリザベートの今の力では取り出せない。


 でも、もしかしたら全ての力を使ったら治せるかもしれない。


 エリザベートには、自分の残りの命の量が分かっていた。


 このままでは、早ければ数時間後には死んでしまう。長くても1日持つだろうか?


 残りの命の灯火を使えば、リーネを助ける事ができるかもしれない。


 迷いは無かった。


 エリザベートは血に濡れたリーネを抱きしめた。


 一人と一体の体が輝き出す。



「どうか生きて」



 大量の銃弾がリーネの体からこぼれ落ちて、傷が治っていく。



「……主」



 リーネの悲しげな声がした。


 バサリとエリザベートの体が地面に倒れた。


 リーネはエリザベートの涙で濡れた顔を舐める。



「どうしたんだよ?……リーネ?……エリは?……エリはどうなったの?」



 プリムスは、一歩、一歩、エリザベートとリーネに近づく。



「死んだ」



 リーネが静かな声で言った。



「……そんなの。今まで生きていたじゃないか」


「主は、我の命を救う為に全ての力を使ったのだ」


「嘘だ!エリ!ああああっ!エリ!死んだなんて嘘だ!」



 プリムスは地面に横たわるエリザベートを抱きしめた。


 胸に耳を当てると、鼓動の音が聞こえない。


 聞こえるのは、湖に流れる滝の音と小鳥のさえずりだけだ。


 悲しみが全身を震わせる。



「どうして死んでしまったんだ?精霊王様、酷いじゃないか?やっと、ここまで連れてきたのに。神獣を助けるために殺してしまうなんて」



 プリムスはエリザベートを抱きかかえて、精霊王を見上げる。


 精霊王は悲しげな顔をしていた。けれど、精霊王の手には輝く球体を持っていた。



「王子、我が子をもらうぞ」



 エリザベートの体が上空に浮いていく。


 精霊王がエリザベートの体を抱きしめた。



「我が子よ、最後の力を使ってリーネの治療をした優しい我が子、死ぬのはまだ早いぞ」



 手の持った球体をそっと額に近づけると、美しい輝きを持った球体は額に吸い込まれていった。


 精霊王はエリザベートの額にキスをした。



「魂はエリザベートの元に戻ったであろう」


「エリは生きているのか?」


「生きておる」



 精霊王はプリムスの腕に、エリザベートを抱かせた。


 プリムスはすぐに耳を胸に寄せて、鼓動を確認した。


 しっかりとした拍動を感じられた。


 生きていると実感できると、プリムスは精霊王に失礼な言葉を並べたことを思い出した。



「精霊王様、エリザベートを助けていただきましてありがとうございます」



 プリムスは涙をこぼした。



「エリザベートは、我が子だ。リーネも我が子。我が子を救った我が子を助けるのは当然の事だ」


「それでも、ありがとうございます。僕にとってエリザベートは愛する人です」


「そうか。無茶をさせた」



 プリムスはエリザベートを大切に抱きしめた。



「精霊王様、アムルを貸していただきありがとうございます。お陰でエリザベートを救うことができました」


「バコーダ王国は我が子が破滅させた。黒死病が蔓延している。体調が回復したら、我が子と話し合うといい。我が子はシュタイン王国の第三王女である。国を建て直すか、それとも王子と共に帝国でも作るか?それまで、私が国の様子を見ていよう」


「精霊王様、ありがとうございます。エリと話し合います」


「さあ、我が子を休ませてあげなさい。魂を戻し生気を与えたに過ぎない」



 スッとエリザベートの寝室に立っていた。


 コルがブランケットを持ち上げている。



「主を寝かせて。医師に怪我を診せて。治療が必要よ」


「ああ、分かった」



 プリムスは急いでエリザベートの寝室から出て行った。


 子猫の姿になったリーネとアムルがエリザベートの枕元に丸くなった。コルはエリザベートの髪を撫でている。

 


 

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