第5話 恩返しのために
「エリザベート嬢、今日は少し時間をくれないか?」
「はい」
朝食後のお茶の時間に国王陛下に声をかけられた。
「今日は洋服屋が来る」
「洋服屋ですか?」
国王陛下はニコリと笑って、叔母様もどこか楽しそうだ。
「秋も近づいたでしょう?それに日焼け予防の洋服を準備するのを忘れていたわね」
「叔母様、一度、イリス王宮に行ってからでもいいですか?」
「ええ、いいわ。洋服屋は10時頃来るそうよ」
「それまでに、戻って来ます」
お茶を飲み干して、頭を下げるとダイニングルームから出て行った。
国王陛下は、今日から鉱山の工事を始めるそうだ。一度に二カ所を始めるようで、国に御触れを出して参加者を集めていた。
宝玉だけでは、金で加工ができない。金だけでも装飾品はできるが、宝玉があった方が栄えると結論が出たようだ。
リーネのように魔術で石を掘ったりしないので、時間はかかるだろう。
国境のコンクリートの壁も在庫が無くなってしまったので、その製造もしなくてはならない。
シュタシス地区は産業に溢れている。
エリザベートはまず、イリス王宮に飛んだ。
炊き出しの列ができている。河川工事の騎士団と共に、炊き出し班の半分が一緒に出かける。
河川工事の現場には、民が自宅に戻らずに野営している。
直ぐに人気の無い場所で地上に降りて、プリムス達が食事をしている場所に行く。
「おはようございます」
「おはよう」
いつも思うが、二人は息がピッタリだ。
「今日も暑いね」
「朝から、この暑さは凶暴だよ」
「軍服を脱ぎたいよ」
二人は長袖の軍服を着ている。
見るからに暑そうだ。けれど、きっと急な戦闘になった時は、この軍服は肌を守るのだろう。腰に下げられた剣は、飾りでは無い。
「今日はどうするの?」
「河川工事と一部の騎士と赤い花の田畑を探すよ」
「地図に印を付けておかないと」
『あら、そんなこと簡単よ』コルが地図の上で飛んでいる。
『どうするの?』
『印なら、付けてあげるわ』
コルがくるんと回転すると、地図に赤い印ができた。
『そこを耕して』
『コル、すごく助かる』
プリムスとエルペスが声を揃えて答えるのを見て、エリザベートはクスクスと笑う。
「息がピッタリだわ」
『そうね』
コルもコロコロと笑う。
二人は顔を見合わせて、やはり笑った。
「僕の乳母はエルペスの母なんだよ。兄弟みたいに育ってきたから、きっと似ているんだと思うよ」
「へえ、そうなんだ」
『畑を耕したら教えて、麦を植えるわ』
『コルが植えてくれるのか?』
『最初の種は提供するわ。後は、自分たちで種まで収穫するのよ。他の野菜も植えるわ。春になったら米を植えるから、その場所は春に収穫が終える物を植えるわ』
「そうしたら、わたしが慈愛の雨を降らすわ」
『そうね、そうしたらきちんと根付くと思うわ』
コルはコロコロと笑う。
「そろそろ出発だ」
「行ってらっしゃい」
『行ってらっしゃい』
二人は一緒に立ち上がると、炊き出しの所で器を洗い、手を振った。
エリザベートも手を振り返した。
「さて、わたしも」
炊き出し班の騎士に「肉は要りますか?」と聞く前に、「今日は猪を10頭ください」と手を捕まれた。
「猪ですね」
「直ぐに準備をします」
手に鋭利なナイフを持った騎士が五人来た。
庭に、リーネが猪を10頭並べる。
「今夜は猪鍋の予定なんです」
「夜は涼しくなってきましたからね」
「そうなんですよ。寒暖の差が出てきて、夜は暖かい物が好まれるのですよ」
「でしたら、猪ばかりでもいいのかしら?」
「いいえ、熊は獣臭いですが、血抜きをすれば、立派な肉ですのでご馳走です」
「分かりました。では、わたしはこれで」
「今日もありがとうございました」
騎士達は猪を捌く手を止めて、頭を下げてくれた。エリザベートも頭を下げた。
『リーネ、行くわ。10時まで時間があるわね。その間に、狩りと薬草集めよ』
『薬草なら、この地区にもあるわ』コルがコロコロ笑う。
『お肉はどれくらい残っているの?』
『ずいぶん減ったな。猪の消費が多いな』
『では、行きましょう』
人の気配の無い場所まで歩くと、エリザベートの姿も消えた。
+++
エリザベートは山の中で、コルと薬草を採っていた。食べられる野草やキノコも取っておく。
寒くなれば、食べ物不足になってくる。供給が減る可能性も出てくる。その時に出せるように、溜めている。
エリザベートがコルと薬草を採っている間に、リーネは狩りをしている。
+++
「浄化」
山から部屋に飛んだら、靴も洋服も汚れていて、寝室の床が汚れてしまった。
仕方なく、強制的に綺麗にしてしまう。
(できたら、ブーツが欲しいわね)
医療ボランティアをしていた時は、ブーツを履いていた。
足元のよくない道を歩くことも多くあったので、エリザベートの日常はブーツに平民の服が多かった。家族もそれを許してくれていた。護衛の騎士は必ず付き添っていたが、誘拐された時は、護衛の騎士は撃たれた。
それを救おうとした時に抱えられ、触れることすらできなかった。
騎士が生きているか死んでいるかさえ分からずにいたけれど、きっとその時は生きていたのだろう。
王宮に戻り、誘拐された事を告げられたのだから、その後は、きっと……。
過去を思い出していたら、『主』とリーネの声がした。
『定刻であるぞ』
「急がなくちゃ」
急いでリーネを抱えて、王宮内を早足で歩き、サロンの扉をノックする。
「エリザベートです」
「入っていらっしゃい」
シェロ叔母様の声がした。
扉を開けると、洋服屋が来ていた。
叔母様とモリーとメリーがいた。
「エリザベート、日焼け予防の洋服と秋冬用の洋服を仕立てましょう。後は、乗馬服を仕立てるように言われているのだけれど、そんなに乗馬が得意なの?」
エリザベートは、引き攣った笑みを浮かべた。
さすがに、ワンピースにドロワーズでは、お転婆すぎてみっともないのかもしれない。
「できれば、上着の長いタイプでお願いできますか?ワンピースの代わりになるような物がいいです。それとブーツも欲しいです。これからイリス地区では作物を植えるので」
「まあ、そんなことをしているの?」
叔母様は呆れていた。
「主人が心配するのも分かったわ。作業服の女性用を作ってもらいましょう。手袋と帽子も要りますね。日焼けが酷いと言っていたけれど、今は綺麗ね?」
「ええ、自分で治したので」
「もう、お姉様が知ったら、叱られてしまいそうね」
「叔母様、わたし、国にいるときから、医療ボランティアをしていたので、平民が着る洋服を着て、足元が悪い場所を歩いていたので、いつもブーツを履いていました。今更、母が知っても驚きません」
「エリザベートは、もう年頃なのよ。少しはお淑やかになって。ドレスも作っておかなくてはね」
「ええ、でも、今いる物だけで十分ですわ」
「遠慮はしなくてもいいのよ。我が子同然ですもの」
叔母様は女の子が着ても恥ずかしくない作業服をデザイナーに何枚も描いてもらって、そこから一緒に選んだ。色もお洒落な布をあてがって、顔色のよく見える物を選んでくれた。手袋もブーツも帽子もお洒落なデザインを描いてもらった。
秋用の服と冬用の洋服も一緒に注文してもらった。
何枚もデザイン画を描いてもらって、そこから叔母様と選んだ。コートまであって、何年ぶりかの厚手の布に、嬉しくなった。コートは作業服用の物も用意してもらえたので、寒くなっても出かけられそうで安心した。
ドレスも三着作ってもらった。
まるで夢を見ているような時間だった。
いつの間にか、お昼になっていて、片付けを始めた洋服屋に、6着の洋服を見てもらった。
「幾らくらいする洋服でしょう?」
「既製品ではなさそうですので、それなりにしたと思います。絹の素材も良い物が使われています。デザイン画から作られた物であれば、一着1フロン以上はしたかもしれません」
「1フロン以上……6着で6フロン以上ですね」
突然、取り出した洋服を見て、叔母様は眉を顰めた。
「その洋服はどうしたの?」
「捕らわれていたときに、貴族様がくださった物です。いただけるまでは囚人服でしたので、とても嬉しかったのです。その貴族様にお礼をしたくて、下着と合わせると、もっと高額になりますよね?そうだ、靴も用意してくださったのです」
「そんな物捨ててしまいなさい。嫌なことあった場所で遭ったことなど忘れてしまいなさい」
「でも、叔母様、わたしはこれで救われたのです」
今まで機嫌のよかった叔母様が、これほど不機嫌な顔をするとは思わなかった。
叔母様は部屋から出て行ってしまった。
「お昼の時間よ。さあ、行きますよ」と言って。
「はい」
洋服はリーネに片付けてもらった。
洋服屋にお辞儀をすると、エリザベートは、叔母様を追いかけた。
「叔母様、ごめんなさい」
「辛い想いはさせたくないの、怖かったことや嫌な想いは忘れて欲しいの。分かって、エリザベート」
「はい、ごめんなさい」
(忘れる事はできないわ。この身に受けた痛みや苦しみが、今のわたしを作っているのだもの)
ダイニングルームに入ると、国王陛下とエオン王子が既に来ていた。
四人で食事を戴く。
「午後からはイリス地区に行くのか」と、国王陛下が聞いてきた。
「はい。今日はたぶん、河川工事と畑を耕していると思います」
「帽子を被って行きなさい。肌が傷んでしまうよ」
「はい」
(そうだわ。街に行って庶民の長袖の服を買えばいいのね)
イリス地区に行く前に、薬草を売りに行こうかと思っていた。
(お財布は二つ持った方がいいわね)
河川工事は一日5タン。働いても溜まらない。
きっと今が恩返しの時だと思ったのだ。
+++
リーネに街に飛んでもらった。
最初に女の子の洋服屋さんに行った。
この間、来た時は夏の服ばかりだったけれど、今日は長袖の洋服がたくさんあった。
その中から、長袖のワンピースを2着選んで、男の洋服に見えそうなシャツとズボンを選んだ。それから上着と外套も選んだ。少し高額だったけれど、ブーツを選んだ。お金が足りるか心配になったが、買えた。
リーネに片付けてもらった。
お店で男の子に見えるようにシャツとズボンに着替えてブーツを履いた。
その後に、薬草を売りに行った。
「この間のお嬢さんだね。今日は一人かい?」
ガクリとした。
どうやら男の子には見えないようだ。
それなら、この間の女の子として通すしかない。
「はい、こんにちは、兄は仕事があって、このお店なら安心していいと言われたので」
そんなことは言われていないが、嘘も方便だ。
髪色や瞳の色の違う兄弟は多い。
エリザベートも兄妹達と髪色や瞳の色は違った。
「今日はどんな物を持ってきたのかな」
テーブルにリーネが薬草を山盛りに置いてくれた。
「これは、滅多に探せない薬草だよ。どこで取ってくるの?」
「山です」
「秘密って事だね」
エリザベートは、微笑みで答えた。
「計算するから待ってくれよ」
「はい」
叔父さんは薬草に混じりがないか確認しながら、はかりで量って計算している。
「お待たせ、定期的に入れてくれるなら、オマケをしてもいいが、別の店に持ち込まないかい?」
「わたし、このお店しか兄に教わっていないの」
この場合の兄はエルペスになるのかな?等と考えていると、叔父さんはお金を持ってきた。
目の前で、数を数えてくれる。
「8オルにオマケで2オル付けておこう」
「ありがとう、叔父さん」
「またおいで」
「はい」
『お肉は売れないよね?』
『熊二頭くらいなら売っても構わない』
『騎士達のお肉がなくなってしまうわ』
『また狩ればいい』
『それなら』
獣のお店に行くと、叔父さんがエリザベートを一瞥して、奥に入っていこうとした。
「熊を売りたいの」
「どこに熊があるんだ?」と叔父さんが怒鳴った時に、テーブルの上に熊が二頭置かれた。
「持ってくるのは大変なのよ。もちろん、狩るのもね」
「これは、傷が付いていない新鮮な肉だ」
まだ仕留めたばかりの熊からは、血が滴り落ちている。
「毛皮の状態も肉の状態もいいぞ。お嬢ちゃん、一人で狩りをしているのか?」
ここでもどうやら男の子には見えないようだ。
開き直るしかない。
「兄と一緒よ」
「そう言えば、この間、男の子と一緒に来ていた女の子だね」
「そうよ。適正な金額を出してね。誤魔化したりしたら、兄に言うわ」
「ちょっと待ってくれよ」
店主はメジャーで熊のサイズを計測して、テーブルと一体化している計りで重さも量った。
「二頭で9テシだ。誤魔化したりしてないぞ」
「それでいいわ」
店主は目の前で紙幣を数えてくれた。それを受け取り、庶民のお店で買った新しい巾着にお札を入れた。
それはリーネに預ける。
万が一、盗賊に遭った時に奪われてしまわないように。
家の影でリーネに跨がると、イリス地区の上空に辿り着いた。
上空から見る景色は、川が2本長く伸びて、コルが咲かせた花が縁取りされて、綺麗に区画整理されている。
川の近くには田園ができていて、田園の先には畑ができている。
プリムスの姿を見つけて、リーネが駆けていく。
「プリムス、エルペス」
「エリ」
「エリザベート」
「そんな姿をして、街に行ってきたのか?」
「そう。薬草を売りに」
「シャツとズボンを着たって、エリは女の子にしか見えないんだ」
「そうなのね……。おじさんたち皆、お嬢ちゃんって言うんだもの。せっかく男装したのに」
「男装に見ないから。もう着ないでくれ。エリには似合わない」
「そうなのね」
エリザベートは気合いを入れて、男装したのに、がっかりした。
しかも、プリムスに似合わないと言われてしまった。
着心地はそんなに悪くないけれど、初めて着るスタイルは、少々勇気がいったのだ。
「女の子が売りに行くところじゃないと言っただろう?一人で危険だよ。売りに行くときは、僕たちのどちらが付きそうよ」
「この国は、女の子は狩りをしない。山にも入らないんだ。売りに行っても適正価格なんて出ないんだ」
「そうなの?今日の薬草は8オルに2オルオマケだって。熊は二頭で、9テシだったわ」
プリムスとエルペスが難しい顔をしている。
「この間より、安いと思わない?」
「まだ、こちらの貨幣に慣れてなくて、よく分からないの」
「次に売りに行くときは、一緒に行くから」
「わたし、騙されたのかしら?」
二人とも、大きく頷いた。
エリザベートは、無駄な洋服も買ってしまった。
しょんぼりしていると、プリムスが国についての実情を話してくれた。
「この国の習わしを替えようとしているけれど、実際に女の子が山に入る事はないんだ。とても危険だろう。だから、規律を直そうとしても直せないのが実情だよ」
「今回は仕方が無いよ。次は一緒に行こう」
「分かった。お願いします。忙しいのに、ごめんね」
「リーネにお願いしたら、一瞬だろう。そんなに時間はかからないよ」
「うん」
エリザベートは、リーネを撫でる。
ごめんねと謝ると、気にするなと声がした。
腕の中で、あくびをしている子猫は、とても可愛らしいが、変幻自在の優しい神獣だ。
「ところで、何か手伝える?」
「今日は見ているだけだよ」
「それなら、狩りに行って来るわ。夕方に宮殿で」
「気をつけるんだよ」
「うん」
エリザベートは、二人に手を振って、少し駆けていって、リーネを下ろすと、直ぐにリーネに跨がり姿を消した。
+++
朝と狩り場を替えて、エリザベートは薬草を摘む。
コルが珍しい薬草の在処を教えてくれる。
今回は二種類の薬草と野草やキノコを採って歩いた。
「もっと寒くなったら、キノコ鍋ができそうね」
確実に秋に進んでいる。
『薬草も冬は取れないから、今のうちよ』コルがコロコロ笑う。
『冬になったら何ができるかしら?』
『冬になったら森は眠るわ。熊も野草も。だから、冬に食べられる物を今のうちに準備をするのよ』
『寒くなる前に湖を作れるといいけれど』
寒い風が吹いて、エリザベートは震えた。
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