第四章

第1話   水が出ない



『リーネ、どれくらいの湖を造るの?』


『大きい方がよかろう。湖ができれば、魚を放流できる。育った魚を食べることができるであろう』


『川を造るために、敷地を知りたい。リーネ、教えてくれるか?』


 プリムスはリーネに頭を下げた。


『容易い』


 水源がある場所に、騎士団が来ている。鬱蒼と茂った草を刈っている。


『我が止まった場所に、印を付けるといい』


『ありがとう』


 リーネは子猫の姿のまま、エリザベート腕の中から飛び降りた。


 リーネはプリムスと会話をして、プリムスを手伝っている。


 季節は夏だ。


 灼熱の日射しが、全身を焼く。


 国王陛下が演説をした翌日に、すぐに湖の位置を教えて欲しいと言われて、朝一番から、炎天下の作業に入った。


 乾いた土地に、この辺りだけ、鬱蒼と草が茂り、ワンピースの下から伸びる素足が、時々チクチクと痛む。


「印を付ける。杭を持って来てくれ」


「はい」


 騎士達が杭と大きな金槌を持って走ってくる。


 リーネが止まった位置に代わるように、プリムスは立つ。一人の騎士が、そこに杭を定めると、次に移動する。またリーネの後を歩いて、止まった位置に、別の騎士が杭を定める。そうして、半日をかけて、湖の位置を確認した。


 昼食は、皆と同じ餅米を葉で包んで炊いた物を戴いた。


 三つもらったが、二つ返した。


 戦の時の食事だと言っていたが、ほくほくと美味しいお餅のような物だった。


 食事を終えて、少し休憩すると、すぐに作業が始まった。


『川はこちらよ』と、コルがひらひら飛びながら、場所を教える。


 湖からいくつかの川の位置が決まった。


 一つずつ川の流れをコルが示していく。


 その後を、プリムスとエルペスは騎士に指示を出しながら、杭を打っていく。


 エリザベートはリーネに跨がって、その作業を見ている。


『主、疲れたか?』


『大丈夫よ』


『主の体調は手に取るように分かる。嘘は通用しないぞ』


『皆が頑張っているのに、わたしは見ている事しかできないのね?』


『精霊王の加護を受けた主がいるだけで、この地が豊かになっていくのだぞ』


『いるだけで?』


『主の体調次第で瞬間移動はできなくなるぞ。一日、休んだらどうだ?』


 式典の後、国王陛下を、どのように送り返したのかも覚えていない。


 全てリーネの指示で終えた一日だった。


 あの日から、食欲が落ちて、夕食を届けたけれど、エリザベートは、殆ど食べられなかった。


 あの公開処刑の場面が、何度も脳裏を駆け巡り、気分が悪くなる。


『プリムスとエルペスに食事を届けられなくなるわ』


『それなら、明日は食事だけ届けたらいい』


『コルがいないと、川の位置が分からないわ』


『頑固な主だ』


 リーネは跳躍すると、馬車の後方に飛んだ。


『少し、眠れ』


 馬車の中に布団が敷かれている。


『分かったわ』


 エリザベートは馬車に乗ると、布団に横になり、キルトをかけた。


 リーネが枕元に横になる。


 エリザベートは、公開処刑を見た後から、体調を崩している。


 悪夢はリーネとコルが消し去っているが、それでも、眠りが浅く、不眠気味だ。


 聖なる聖女に、残酷な処刑は、穢れを産む。


 エリザベート自身も、家族と重ねて見ていた事によるショックも重なり精神的に不安定になっている。


『精霊王様に会いたいわ』


 そう言葉にすると、眠りに落ちていった。



 +++



「本日の作業は終わりにする。夕方までにイリス宮殿に戻るぞ」


「はい」と騎士達が返事をして、後片付けを始めた。


 夕方まで作業して、プリムスはエリザベートがいないことに気付いた。


『主なら、馬車で眠っているわ』


『どこか具合が悪いのか?』


『穢れを受けて、体調を崩しているのよ』


『穢れ?』


 プリムスとエルペスは首を傾げる。


『公開処刑を見たでしょう?主も兄と姉二人の四人兄妹だったのよ。重ねてしまったのでしょう』


 コルは馬車の方に飛んで行く。



 +++



 エリザベートは、目を覚ました。


 睡眠はリーネが無理矢理させているので、作業中止の声と共に、エリザベートを起こした。


 慌てたように、布団から出ると、エリザベートは布団を畳んだ。その布団はリーネが片付けた。


「ずっと眠ってしまったのね」


 馬車から降りると、コルが飛んできた。


『コル、お疲れ様』


『時間がかかるから、花を咲かせましょうか?』


『そんな事ができるの?』


『できるわよ』


 コルは空中で一回転した。


 キラキラした光りが瞬いて、消えた。


『明日には白い花が咲くわ』


 コルはコロコロと笑う。


「エリ、体調が悪いのに、こんな所に来たらダメだ」


「具合はどうなの?」


「大丈夫よ」


 エリザベートは、プリムスとエルペスに笑顔を見せる。


『川の位置は、明日、白い花を咲かせるようにしたわ。池の周りにも花を咲かせたわ。後は掘り進めるだけよ』


『コル、ありがとう』


『いいのよ』


 コルはコロコロ笑う。


『主を数日休ませたい』


「大丈夫よ」


 リーネが勝手に決めてしまう。


「コルが印を付けてくれたから、明日から掘ってもらうよ。ゆっくり休んでおいで」


「プリムス、一緒に作りたいの」


「一緒に作っているだろう?エリは頑張りすぎなんだよ。ゆっくり眠って」


 エリザベートは、俯いてしまった。


「主よ、先にイリス王宮に戻るぞ」


 リーネが大きくなる。


「分かった。お風呂沸かしておくね」


「急いで戻るよ」


 エリザベートは、リーネを跨いで、駆けていった。


 プリムスとエルペスも馬に乗り、駆けていった。



 +++



 イリス王宮では、夕食の炊き出しが始まっていた。


 エリザベートは、宮殿の中に入ると、そのままお風呂場に向かった。


「浄化」


 いつもは心が綺麗になるように、魔法が発動されるのに、上手く浄化ができない。


「浄化」


 せめてお風呂場を綺麗にしたい。


 今日は外での作業だったので、汗もかいているだろう。


 清潔な水で、湯浴みをしてほしい。


「浄化」


 三度目で、やっとお風呂の中が綺麗になった。


『主、無理はするな』


『またお熱よ』


 コルが、肩に乗って、エリザベートの額にキスをする。


「熱があるの?」


「主、精霊王の所に行こう」


「分かったわ。でも、その前に水を溜めておかないと」


 お風呂の水を抜こうとして、『抜くな』とリーネに止められた。


 確かに、清められた水は綺麗になっている。


 浄化が上手くできなかった事もあり、リーネの指示に従う。


 水を溜めておく貯水タンクに水を入れようとして、水が出てこない。


「聖なる水が出てこない」


「主、思った以上に穢れに侵されているようだ。今日の分はあるだろう。それ以上、無理はするな」


 エリザベートは、自分の掌を見つめる。


「わたし、もう聖女ではなくなったのね?」


「穢れと疲労だ」


「そうだといいけれど」


 晒されている遺体は、腐臭を放ち、朽ちてきている。


 その事も、エリザベートの穢れを促進させている。


「主よ、聖なる力が戻ったら、哀れな家族を黄泉の国に送ってやれ」


「いいの?」


「もう十分晒されたであろう」


「可哀想よ。いつまでも晒されているのは」


「それも、主の力を奪っておる」


 エリザベートは、仕方なく、ダイニングルームに入って椅子に座った。


 リーネが食事を並べだした。


「冷めてしまうわ」


「主、今日は精霊王の所に行こう」


「そんなに、よくないの?」


「主も分かっておるだろう?」


 エリザベートは、頷いた。


 力が漲らない。


 気分も悪い。食欲もない。自分でどうにもならない。


 リーネが大きくなる。


 エリザベートは、リーネに跨がった。


 瞬時に精霊王の湖に到着した。


 湖面が浮かび上がって、精霊王が姿を見せた。


『我が子よ。穢れにやられたか?』


『聖女の力も出ません』


『湖に入り、清めなさい』


『湖に入っていいの?』


『さあ、おいで、我が子よ』


 エリザベートは、リーネから下りると、靴を脱ぎ湖の中に入っていった。


 胸元まで水に浸かると、精霊王がエリザベートを抱き上げた。


『辛い事があったのだな?』


 エリザベートは、頷く。


 精霊王の大きな手が、背中を撫で頭を撫でる。


 昔、両親に抱きしめられていた頃の温もりを与えられ、エリザベートは、精霊王に抱きつき、泣いていた。


 冷たいはずの湖の水は、温もりを持っていた。


 どれくらい精霊王にあやされていたのだろう。いつの間にか、涙は止まっていた。


『リーネ、食事を与え、よく眠らせるように』

『はっ』


 気付いた時には、エリザベートは湖畔に立っていた。


『辛いときは、ここに来て、湖に入るといい。力が漲ってくるだろう』


『はい』


『さあ、早く戻りなさい。体が冷えてしまう。日も暮れてきた』


『はい』


 リーネが擦り寄ってきた。


「濡れたままでは、リーネも濡れてしまうわ」


「構わん」


「リーネ、ごめんね」


 エリザベートは、リーネに跨がった。


 瞬間移動で、お風呂場にいた。


「よく温まってくるといい」


「ありがとう」


 リーネが姿を消した。


 まだモリーとメリーは来ていないのだろう。


 お風呂の準備ができていない。


 この王宮は魔道具を使って、お湯を沸かす。


 浴槽にお湯を入れながら、濡れた洋服を脱いでいく。


 ワンピースをできるだけ搾って、脱衣籠に入れた。


 頭を洗っていると、扉をノックされて、「お嬢様」とモリーの声が聞こえる。


「頭を洗っているの」


「お邪魔をいたします」


 モリーが入って来て、直ぐに頭を洗ってくれる。


「早くお戻りになった時は、声をかけてください。鈴を鳴らすだけですわ」


「はい」


「メリーも入って来た」


「お嬢様、ずいぶん日焼けをしていますよ。ヒリヒリしませんか?」


「言われてみれば、ヒリヒリするわ」


「お肌に悪いので、炎天下に出る時は、帽子とストールをいたしましょう」


「日焼けは火傷同じで、後々シミを作りますのよ。メリー、薬を探して来てください」


「はい」


 メリーが浴室から出て行った。


「火傷なの?」


「そうでございます。皮膚が捲れたり水疱ができたりいたしますよ」


「あら、大変なのね」


「美しいお顔に、水ぶくれなどできたら大変ですから」


「分かったわ、治癒」


 エリザベートの肌が、一瞬輝いて、日焼けの跡が消えた。


「まあ、素晴らしい聖女様のお力ですね」


 モリーが十字を切って、祈りを捧げた。


「あ、力が使えたわ」


 頭を洗ってもらっている間に、精霊王に祈りをした。


『お力を戻して戴き、ありがとうございます』


『まだ穢れは抜けきってはおらぬ。また湖に来るといい』


『はい』


 精霊王様の声がして、エリザベートは、目を開けて、シャンプーが目にしみて、手で目を洗う。


(水も出るわ)


「お嬢様、目は閉じていてくださらないと、シャボンが目にしみますよ」


「目にしみたわ、これからは、目は閉じているわ」


「そうなさってください」


 シャワーで髪を流されて、長すぎる髪を纏めると、今度は体を洗ってくれる。


 王女だった頃も、こうして洗ってもらっていた事を思い出す。


(ミリーは死んでしまったのね)


 できるだけ、安らかな死であって欲しいと、侍女のミリーを思い出しながら、心の中で祈った。


 慌てて戻って来たメリーは、手に傷薬を持って来た。


「メリー、ごめんなさい。自分で治癒をしてしまったの。日焼けが火傷だなんて知らなくて」


「治ったならよかったですわ。綺麗なお肌に傷を付けてしまいますからね」


「これからは、気をつけるわ」


 こんなに自分を思ってくれる人がいることが嬉しい。


 早く、穢れを落とそうと思った。


 体を綺麗にマッサージされて、今日の疲れも取れた。


「夕食は、まだですね?」


「はい、今日は先に戻って来てしまったの。体調が悪くて」


「それはいけません。お食事はお部屋に運びますか?」


 モリーは髪を梳かしながら、聞いてくる。


「皆さんに心配されてしまいますから、ダイニングに向かいます」


「それなら、お食事をお願いしてきますね」


「お願いします」


 メリーが部屋から出て行った。


 モリーは、エリザベートの肌を整え、魔道通風機で髪を乾かしてくれる。


「モリー、明日から湖で、体を清めたいと思うの。何を着ていったいいかしら?」


「泳ぐのですか?」


「いいえ、聖女の力が不安定になってしまったので、水で自分を清めますの」


「この部屋の水ではいけませんか?」


「はい、神聖な場所で清めなければ、意味がありませんの」


「そうですね。バスローブのような物でも、平民が着る洋服なら洋服が傷む事はないと思います」


「今日、もう清めてきたの、シルクのワンピースが汚れてしまったかもしれません」


「後で、見ておきますね」


「お願いします」


「それで、バスローブと平民の服とどちらがいいかしら?」


「防犯上考えますと、平民の服ですね」


「わたし、一着しか持っていないの。明日、買ってきてくださいますか?お金なら少し持っています」


「国王陛下に買っていただければいいのでは、ありませんか?」


「この行為は秘密で行わなくてはならないの。聖女の力がなくなってしまいます」


「それは大変でございます。明日、買ってきます。どんな物で構いませんか?」


「モリーがいいと思うような物で構いません」


 リーネ近づいてきて、お金が入った袋を床に落とした。


『リーネありがとう』


『主、早く食事を取り、眠れ』


『分かったわ』


 エリザベートは、床に落ちている袋を取ると、それをモリーに手渡した。


「足りるかしら?」


 モリーはやっと魔動機を止めると、魔動機を置いて、袋を手に取った。


 縛ってあるだけの袋を開けると、「十分でございます」と慌てて、袋の紐を引っ張り、お金の入った袋を化粧品の横に置いた。


「いつの間に、お金を稼いだのですか?」


「薬草を売りに行ったの」


「お嬢様は王女ですよ?」


「異国の王女よ。生きるためには働かなければ」


「しかも聖女様ですよ」


 髪を梳かしながら、モリーは破天荒なお嬢様に注意をする。


「明日は護衛を付けますね?」


「いいえ、先ほども言いましたけれど、これは秘密の行為なの。聖女の力が尽きてしまう前にしなくてならないの」


「分かりました。くれぐれも無茶や危険な事は避けてください」


「モリー、ありがとう」


「いいえ」


 モリーは櫛を置くと、ワンピースを出してきた。


「今夜は、これでよろしいですか?」


「どれでもいいわ」


「お洒落を楽しんでくださいね」


「はい」


 衣装部屋に入って、下着を着けると、ワンピースを身につけた。


 食事の間、着るだけだから、本当にどれでもよかった。


 靴を履き、久しぶりに、この王宮で食事を食べた。


 エリザベートの食事は少なめになっている。

 まだ捕らわれていた頃の影響で、食事がたくさん食べられない。それでも、当時より、食べる量は増えてきている。


 ダイニングには、もう国王陛下も叔母様もエオン王子もいなかった。


「シェフ、今日はプリムス王子の食事は並べただけで戻ってきてしまったの。食器は後日でいいかしら?」


「構いませんよ」


「ありがとう。ごちそうさま」


 食べ終えると、シェフに声をかけて、自室に戻った。


 寝る支度をすると、モリーとメリーに「おやすみ」と伝えて、寝室に入りベッドに上がった。


 リーネとコルが枕元にやってくる。


『まだお熱があるのよ』


『早く寝ろと言ったであろう』


『うん、おやすみ』


 エリザベートは、目を閉じた。



 +++



 イリス王宮に戻ったプリムスとエルペスは、エリザベートを探した。


 お風呂は沸いていたが、その姿がない。


 ダイニングルーム入ると、いい香りのする料理が並んでいるが、そこにもエリザベートはいない。


 いつもほかほかの料理を並べてくれるのに、料理はもう冷えていた。


「帰ったのかな?」


「体調が悪いと言っていたな」


 騎士達がお風呂を待っているから、エリザベート探しは後にして、お風呂に入った。


 昨日より、お湯の量が少ないような気がして気になった。


「穢れと言っていたな」


「公開処刑の影響か?」


「あの場合、父上は正しい事をしたと思うけれど」


「聖女様には、その行為は穢れを与えてしまうのだな?」


 プリムスとエルペスは、エリザベートの心と体を心配していた。


 遠く離れた場所にいるから、顔を見に行くこともできない。


 プリムスはもどかしさを感じていた。




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