最終話
「最近は歌の練習をどこでやっているの?」
ソファに寝転がって本を読んでいたら、そんな問い掛けが聞こえてきた。声の主の方を振り向いてみると、視線の先にいたのは普段よりも着飾っている母さんの姿。そう言えば、今日は両親二人が出会った記念日だから、二人きりで外食すると言っていたな。
「最近は……部屋とか、学校とか」
「前は公園に行っていなかった? 気兼ねなく大きな声が出せるからって言って」
「行ってたけど……でも……」
あんな失礼と言うか一歩間違わなくても犯罪まがいの事をしてしまったのだ。万一再会してしまったら、きっと咲良さんが嫌な思いをしてしまう。向こうだって、もう会いたいとは思っていないだろう。
「……無理に話す必要は無いけれど。無理や無茶をしていなければそれで良いの」
「母さん」
「もうすぐ受験もあるから、練習は上手く両立させるようにね。頑張りどころを間違えて鍵司さんが後悔するのは嫌よ」
「……はい」
「分かったならそれで良いわ。ああ、そうそう、テレビ付けてくれる? 香織ちゃんが録画してて欲しい番組があるって言っていて」
「何の番組?」
「ええとね……確か、タイトルが『最近注目のアーティストを一挙ご紹介! 次にブレイク必至のイケメンアイドル歌手や美声の歌姫、動画サイトで大ブレイク中のアーティストもバッチリ網羅!』……だったかしら」
「タイトルとあらすじはいつから同義のものになったんだ……」
「それだけでも分かりやすいようにって事で、サービス精神の表れなんじゃない?」
「そうかな……?」
何とか目を引こうとして必死になっているからだろうとは思うが、タイトルが長すぎるとこういう時に面倒だとは思う。母さんは記憶力が良いので今も簡単に口にしていたが、恐らく健常人であっても耳で聞いただけでは大半が覚えきれないのではないだろうか。視覚に訴えるのを前提として作られているものだろうから、文句を言うのはお門違いだと思うけれど。
頼まれた通りに録画の設定をしたので、そのまま番組を見ている事にした。なるほど、確かに見目の揃っている男性や女性が多い。
(……美人ではあるのだろうが、咲良さんの方がもっと)
そんな思考が突如浮かんで、思わずソファから滑り落ちそうになった。がたがたっと物音を立ててしまったからか、大丈夫かと心配する母さんの声が聞こえてくる。
気を取り直してテレビを見続けていると、今度は動画サイトで活躍しているというアーティストの特集になった。皆一様に可愛らしいキャラクターの姿をしていて、スマホのゲームにでも出てきそうな雰囲気である。
(……ん?)
スマホのゲームキャラ様歌手、もといバーチャルシンガーと呼ばれている面々のうちの一人に既視感を覚えた。歌い方が、声が、彼女に似ている気がする。
(舞姫さくら……)
苗字は違うし、名前の部分は平仮名だ。だけれども、仮の姿で活動をしている訳だから、舞姫さくらが仮名の可能性だって十分ある。
『初めてバーチャルシンガーの存在を知ったのは中学生の時でした。スマートフォンで好きなアーティストさんの新作PVを見ていたら、関連動画のところにバーチャルシンガーさんの歌ってみた動画が出てきて』
その口調と声音を聞いて、想定は確信に変わった。彼女が歌っているのをこっそり録音して夜な夜な聞いていた俺が、その声を聴き間違える筈がない。
『こんな風に、自分の好きなデザインやモチーフを詰め込んだキャラクターの姿で自分が好きな歌を歌って生きていけたら、そういう形で歌手になれたら……こんなに素敵な事はないと思ったんです』
これなら顔出しもしなくていいですし、という彼女の言葉に一同が笑っている。咲良さんのビジュアルはそんじょそこらのアイドルや女優よりも余程整っていて美しくて映えると思うし通用すると思うが、そんな美貌が全世界に晒されるのは面白くないのである意味正解だったのかもしれない。
『でも、やはり現実は厳しかったです。初めての歌ってみた動画を上げてみたら……下手だとか何とか色々言われてしまって。それでもと思ってまた作って上げるんですけど、鳴かず飛ばずで』
『好きだと言って下さる方も応援して下さる方もいらっしゃったから、絶望する事はありませんでしたけれど……それでも、やっぱり自分には向いていなかったのか、今からでも養成学校に通うべきか、もっと別の練習をすべきか……そんな風に迷っていました』
成程、そうか。歌手になろうとしているのかと聞いて彼女が言い澱んでいたのは、既にバーチャルシンガーとして活動していたからか。顔出しをしたくないという事は自分が舞姫さくらである事は知られたくないという事だろうから、言いたくなかったのも納得だ。
『そんな思いを抱えながら、ずっと練習していました。そしたら、その練習場所で出会った人に、背中を押してもらったんです』
どくん、と全身が震えたような心地がした。まさか、もしかして、その、出会った人って。
『その人は、歌うのが好きだと言っていました。けれど、自分には別にやりたい事があるから、歌手にはならないと』
『これからどうしようか途方に暮れていると思わず本音を零したら、最初に立ち返るといい、と言って下さって。どうして頑張ろうとしていたのか、何をしたくて始めたのか……その言葉を受けて自分や過去の作品と向き合い、もう一度覚悟を決めて再スタートを切りました』
それで今ここにいられるのだから、その人には本当に感謝していると。そう言ってくれた声音には、嘘偽りは感じられなかった。
『最近はその方に会えていないんです。でも……本音を言うなら、また会って、ありがとうってお礼を言いたいですね』
その言葉を聞いた瞬間、弾かれたように家を飛び出した。
***
ぜいぜいと息を切らしながら、ただひたすらに道を駆ける。今もそこにいるなんて保証はなかったけれど、微かな希望に駆けてあの公園へと向かった。
(……いた)
いつの間にか彼女に会うのが目的になって通っていたその公園に、美しい黒髪が変わらずなびいている。長さが前よりも長くなっているのは、最後に会ってから半年は経っているからか。
「……鍵司さん!」
「咲良、さん」
「お久しぶりです! お元気でしたか!?」
「はい、元気、でした……あの、今、テレビで」
「……ああ、オンエア今日でしたね!」
何ら変わらぬ笑顔で答えてくれた後に、彼女は一旦口を閉じた。姿勢の良い立ち姿が美しいと思っていたら、深々と頭を下げられる。美人は、お辞儀の仕方まで美しいらしい。
「改めて自己紹介させて頂きますね。私は、隣町の女子高に通っている高二の春原咲良です。そして、舞姫さくらという名前でバーチャルシンガーとしても活動しています」
そこで言葉を切った咲良さんは、俺の方に一歩近づいた。爽やかな甘い香りが漂ってきて、落ち着いてきた筈の心臓がせわしなく動き始めていく。
「あの日、アドバイスを下さって……背中を押して下さって、ありがとうございました」
両手が温かくて柔らかい物に握られた。正面にいる咲良さんは、じいっと大きな瞳をこちらに向けてくる。引き寄せられるようにして顔を近づけると、お互いの吐息が混ざり合った。期待のままに、更に近づけていく。
初めて触れ合わせた唇は、甘く蕩ける様な味がした。
純情バンド少年、悩める少女に恋をする 吉華(きっか) @kikka_world
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