―141― これから始まる

 意味がわからなかった。

 アゲハがでかけて戻ってくるまで1分も経っていない。その1分間のうちに、アゲハをここまで豹変させてしまうような事件が起きたというのだろうか。


「おい、大丈夫か――」


 言葉が途切れる。


「あぁあああああああああああああああああッッ!!」


 だって、アゲハは突然奇声を放ったのだ。


「ふざけんなふざけんなふざけんなッッ!! 最悪だ……。あぁああああああッッッ! なんで、こんなにも思い通りにいかないんだよッッ!!」


 それからアゲハは苛立ちながら、頭をかきむしり恨み言を呟き続ける。


「おい、しっかりしろ!」


 このままだと埒があかないと思い、アゲハの肩を掴む。

 そして、目を合わせてようやっとアゲハは俺のことを認識したようだ。


「キスカ、ごめんね……」


 そう呟くと、アゲハは涙を流し始めた。


「ごめんね。キスカ、ごめんね。私のせいで、辛い目にあわせて。ごめんね。ごめんね。私たくさんひどいことしたよね。謝っても許してくれないよね。私はキスカは……ッ。あぁあああああ! やだやだやだ! ごめんなさい、キスカ。私が全部悪いの!」


 さっきまで怒りをぶつけていると思ったら、今度は泣きながら謝り始める。

 やば、アゲハの言動が理解できないことは今までも度々あったが、今回のはあまりにも理解できそうにない。


「おい、しっかりしてくれ。なにがあったんだよ……?」


 アゲハの耳に届くように、いちもより大きな声を出す。それでも、彼女の耳には届かなかったようで、今度はぶつぶつと独り言のようなことを言い始めた。


「大丈夫。私はやれる。この方法しか、あいつらのことを欺くことはできない。そうよ、この方法しかないの。あいつらが気づいたときには全部手遅れ! 驚く顔が見られると思うと、今から楽しみね! 大丈夫、私はできる」


 まるで自分を言い聞かせているようだった。

 大丈夫と言いつつも、呼吸は荒く、小刻みに震えている。


「おい、本当に大丈夫なのか……?」


 もう何度目かになる呼びかけを行った。

 何度呼びかけてもアゲハはこのままおかしくなったままなんじゃないかという不安が頭を過ぎる。


「キスカ! 今から話すことをよく聞いて!」


 アゲハがそう主張した。

 目は大きく見開いているものの、瞳がぼんやりとしていて焦点はいっさいあっていなかった。

 突然のことに俺がとまどいそうになる。とはいえ、やっと事情を説明してくれそうだ。事情さえわかれば、対策する方法だって思いつくはず。


「私はすでに何度も未来をループしている」

「は……?」


 一瞬なにを言ったのか理解ができない。


「これから最悪なことが起きる。それで何度も失敗して失敗して失敗して気がついたの。私じゃダメだ。私じゃキスカを救えない」

「おい、もっとわかりやすく説明してくれ」

「だって、仕方がないじゃない。私が全部悪いの。私のせいで、キスカは……。でもって、あいつらはそのことを知っていたんだ」


 ダメだ。アゲハの説明ではなにも理解できない。

 それでもなんとか理解しようと頭を必死に動かす。それで、一つの結論に辿り着く。


「もしかして、アゲハは未来で死んで、この瞬間まで〈セーブ&リセット〉を使って、戻ってきたのか?」


 今まで俺はスキル〈セーブ&リセット〉を使って、死んでも過去の時点まで戻ってくることができた。けれど、このスキルは元々アゲハのものだ。

 だったら、俺の知らないところでアゲハが〈セーブ&リセット〉を使って、時間をループしていてもおかしくはない。

 そして、そう考えるとアゲハが錯乱しているのも、理解しがたい言葉の意味も説明がつきそうな気がする。


「さっきそう言ったじゃない」


 俺の質問にアゲハはそう答える。

 アゲハの説明じゃ理解できなかったから、確認しただけだが、まぁいい。


「なぁ、ちゃんと説明してくれ。俺も全力でアゲハに協力するからさ。これから一体なにが起きるんだ?」


 アゲハの言うとおり、これから最悪なことが起きるというなら、なにかしら対策はしないといけない。そのためには、まずアゲハから説明を聞かないと。


「私とキスカが喧嘩してしまうの。それも、修復不可能なぐらいひどい喧嘩」

「あ、あぁ……」


 喧嘩というのが、アゲハの言った最悪なことなのだろうか。

 もっと最悪な出来事を想像していただけに少しだけ拍子抜けのような。アゲハにとっては最悪な出来事なのかもしれないが。


「私が嫉妬してしまうのがいけないの。この前だって、夜中にナミアに刃物で脅したわ『キスカに変な気を起こさせるな』って。ナミアは『わかった』と言ってくれたから、この子なら安心だなって、思ったのに。あぁ、なのに最悪ッッ!! ナミアのせいで……ッ!!」

「落ち着け。喧嘩することがわかっているなら、そうならないようにお互いがんばればいいだろ。俺も気をつけるからさ」

「違う。そんな単純な話じゃない。喧嘩をしたのは、ナミアによって仕組まれた罠だったの」


 そんなバカな、と心の中で思う。

 あのナミアがそんなことを企むとは思えない。


「ナミアのせいでキスカは壊れてしまうの。せめて、あのとき私が近くにいればよかったのに」

「おい、ナミアが俺に一体なにをしたというんだ?」

「ナミアはナミアじゃなかった。あれはナミアのフリをした化物よ。あはっ、残念だったね、キスカ。あの指輪は死者を生き返らせるなんて大層な代物じゃなかった。もっと非道で趣味の悪いアイテムよ」

「…………」


 アゲハの口によってあっさりとばらされた残酷な真実。

 嘘だと叫びそうになる。だって、ナミアが生き返ってくれたおげで、俺は救われたと思っていたのに。


「この真実を知って、キスカは壊れてしまうの。けど、今知ってしまえばまだ傷は浅いでしょ。大丈夫よキスカ。キスカには私がいるんだから」


 そっと温もりを感じた。

 アゲハが俺のことを胸に引き寄せていたのだ。

 そのせいかりわからなくなってしまった。

 思い返せば、ナミアが生き返ったことはどこか非現実的で夢の中の出来事ようだった。それが嘘だとばらされて、やっぱりそうか、という感じもする。


「ありがとう」


 アゲハのおかげで落ち着けたような気もして、お礼をする。

 すると、アゲハは満足したのか俺から離れたと思ったら、紙切れをポケットから取り出した。

 その紙切れは、俺が今朝渡した手製の地図だった。


「忘れるから大事なことは書いておかないとね」


 見ると、アゲハはペンを握って地図に文字を書いていた。

『ナミアは偽物だ。警戒を怠るな』と書いてある。

 忘れるから紙に書くって、こんな大事なこと忘れるはずもないのに、大げさだなと思う。


 アゲハの作業を見ていると、下の行に別のことを書き始めた。

『神官長シエロティアを敵から守れ』


「誰だ?」

「彼女が死ぬとキスカも一緒に死んでしまう。だから、彼女は守らないといけない」


 すると、さらに下に次のことを書いた。


『第二王子ディルエッカは見殺しにしろ』


 また知らない名前だ。

 それよりも見殺しという文言のほうが気になる。


「祭典に村までやってくる王族よ。彼の死は諦めたほうがいい」


 理由が気になる。

 けれど、アゲハがまた別の文章を書き始めたので、ひとまず質問は後回しにしようと考える。


『村に混沌主義の連中が潜伏している』


 混沌主義という単語に背筋が震える。

 あれほど苦しめられた存在は他にはない。 

 どんなやつか気になるがアゲハのペンはとまらない。


『自分以外信用するな』


 今度は随分と抽象的だ。

 具体的に書いてもらわないと意味がない。


「えっと、これはどういう意味だ?」

「言葉通りの意味よ」

「えっと、もっと具体的に書いてくれたほうが助かるんだが」

「私だって、全部を知っているわけじゃないの。それに、情報を与えすぎるの問題なの。下手に教えて予期せぬことが起きても問題だし……。それに、キスカ自身で答えにたどり着くのも大切なことよ」


 アゲハの答えはよくわからなかった。

 ただ彼女がそう言うなら、そういうもんだと納得することにする。

 すると、彼女はまた新しい文章を書いた。


『吸血鬼ユーディートには近づくな』


 まさかここで彼女の名前がでてくるとは思わずギョッとする。


「なんでだ?」


 だから、思わず反射的にそう呟いていた。


「だって、こいつと会うとキスカがこいつと良い感じになってしまうかもしれないじゃん。こいつだけはホント大っ嫌い……ッッ!!」


 恨みが非常にこもっていた。

 ようするに、単なる私怨らしい。

 別に吸血鬼ユーディートと出会って、なにか不利益を被るわけではないようだ。とはいえ、アゲハが嫌がるなら彼女とは会わないようにしないと。


「あぁ、もう時間か。もっと書きたいことはたくさんあったけど」


 ペンを走らせようとして、なにかに気がついたアゲハが顔をあげていた。

 見ると、俺の背後を見つめているような。

 なにかあるんだろうか、と思いながら振り返り、気がつく。

 背後にナミアが立っていた。


「…………ッッ!!」


 息をのむ。

 さっきまでならなんとも思わなかっただろうが、たった今アゲハに警告されたばかりだ。

 彼女はいつもの柔和そうな笑みではなく、目を細めて警戒すべきものを見つめているかのような、とにかく暗い表情をしていた。

 もしかしたら、俺たちの会話を聞かれていたのかもしれない。なんせ、この家の壁は薄いのだから。


「それじゃあ、キスカあとはよろしくね。私はそろそろ行かなきゃいけないから」

「おい、行くってどこに行くんだ?」

「大丈夫、私はいつもあなたのそばにいるから」


 アゲハがそう答えると、地図にまた文字を書き始める。

 その文字を見れば、なにかわかるんだろうか、と思った矢先――


 ふと、目の前から気配が消失した。

 さっきまでそこにいた彼女はいなかった。


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