―136― 不幸
「死にたい」
まだ一年しか時が経っていないことに、アゲハは絶望していた。
「死にたい、死にたい、死にたい……ッ!!」
アゲハはわめき続ける。
けれど、耳を貸してくれる者は誰もいない。
所詮、黒アゲハとの会話は独り言と相違なかった。
「いやだぁ……いやだよう……」
わめいたと思ったら、今度は泣きじゃくり始める。
それからアゲハは何日も泣き続けた。
けれど、悲哀という感情でさえ一月も経てば飽きてしまう。
そうなってしまえば、最後は無の境地に達するしかなかった。
アゲハはただひたすら焦点のあわない瞳で、無窮を眺め続ける。その様は、波に打ち上げられた魚のように、全身から力が抜け落ちていた。
「あ……」
ときたま、そう声を発して、どれほどの時が経ったのだろうか、と思案する。
恐らく、それほどの時間は経っていないんだろう。
そう思った途端、なんで自分がこんな責め苦を受けなくてはいけないんだろう、と悲観する。
一時でもそんな考えが頭を過ぎると、濁流のように感情があふれ初めて、涙となって昇華される。
それからどれほどの時が流れただろう。
途方もない時間が流れた気がする。けれど、それは錯覚で、実際には大した時間は流れていないのだろう。
「なんで、私がこんな目にあわなきゃいけないのよ」
そもそも元凶はなんだっただろうか?
アゲハは元々日本という国で中学生をしていた。特に不自由ない生活を送っていたと思う。それなりに裕福な家庭で、優しい両親に囲まれて。
学校のクラスでも人気者で、それなりにモテた。何人もの男子生徒に告白されたが、あのときの自分は恋愛に興味がなかったため、全部振った覚えがある。
ごくありふれた生活を送っていた。
それが、ある日一変した。
異世界召喚に巻き込まれたのだ。
目を開けた途端、見たこともない国の大地を踏んでいた。
最初は戸惑ったけど、スキル〈勇者〉というものがあったおかげで、それなりに無双することができた。例え失敗したとしても〈セーブ&リセット〉ですぐ元に戻ることができる。おかげで、魔王の配下だって倒すことができた。
自分は無敵だと疑わなかった。この調子なら、魔王だって簡単に倒すことができる。
けど、物事はそう単純ではなかった。
死に戻りができるスキル〈セーブ&リセット〉をどうにか無力化しようとする集団が現れたのだ。
そいつらの手によって、封印された。封印さえすれば死ぬことできず、時を戻されることはない。
けれど、封印ぐらいで〈勇者〉の力を無効化できるわけがない。
アゲハはスキル〈勇者〉の力の全容をいまだに把握できていない。けど、アゲハはひとつの仮説を立てていた。
スキル〈勇者〉の本質は『どんな逆境でも必ず勝利の女神が微笑む』というものではないだろうか。
あくまでも、死んでも時が戻る効果はその力の一端でしかない。
だから、封印されて絶体絶命に思えた状況でも、それを覆すことができた。
スキル〈勇者〉の覚醒により、自分のスキルを他人に譲渡できるようになったのだ。
その力を使って、見ず知らずの他人にスキルを明け渡し、そいつを手招くことで封印を解いてもらう。これで封印を攻略したとアゲハは自惚れていた。
やつらは諦めていなかったのに。
次に、あいつらはアゲハを聖剣という特定の物質の中に封印した。
途端、勇者の力を聖剣の持ち主にしか譲渡できないようになってしまった。
結果、勇者エリギオンという虚構の勇者が作り上げられた。
勇者エリギオンもアゲハ同様多くの武功を打ち立てることに成功した。
そんな中、アゲハはなんとか封印を解こうと四苦八苦していた。そして、なんとか勇者エリギオンの近くにいた暗殺者ノクに接触することに成功した。
それからのことはあまり思い出したくない。
悪逆王に脅されたのだ。
世界を人質に封印されろ、と。
封印なんてもうごめんだと思ったアゲハは最初反発した。
結果、世界は滅びた。
あの残虐な光景は未だにトラウマだ。絶望というのは、こういうことなんだとアゲハは理解してしまった。
それでも、アゲハは諦めなかった。
悪逆王を倒そうと懸命に戦った。
戦っては死んで、戦っては死んで、何度も何度も何度も何度も――数え切れないほどそれを繰り返して、アゲハの心は折れた。
悪逆王はアゲハの人知をはるかに超えた存在だった。
けど、封印を受け入れてからが本当の地獄だった。
「なんで、たくさんがんばったのに、私だけこんな目に遭わなくちゃいけないのよ」
こんな不条理な世界救う価値なんて本当にあったのかと、今でも考えてしまう。
「いい気味だな」
さっきまでなにも存在しなかった空間に黒アゲハが立っていた。黒アゲハは嘲笑するような笑みを浮かべている。
明らか自分を馬鹿にしにきているんだとわかっても、人恋しいアゲハにとってはそんな彼女でも存在するだけでありがたい。
「なんで、そんなひどいことを言うの……?」
「我は貴様が嫌いだからな」
「同感ね。私もあなたが嫌いよ」
なんの意味もない問答だった。
所詮、黒アゲハはアゲハの一部でしかない。黒アゲハを嫌いと言うのは、言い換えれば自分自身が嫌いと言っているのと一緒だ。
「ねぇ、本当にキスカは迎えに来てくれるかな……」
「なんだ、キスカのことが信じられないのか?」
「そういうわけじゃない。けど、100年も経てば気が変わってしまうかもって」
「貴様にとっては100年でも、キスカにとっては一瞬だろ。まぁ、でも我々のやったことを考えたら、それでも愛想をつかれていてもおかしくないかもな」
なんで不安になるようなことしか言わないのだろう、とアゲハは顔をしかめる。
やっぱりこいつは気に入らない。
「そうね……」
けれど、反発するだけの気力がアゲハにはもうなかった。だから、ただただ頷く。
再び黒アゲハのいるほうを見ると、そこには虚無が広がっていた。彼女は消えてしまったらしい。
瞬間、寂しいという感情がアゲハの胸の中にこみ上げてくる。
なにか楽しいことでも思い出して、この寂しさを紛らわそう。
アゲハにとって、楽しい思い出といえばキスカしかいない。
封印されてから100年が経とうとしたとき、【カタロフダンジョン】奥地に新しい人の気配を感じた。だから、いつものようにその人に〈セーブ&リセット〉を譲渡しよう。
このときのアゲハはとっくに壊れていた。
どうせこの人もすぐ諦めるに違いない。
だから、アゲハは全くキスカに期待していなかった。
けれど、キスカが異様な存在だということに、すぐ気がつくことになる。
普通、5回も死んでしまったら心が折れて死を受けて入れてしまう。
けれど、キスカは100回以上死んでも諦めなかった。勇者であるアゲハでも、死んだ回数は30回にも満たないのに。
何度も挑戦するキスカを見ているうちに、感情が希薄だったアゲハの心は高揚へと変化していく。
がんばって、と何度応援したことか。
キスカが難関である
とはいえ、キスカがダンジョンを進み続けてもアゲハが封印されている場所に到達できるとは限らない。
3つある転移陣のうち、アゲハのいる場所にたどり着ける転移陣はひとつだけ。アゲハは来てくれるように心の底から祈った。
そしたら、本当にキスカは来てくれたのだ。
もう、そのときにはアゲハはキスカに心を奪われていた。
この人こそ自分の運命の人なんだ。
この人と出会うために自分はこの世界にやってきたんだ。
それからアゲハはキスカにアピールをした。
なのにキスカは焦燥としていて、自分に関心がないように思えた。
アゲハは焦った。
どうにかして彼を射止めなくては。
結果、あんなことになってしまった。
今更になって、バカなことをしたと思う。例え、自殺したとしても〈セーブ&リセット〉がある以上、なかったことにできるのに。
そのことに気がつかないぐらい、アゲハはパニックに陥っていた。
「うっ、うぅ……」
唐突に涙があふれる。
「会いたいよぅ……」
そう呟く。
どうしようもないぐらいキスカのことが好きなんだ。
早く会いたい。
「キスカぁ」
愛しの人の名を口にする。
100年経った頃には、きっと自分は壊れている。
「助けて……」
ひどくか細い声だった。
運命というのは残酷だ。
なぜなら、彼女が救われないのは確定的事実なのだから。
彼女は一度歩んだ道をなぞるようにもう一度歩んでいるだけに過ぎない。
であれば、今後100年彼女を救うものが現れないのはもう覆しようのない事実だった。
ここに一人の不幸な少女がいる。
幸せかどうかは心の持ちようだ、なんて言葉はありふれているが、いくら好意的に解釈しても彼女はかわいそうだった。
けれど、神は沈黙を貫く。
彼女のことなんて、そもそも眼中にさえない。
その上、世界には大勢の人がいるが、誰一人として、彼女のことを気にする者はいなかった。
なにせ、彼女は異世界の住民で、家族すら存在しないのだから。
だから、世界は彼女を無視し続けて、時間を黙々と刻みつける。
そう、彼女に手を差し伸べる者は一人としていない。
かのように思えた。
一滴の光が落ちた。
そのことにアゲハは数秒遅れてから気がつく。
なんだろう? と。
光は次々と指先から落ち続ける。落ちた光は地面へと波紋を描くように広がっていく。
あ、と声をあげた。
光の源は、キスカのくれた指輪だった。
そうか、キスカが守ってくれているんだ。
そう思った途端、さっきまでの悲壮感は薄れ、アゲハの中に心地よい温もりが生まれた。
悪くない。
キスカが近くにいるのを感じられるなら、怖いものなんてもうないのだから。
彼女は心はずっと安らかだった。
◆
「やぁ、無事に世界を救ったようだね」
目の前に、人間とはかけ離れた造形をした何かがいた。
こいつが観測者という存在だとすぐにピンとくる。他に、こんな見た目の知り合いに覚えはないからな。
この観測者という存在によって、俺は過去の世界へと渡ったんだ。
「これから俺はどうなるんだ?」
「まもなく、君は元の時間に帰れるよ。ちゃんと君にお礼が言いたかったから、こういう場を用意して貰ったのさ」
「そうか……」
頷きながら感慨深い感傷に駆られる。
長い過去でのあれこれがすべて終わったのだ。
「なぁ、なんで俺を元の時代に戻したんだ?」
けれど、これだけは文句を言わずにはいられなかった。
アゲハと一緒に封印されたかったのに、こいつのせいでそれが適わなかった。
「一体なんのことだい?」
「おい、だから、俺は最後あの時代に残ることを望んだのに、なんでそれを叶えてくれなかった?」
「そうか、それは悪いことをしたね」
観測者は申し訳なさそうに口にする。
「けれど、残念ながら僕は君が思っている以上に全能ではないんだ。君の事情は初めて知ったし、例え知っていたとしても、願いを叶えることはできなかっただろうね。時空を超えるというのは、それほど難しいことなのだよ」
観測者の言っていることは、正直よくわからない。
けれど、悪意があって意地悪をしたわけではなさそうだ。
「そうかよ。だったら、早く元の時間に戻してくれ。急いで迎えに行かなくてはいけないやつがいるんだ」
「そうかい、わかったよ。それじゃあ、改めて僕が代表して君のお礼を言わせてくれ。ありがとう」
お礼を言われても正直困る。
俺は別に大したことなんてしてないんだから。
けど、それを伝える前に、観測者は消失していて、目の前の光景がめまぐるしく変わっていた。
そして、数刻経った頃には、俺は地面を踏みしめていた。
急がないと――。
アゲハが待っている。
「どこだ? ここは」
まず、現在位置を把握しないことにはアゲハを迎えに行けない。
上を見上げると、星空が見える。
下を見て気がつく、ここは【カタロフダンジョン】を攻略した者が立つとされる台座だった。そういえば、100年前に来たときも同じ台座に立っていたな。
急げ。
俺はがむしゃらに走っていた。
すぐに、村を追放された際に使った転移陣に乗る。そして、【カタロフダンジョン】奥地へと辿り着く。
転移陣を使った場合、転移される場所はランダムだ。だから、辿り着いてから、自分がどの辺りにいるか急いで把握しないといけない。
「クゴォオオオッッ!!」
ダンジョンの通路を走っていると、目の前から
「邪魔だ、どけっ!」
攻撃をかわしつつ、奥へと進んでいく。
急げ、急げ、急げ――っ!!
走り続けたせいで息が上がる。さっきから呼吸するたびに喉が締め付けられ、足は痙攣し、視界がぼやける。
それでも止まることは許せない。
なにせ、俺のことを100年も待っている人がいるのだから――。
「やっと、見つけた」
アゲハは眠るように光の檻の中に封印されていた。
何度見ても、その様は美しいと思う。
手を伸ばす。
手が触れた途端、光の檻はガラスのような音を立てて崩れていく。
「アゲハ!」
名を呼びながら封印が解けたアゲハを抱きとめようとする。
「……キスカ?」
状況を理解しきれないのか、疑問形だった。だから、俺は優しく肯定する。
「あぁ、俺だよ」
「うっ、うわぁああああああん!!」
彼女は感極まったのか泣き始める。俺もつられて泣いていた。
「わたし、がんばったよぅ」
「あぁ、そうだな」
「キスカ、ありがとう。迎えにきてくれて」
「俺こそ、ごめん。一緒にいれなくて」
「いいの、謝らないで」
それからしばらく俺たちはそのままの姿勢で過ごしていた。
ふいに顔をあげたと思ったら、アゲハはこう口にした。
「やっぱりキスカが私の王子様だ」
そのときの彼女の表情は笑顔だった。
アゲハ編 End
――――――――――――――――――――
【あとがき】
これにて第四章完結です。
カクヨムのループものの特集に本作が取り上げられていたようで、それで本作を読んでくれた方がいらっしゃったようですね。
ランキングも良い感じに伸びてますので、せっかくなので、もう一押し伸ばしたいので、
フォロー、★評価していただけると嬉しいです!!
さて、明日の25日には、ダンデレに関するある告知がございます。
なんの告知かは明日をお楽しみにしていただけると幸いです。
では、引き続きよろしくお願いします。
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