―135― 暗闇
「100年……」
そう呟いたアゲハはなんとも悲観的な表情をしていた。
周囲を見渡しても暗闇がただ広がるばかりで、なにも存在しない。
この空間で、100年も過ごさなくてはいけない。
地獄のような退屈は精神を蝕む。
そのことをアゲハ知っていた。
なにせ、封印されるのは二回目なのだから。
「そんな調子では、先が思いやられるな」
ふと、声をしたほうを振り向くと、一人の人間が立っていた。
そいつは生き写しのごとく自分とそっくりの見た目をしていた。
といっても、よくよく観察すると細部が違うことがわかる。それは目つきや表情に現れていた。極めつけは、彼女は赤いリボンを頭に結んでいる。
「黒アゲハ……」
確か、目の前の存在をキスカがそう呼んでいたことを思い出す。
「まぁ、自業自得の一言に尽きるな」
黒アゲハはそう言ってニタッと気味の悪い笑顔を浮かべる。
瞬間、プツリと頭の中のなにかが切れる音がした。
思い返せば、黒アゲハがあのとき――キスカと共にダンジョンのボスを倒したあと――〈リセット〉なんかを使ったから、100年の前に戻っては再び封印されてしまったのだ。
だから、目の前のこいつがなにもかもが悪い。
「ふざけるなッッッ!! 全部、お前のせいだろうがッッ!!」
気がつけば怒鳴っていた。
その口調は、普段のアゲハからかけ離れていた。
黒アゲハが全部悪いのに、自業自得だなんてどういうつもりなんだと、アゲハは言いたかった。
「おい、とぼけるなよ」
明確な殺意を向けられたにも関わらず、黒アゲハは臆す様子もなく笑みを浮かべていた。
「責任転嫁とはひどいじゃないか。我は所詮、貴様の操り人形でしかないんだから」
黒アゲハの言葉を聞いて、そういえばそうだったとアゲハは思い出す。
ずっと忘れていた。
黒アゲハの正体を。
いや、忘れたフリをしていたと言ったほうがより正しいか。
「そういえば、二重人格とキスカには説明していたな。あれも貴様お得意の嘘だろ。貴様はいくつ嘘をつけば、気が済むんだ」
「だって、キスカに嫌われたくなかったんだもん」
「くくっ、まぁいい。なにせ、その気持ちは我も同感だから。ともかく、その様子だと思い出したようだな、我の正体を――」
正体だなんて、もったいぶった言い方をするほど、黒アゲハは大それたものではない。
なんせ黒アゲハの正体は、アゲハの作ったイマジナリーフレンドに過ぎない。
長い間封印されたことによって生じた退屈を紛らわせるために、話し相手を造った。それが黒アゲハ。
だから、黒アゲハはアゲハの傀儡に過ぎず、アゲハの言うとおりにしか動かない。
「頭に血がのぼった貴様は、何度もキスカを殺した。だが、ふと冷静になって思い返したのだ。こんなことをしたら、キスカに嫌われてしまう。そこで妙案を思いついた。二重人格ってことにして、もう一人の自分が悪さをしたんだって言い訳をしようと」
「けど、キスカは一度も私を責めなかった」
「あぁ、おかげでせっかく言い訳を用意したのに、使う機会がなかったな」
そう、結局のところ、キスカはアゲハのことを責めたことはなかった。
恨まれるだけのことを散々してきたはずなのに。
「だが、救った事実を〈リセット〉するのは、ちとやりすぎだったな。その、つけがこれでは割りにあっていない」
「本当そうね……」
そもそも、なんであのとき〈リセット〉を使ったんだろうか。
アゲハは思い返す。
たしか、キスカに会わせる顔がないから仕方なく記憶を失ったフリをして、それでキスカと仲良くなって、不安になってしまったんだ。
キスカの好意が自分に向いていないんじゃないか。
キスカは自分なんて、なんとも思ってなくて、他の女が好きなんじゃないか。
ついに、自暴自棄になったアゲハは自殺を図った。
しかも、自殺するだけでは、飽き足らず、世界を滅亡させようと考えた。
そうして、世界は暗黒に包まれた。そのはずなのに、なぜかキスカが百年前まで来てしまったのだ。
結局、なんでキスカは百年前に来れたのだろう?
観測者という存在がいた、と言っていたが、そんな存在をアゲハは知らない。神に近い存在だろうか、と思案するが、答えが出そうになかった。
ともかく、こうしてアゲハは生き残っている。
結局のところ、アゲハの壮大な自殺は失敗してしまったのだ。
「私、キスカに救われてばっかりだね」
左手の指輪をさすりながらそう言う。
自殺に失敗したのだって、キスカががんばってくれたからだ。
「早く、キスカに会いたいな」
そう言って、アゲハは思いをひたすら募らせる。
◆
「ねぇ、封印されてから、どのくらい時間経った?」
途方もない時間を暗闇の世界で過ごした気がする。
「あいにく体内時計は有していないからな。まったく見当つかない」
そう答えたのは、黒アゲハ。
「2年ぐらいは経ったかな?」
「いや、半年も経ってないと思うぞ」
「あぁ、長いなー」
そう口にして、アゲハはくたびれる。
まだ黒アゲハが話し相手になってくれるから、気を持っていられるが、いなかったらとっくに狂っていただろう。
けど、前回封印されたときよりは、幾分か気持ちが楽な気がする。
◆
「飽きた……」
ぽつり、とそう呟く。
どれほど時間が経ったか、もうよくわからない。
「今日はダンジョンを探索しないのか?」
見ると、そこには黒アゲハがいた。
自分はこんなにもゲッソリとしているはずなのに、黒アゲハは余裕そうに笑みを浮かべている。それがなんだか憎たらしい。
「どうせダンジョンを探索しても、なんにもないもん」
ふて腐れた様子でアゲハはそう呟く。
長いこと封印されていた影響で、アゲハは自らを模した分身を封印の外、つまりダンジョン内に造ることができるようになった。
分身は自分の体と同じように動かすことかできるため、これがけっこう気晴らしになる。
とはいえ、分身を動かすには多くの制約がつきまとう。
例えば、分身は本体のいる場所から遠くに行くことができない。そのため、ダンジョンの外にでるのはおろか、ダンジョン内でも動ける範囲が制限されている。
それに分身を維持するのに、相当なエネルギーを消費するため、長時間維持することはできない。
「前みたいに、ダンジョンの奥までやってきた冒険者にスキルを授けてみるのはどうだ?」
黒アゲハの言うとおり、アゲハは【カタロフダンジョン】の奥地にやってきた人にスキル〈セーブ&リセット〉を渡していた。
このスキルの譲渡も、長いこと封印されていたことで獲得したものだ。
その目的は、このスキルを駆使した冒険者がうまいこと生き延びて封印されて動けない自分を救ってくれるんじゃないかと期待をしたからだ。
「やる意味はないよ。キスカ以外はみんな死んじゃうのわかっているんだもん」
前回の封印では、数え切れない人に〈セーブ&リセット〉を譲渡した。けど、繰り返される死に耐えきれず、みな死を受け入れてしまった。〈セーブ&リセット〉は強制的に発動するわけではない。当人が諦めてたら、時間はループしない。
だから、譲渡した全員が数回ループした後、死んでしまった。
「けど、気晴らしにはなるだろ」
それもそうか、と黒アゲハの言葉に頷く。
封印されている現状、娯楽は限られている。
スポーツを観戦する感覚で、〈セーブ&リセット〉を譲渡された人間がどう足掻くのか見てみるのも悪くないかもしれない。
◆
封印されてからどれほど時が経っただろう、とアゲハは思案した。
5年は経ったと思いたいが、実際はもっと少なかったら悲しいから、あまり期待できない。
「つまんない……」
気晴らしに、〈セーブ&リセット〉を渡そうと、分身を使ってダンジョン内を徘徊するも、そもそも人と遭遇することがあまりにも稀だった。
やっとの思いで、出会った人に〈セーブ&リセット〉を渡して、その生き様を観察しても、あまり楽しくはなかった。どうせ死ぬとわかっているからだろうか。
前回、同じことをしていたときはもっと違った感情で観察していた。
ダンジョン奥地まで人がやってくること自体珍しかったため、人がやってくるたびに、心臓が高まり、期待を込めて〈セーブ&リセット〉を渡す。
そして、祈るような気持ちでその人がやってくるのを待ち続けた。
だというに、途中半ばで死んでしまい、そのたびにアゲハは絶望する。
そんなことを何度も繰り返す度に、アゲハの心は疲弊していく。
けど、今回はそんなふうに心が乱れることはなかった。
それは、キスカが助けてくれると知っているからなのは、考えずともわかる。
とはいえ、憂鬱なことには変わりない。
たまに吸血鬼ユーディートと分身が鉢合わせて殺し合いに発展することも稀にあるが、退屈しのぎになるかというと疑問だ。
またあるとき、吸血鬼ユーディートが封印されている場所までやってきては封印を壊そうとしたことがある。
邪魔だから壊した上でアゲハを殺してしまおうとでも思ったのだろう。
けど、封印は非常に硬くあっさりと諦めてしまった。
そういえば、キスカはアゲハの封印をあっさりと解くことができたけど、それはなぜなんだろう? と、アゲハは今更ながら疑問に思う。
ちなみに、分身で物理的に壊そうとしてもビクともしないのは、実証済みだ。そもそも、分身では強い力を引き出すことができない、というのもあるだろうけど。
そんなわけで退屈しのぎに調べてみることにした。
なにせ、時間なら飽きるほどある。
◆
封印されてから、途方もない時間が経った。
「それで、なにかわかったか?」
見ると、黒アゲハが立ってた。黒アゲハが現れるのは、決まって人恋しいときだ。
「時間が経つごとに結界の強度が脆くなっている」
「つまり、百年経った頃には、誰でも結界を壊せるようになっているというわけか」
黒アゲハの言葉を片耳で聞きながら、アゲハは思考を巡らせる。
結界が脆くなるのは、偶発的なのか? それとも意図的か? もし意図的なら、なんのために?
「もしかすると、キスカが来なくても、いずれ結界は崩壊し、外にでることができたかもしれぬな」
そうだね、とアゲハは頷く。
本当に、この結界が時間が経てば壊れる仕組みだったとしても、壊れる年月がどれほどか見当がつかない以上、キスカが救ってくれてよかったということに変わりはない。
キスカがいなければ、さらに10年、もしくは、さらに100年封印されたままだったかもしれないのだから。
「ちなみに、分身を使って壊すことはできないのか?」
「できない。私の力を加えようとすると、どういうわけか弾かれる」
「なるほどな」
ホント、この結界がどういう仕組みか全くわからない。
この結界を作ったのは悪逆王なんだろうが、ホント彼は何者なんだろうか。この世界の理から外れすぎている気がする。
「もしかして、悪逆王の目的は私を封印することではないのかもしれない」
「どういうことだ?」
てっきり悪逆王は殺すことが出来ないアゲハを無力化するために封印したのだと考えていた。
「推測なんだけどね、もしかしたら悪逆王は私を100年後の世界まで、生きながらせるために封印したのかなって」
通常、100年も経てば、人間は死んでしまう。けれど、封印されている間は歳をとらない。
「なんのため、そんなことをしたんだ?」
「それはわかんないけどさ」
結局、こんなふうに考えたって答えなんてわからない。
◆
「ねぇ、どれだけ経ったかな……?」
ポツリ、と呟いた。
「さぁな? やってきた冒険者を剥ぎ取れば、わかるんじゃないのか」
黒アゲハは投げやりな様子だった。
確かに、と思いつつ、それをやるだけの気力も湧かない。
とはいえ、どれだけ経ったか気になる。
がんばるか、と思いながら、冒険者がやってくるのをひたすら待つ。
【カタロフダンジョン】はS級ダンジョンということもあり、攻略にくる冒険者は少ない。
それでも、ごく稀に人がやってくるのは、カタロフ村が罪人をダンジョン奥地へと追放するから。
キスカもその一人だと言っていたことをふと、アゲハは思い出す。
キスカのことを思い出したせいか、キスカに会いたいという欲求が高まる。
そんなことを思いながら、ダンジョン奥地まで人がやってくるのを待った。
たまにしかやってこないため、何日も待ち続ける。
そして、とうとう一人の男がやってきて、魔物に食い殺されるのを見届けた。
分身を使ってその男の遺留品を探る。
なにか、日付がわかるものを持っていないだろうか?
「あ、日記がある」
表紙が日に焼けて文字がかすれている。
日記なら決まって日付を書いているはず。それさえわかれば、何年経ったかもわかるはず。
封印されてから、随分と時間は経った気がする。
予想では、10年以上は経っているだろう、と思いながらページを開いては、日付を見て、年数を計算する。
「あれ……? まだ1年しか経っていない……」
正確には1年と半月。
予想は大きく外れていた。
「あ……っ」
おのずと涙が零れる。
想像以上に、年数が経っていないことに大きなショックを受けてしまった。
それゆえに、アゲハの中でなにかが壊れてしまった。
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