仮面の悪意

 もう一人のおれと、もう一人の賢者ちゃんがいなくなったあと。

 囚われの身となったおれの食事を持ってきてくれたのは、ちょっと意外な人物だった。


「旦那ぁ! 大人しくしてましたかい? せめてものお詫びと言っちゃあなんですが、メシ持ってきましたぜ!」


 仮面をつけた行商人さんは悪びれる様子すら見せずに、こちらに食事が載った盆を突き出してきた。


「おお、行商人さんじゃん」

「へへっ。どうもどうも」

「のこのことおれのところに来てくれたってことは、もしかして逃がしてくれたりする?」

「いやぁ、それは無理な相談ですなぁ。旦那にはできれば、この村で大人しく野垂れ死んでもらえると、こっちとしちゃあありがてぇ」

「でもメシは出してくれる、と」

「もう一人の旦那の意向ってやつですな。さ、どうぞどうぞ、口開けてください。あついうちにね……」

「お前が食わせるのかよ!?」


 とはいえ、腹が減ってはなんとやら、である。

 相変わらず表情の見えない仮面を見上げながら、もぐもぐと突き出されたスプーンから食事を味わう。炒めた飯は、きちんと美味かった。


「こっちが聞くのもおかしな話だが、毒が入ってるとかそういうのは疑わないんで?」

はそんなことはしない」

「……はあ、左様で」


 即答が気に食わなかったのか、行商人は仮面の上からでもわかるあきれた様子で、スプーンをくるくると回した。


「で、あんたは何しに来たんだ?」

「少しお話を、と思いましてね」

「なんの?」

「魔法の話を」


 淡々とおれに向けて食事を提供しながら、仮面の下の口が、ぺらぺらと言葉を紡ぐ。


「わっしが知る限り、魔法の種類や性質に精通してる旦那以上の人間は、他にはいない。世界を救った勇者は、同時に『世界最高の魔法使い』である……ってのがこっちの持論でしてね? いやまぁ、悪魔を加えてもいいのなら、トリンキュロあたりは良い線いってると思いますがね」

「……それで?」

「魔法は奇跡の力、ってのが世間一般の認識ですが、それも実態はちょいと異なる。万能に見える魔法にも限界はあり、全能に思える魔法は何らかの落とし穴を抱えている」


 たとえば、と。

 大仰に指をたてて、語る言葉は止まらない。


「あの武闘家のお嬢さんの『金心剣胆クオン・ダバフ』は、触れたものを『静止』させる。しかし、なければ『静止』できない。ものを、永続的に『静止』させるわけじゃあない。そっちの方が強そうなのに、魔法がそのように進化しなかったのは不思議ですなぁ? 騎士のお姫さまの『紅氷求火エリュテイア』もそうだ。永続的に触れたものの温度を『変化』させることができるなら、コップの中で永久に沸騰し続ける湯を作ることだって、できちまうわけでしょう? そんなものが作れたら世界を取れそうなのに、彼女の魔法はそのように進化していない」

「話が長い。結論から言え」


 こちらも淡白に、話をばっさりと切る。

 仮面の男は、明確に笑った。


「魔法という力は、万能でも全能でもない」

「だから?」

「欠陥があるんでさぁ。『白花繚乱ミオ・ブランシュ』という白の魔法には一つだけ、明確なリスクがある」


 仮面の男が、言ったとおり。

 おれはこれまで、数え切れない魔法を見て、戦い、時には奪い、自分のものにしてきた。

 その中でも、賢者ちゃんの『白花繚乱ミオ・ブランシュ』は『増殖』という最強最高に近い魔法効果を持っていた。




「あれで『増やしたもの』は、いつか消えます」




 前提が、覆る。


「不思議に思ったことはなかったですかい? 自分自身を増やしたあと、いちいち消える必要はないでしょう? もとに戻らなくても、増えたまま行動する利点もかなりあったはずだ。一緒に旅をしてきた中で『増やされたシャナ・グランプレ』がずっと側にいたことはありましたか? 旦那なら、増えた本物と偽物も見分けもつくんでしょう?」


 指先が、リズミカルに鉄格子を叩く。


「あの幸せそうな二人の寿命は近い。彼らが生き残るために、彼らを救うために、取れる方法は……唯一つ!」


 視線が、仮面の奥で光を帯びる。


本物の勇者と賢者あんたたちが、代わりに死ぬことです」

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