バカップル

「なんであるかなんであるかその反応は!? 吾輩がこれだけ完っ璧なシチュエーションを用意したにも関わらず、その冷たい反応は!? もっとこうなんか……あるであろう! 宿敵との再会に、喜びと驚きを滲ませるような反応がっ!」

「まさか、まだ生きていたとは。正直驚きましたよ、タウラス」

「そう! そんな感じの!」

「相変わらずしぶとさだけはゴキブリ並みですね」

「例えが雑ぅ!」


 息を切らして体をくねらせている最上級悪魔を、シャナは冷たい目で見下ろしていた。状況的にはまったく見下ろせる状況ではないのだが、見下ろしていた。


「賢者さん。この方、悪魔なんですか?」

「ええ。こいつは、タウラス・フェンフ。人間に紛れ込んで王都で悪さを企てていた、しょぼい最上級悪魔です」

「しょぼくないのである!」

「最上級、ということは……」

「そうですね。格としては、あの双子悪魔やギャンブルイケメンにクソロリ四天王……ジェミニやサジタリウス、トリンキュロと同格にあたります」

「え。ほんとですか?」

「はい。残念ながら本当です。よく私にちょっかいをかけてきて、そして一方的に撃退されて追放されました。まさかこんな土地に落ち延びて生き残っているとは思わなかったですけど」

「もう少しマシな紹介をしてほしいのである!」


 がばり、と顔をあげたタウラスは息を切らしながら自慢のひげだけは整えて、少女の方に近づいた。


「ご機嫌麗しゅう。我が至高の君よ。このタウラス、魔王様の忠臣として、耐え難き日を耐え、忍び難きを忍び、ジェミニのクソ共にも先を越され……しかしようやくこうしてお迎えに!」

「そのおひげ、あんまり似合ってないですね」

「なあ、賢者。我輩、何か魔王様に嫌われるようなことしたのであるか?」

「いえ、単純に似合ってないだけだと思いますよ」


 最上級悪魔、タウラス・フェンフは本当に泣きそうだった。

 シャナは両手を縛られたまま、やはりタウラスを見下してふんぞり返る。


「ていうか、あなたじゃ話になりません。さっさと今回の襲撃の首謀者を連れてきてください」

「はあ!? 何を隠そう、この我輩こそがばっちりがっつり黒幕であるが!?」

「あの、タウラスさん」

「なんでしょう魔王様?」

「今は真面目なお話をしているので……」

「魔王様っ!?」


 最上級悪魔は、どこまでも舐められ腐っていた。


「もういいだろ、タウラス。オレから話すよ」

「だから、最初からタウラスに任せない方が良いって、私は言ったのに」


 見かねた、といった様子で二人分の声が割り込んできた。

 かつかつ、と。ブーツの底が、床をリズミカルに叩く。ひげ面の悪魔は舌打ちをしながらも、会話の主導権を譲るように、一歩後ろに下がった。

 仮にも最上級の位を冠する悪魔が、人間に何かを譲る。

 その事実が、彼らの力関係をなによりも雄弁に証明していた。

 襲撃してきた時とは違い、今度は顔は隠していない。部屋に入ってきた二人の顔つきを見て、シャナの隣で少女が事実を確認するように呟いた。


「……もう一人の勇者さんと、賢者さん」

「あらためて、はじめまして、元魔王のお嬢さん。でも、オレは勇者じゃない」


 青年は形だけは朗らかな笑みを浮かべたが、その笑顔はどこか作りものめいていた。


「シナヤ。シナヤ・ライバックだ。今は、そういう名前を名乗らせてもらっている」

「ルーシェ。ルーシェ・リシェル。シャナなんて名前じゃないから、間違えないでね」


 シナヤとルーシェ。

 まったく同じ顔の人間が、まったく違う名前を名乗る。その状況の異常さに、シャナは歯を噛み締めた。


「生きていたんですね。二人とも」

「うん。残念だった?」


 嘲るように、ルーシェが鼻を鳴らす。

 あまり好意的な態度ではなかったが、タウラスよりは話が進みそうだ。あくまでもフラットな口調を保ちながら、シャナは言葉を紡いだ。


「口を塞がれていないということは、対話の意思があると解釈しています。質問の許可をいただけますか?」

「ああ。オレに答えられることなら、答えるよ」

「では……」


 色々と聞きたいことはあったが、シャナにはまず何よりも問い質したいことがあった。


「……あの、どうして、お姫様だっこを?」


 それは、純粋な疑問であった。

 ルーシェは、甘えるように全身の体重を預けて、シナヤの首に手を回している。シナヤは、ルーシェをお姫様だっこしている。

 要するに。簡潔に。

 一言でまとめてしまえば。

 この二人は、シャナの目の前でめちゃくちゃイチャイチャしていた。


「え。どうして、と聞かれても……なあ? 一日一回はこうしてるし」

「は?」

「シナヤ。真面目に取り合う必要はない。私たちの仲の良さに嫉妬してるだけ」

「は?」


 自分と同じ顔をした少女が、勇者と同じ顔をした青年といちゃついて、バカップルをしている。

 その事実は、シャナ・グランプレという賢者の脳を破壊するには、十分に過ぎた。

 魔法を使えなくなった原因も、精神を乱された原因も、ほぼこれである。

 つまり、間接的には、自分はこのアホみたいなイチャラブに敗北を喫したことになるのだ。

 つらい。

 ちょっとまた吐きそうだ。もう舌を噛み切って死んでしまいたい。

 がっくりと脱力して、シャナは首を下げた。


「賢者さん! 賢者さん! しっかりしてください!」

「だーから、こいつらは呼ばずに、我輩だけで話を進めたかったのである……所構わずイチャつかれても、目に毒であろう?」


 なんだか、悪魔の言葉の方がまともなのが泣けてくる。

 シャナは震える唇で、なんとか言葉を紡いだ。何か言っておかないと、本気で心が折れそうだったからだ。


「ふ、ふん……! み、見るに耐えないですね。こんなのが私だなんて、し、信じられません」

「モテない女の嫉妬は見苦しいね。シナヤ」

「そうだな。ルーシェ」

「はぁぁぁん?」


 ちょっと、でかい声が出た。

 自分を増やすことはシャナにとって日常茶飯事だったが、自分自身にここまで見下されるのは、新鮮な体験であった。


「いくら冷静でクールな私でも、限度がありますよ、これは……」

「もうキレてると思うんですけど……」

「吾輩もそう思うのである」

「何か言いましたか?」

「なんでもないです」

「気の所為である」


 余計なことしか言わない元魔王と悪魔を視線だけで黙らせて、シャナは砂糖を吐きたくなるほどに二人だけの空間を形成しているバカップルを睨みつけた。

 しかし、ルーシェはその厳しい視線を軽く流して告げる。


「強がるのも大概にしたら? あなたのご自慢の魔術は、その呪符で封じてる。なにより、頼みの綱の魔法も、今は使えないでしょう?」

「え?」


 驚いたようにこちらを見る赤髪の少女の視線から、シャナは思わず顔を背けた。


「私っていうコントロールできないイレギュラーを認識して、魔法が正しく作用しなくなってる。わかるよ。だって、私も同じ魔法を持っていて……のままだもの」

「一緒にされるのは、心外ですね。あなたの場合は、自分の魔法を鍛える努力をしてこなかっただけでは?」

「ふざけてるのは、そっちだよ」


 ルーシェの語気が、強まる。


「そもそも、自分という存在を自由に増やして……! 自我をまともに維持できるわけがないッ! 最初から、この魔法で自分自身を増やすのは無理があるの! だって……!」

「ルーシェ」


 シャナの心を刺す言葉は、しかし最後まで続かなかった。


「は?」


 シャナは、目を丸くするしかなかった。

 シナヤが、ルーシェの唇を強引に塞いだからだ。

 それは、世間一般にキスと呼ばれる行為であった。


「っ……!?」



 いやキスではない。

 より深い方の口吻であった。

 ルーシェの指が、シナヤの手のひらに絡む。喘ぐ目尻に、涙が浮かぶ。


「……はあ?」


 シャナは、何か言おうとしたが。

 ちょっと、言葉が出てこなかった。


「ちょっと!? タウラスさん! なんでわたしの目を塞ぐんですか!? 見えないじゃないですか!?」

「ダメなのである。魔王様にはちょっとこれはまだ早いのである」


 忠誠心の高い最上級悪魔は、しれっと主の目元を手で塞ぎ、刺激の強すぎる光景を見せないようにしていた。

 しかし、賢者の目を塞いでくれる人間は誰もいない。ただ、見せつけられるだけである。

 おそらく、耐えきれなくなったのだろう。首を振って重なっていた唇を引き剥がしたルーシェは、潤んだ両目でシナヤの顔を見上げた。


「シナヤ、あなたね……」

「黙らせるには、これしかないと思った。だめだったか?」

「だ、だめじゃないけど……」


 なんだろう?

 なんなのだ。

 本当に、なんなのだ、これは。


「じゃあ、いいな?」

「ん……」


 再び、二人の顔が近付く。

 二回戦がはじまる気配を前に、世界を救った賢者は辛うじて声を絞り出した。


「も、もういや……」

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