賢者と悪魔
「捕まっちゃいましたね」
「ええ。完膚なきまでに捕まりましたね」
自然に漏れ出たのであろう隣からの呟きに、シャナはどこか他人事のように答えた。
連れて来られたのは、おそらく谷の最深部。地下牢のような場所ではあったが、待遇はそこまで悪くはなかった。ひどい扱いを受けるのかと思いきや、腕こそ体の後ろで固く縛られているものの、質が良さそうなやわらかいソファーに体重を預けることを許されている。人質とは思えない好待遇だ。口枷や目隠しの類いもつけられていない。言葉を交わすのすら自由である。
妙に扱いが丁重なのは、やはり隣の赤髪の少女のせいか、と。シャナは思った。
「わたしたち、どうなっちゃうんでしょうか?」
「わざわざ手間をかけて村まで誘い込んだんです。何か目的があるのでしょう」
「やっぱり、あの行商人さんは悪い人だったんでしょうか?」
本当になんというか、この赤髪の少女は人を疑うことを知らない。
シャナは呆れを滲ませた言葉をなんとか喉の奥に飲み込んで、言葉を紡いだ。
「あの偽物勇者と猿真似私はもちろんですが、私が考える限り、あの行商人が一番やっかいでしょう。武闘家さんの相手をして、あまつさえ攻撃を当てるなんて、私でも難しいことです。そんなことができるのは、トリンキュロくらいのものですよ」
「じゃあ、賢者さんよりも強い、ってことですか?」
「ふん。魔術と魔法さえ使えれば、私の方が強いことをすぐに証明してやりますよ」
口に出して言ってはみたが、今の状態でそれができないことは明白である。
赤髪少女は、少しだけ表情を引き締めて呟いた。
「勇者さんたちのことが、少し心配です」
「……アリアさんはべつの場所に連れて行かれたようですが、すぐにどうこうされることはないと思います。武闘家さんだって、簡単にやられるはずがありません。むしろ、私たちがピンチだっていうのに、勇者さんはなにやってるんだって感じですよ」
「あの、死霊術師さんは?」
「あれはバラバラに解体して川に流しても死なないので、本当に心配するだけ無駄です」
「あ、はい」
「それよりも、今は自分たちの身を最優先に考えるべきです」
げんなりと、シャナは腕に貼り付けられた呪符を見た。以前、都で上級悪魔に襲撃された際に使用されたのと同じものだ。これがある限り、シャナは魔術を一切使用することができない。そして、今のシャナは自身の魔法を……『白花繚乱』を使用することもできない。
状況は端的に言って最悪だった。魔術も魔法も使えない魔導師は、剣がない騎士以上に使えない存在だ。
「賢者さん」
「皆まで言わないでください。私だって不安です」
「や、やっぱりそうですよね……」
「はい」
「ちゃんとご飯は出るのでしょうか!?」
「はい?」
なに言っているのだろうか、この赤髪腹ペコ馬鹿は。
隣の少女があまりにも楽天的だったので、シャナはたまらず聞き返した。
「あなた、さっきたらふく食べてませんでした?」
「でも、お昼ごはんと夜ご飯は別じゃないですか!」
「……」
この状況下で食事の心配しかしていないのは、いくらなんでも肝が太すぎる。さすが、元魔王というべきだろうか。
なんだか、命の不安を抱いていたことすらばかばかしくなって、シャナは深い深い溜め息を吐いた。
「賢者さん? 大丈夫ですか」
「ええ、大丈夫です。あなたの脳天気っぷりに当てられていると、悩んでいたことがバカバカしくなってきました」
「それはよかったです!」
「……」
この底抜けの明るさの前には、皮肉すら通じない。こまったものである。
「なんだか賢者さん、さっきからすごく元気がなかったみたいだったので。いつもみたいに溜め息を吐いてくれて、わたし、ほっとしました」
それでいて、人の気持ちの変化には妙に敏感なのだから、本当にこまってしまう。
シャナは押し黙るしかなかった。
「原因は、やっぱり襲ってきた人たちですか?」
「……やれやれ。あなたにそこまで心配されるとは、私もまだまだですね」
今度は溜め息を吐くことはせずに、シャナは少女と視線を合わせた。
「ジェミニもトリンキュロも、非常に面倒な敵でしたが、厄介さという意味では今回の襲ってきた連中はそれを上回るかもしれません。なぜなら……」
言い切る前に、薄暗かった部屋の証明が点いた。暗闇に慣れていた目が、急な光量の増加に驚いて、細まる。
「ひさしぶり、であるなぁ……我が宿敵。世界を救った、憎き賢者よ」
自分を役職で呼ぶ、低く、鋭い声音。その重さに、シャナは体を固くした。
歯車が軋むような音を伴って、目の前の床が真横に開き、その中から人影が浮上する。
「吾輩の平穏を奪った恨み。こんなところで晴らす時が来ようとは、夢にも思わなかったのである」
真っ白なバスローブに、手には真っ赤なワイン。なによりも特徴的なのは、口元に豊かに蓄えた、そのヒゲであった。
「あなたは……」
「おうとも。吾輩の顔、忘れたとは言わせないのである」
ごくり、と。
その男を見上げて、シャナは呟いた。
「誰でしたっけ」
「……」
長く、長い。
奇妙な沈黙が、部屋に満ちた。
「ええっ!? 賢者さん、この方のこと知ってるんじゃないですか!?」
「いえ、全っ然知りませんね。記憶にありません」
「……」
部屋の中に響くのは、赤髪の少女の元気な声だけだった。
ぱちん、とひげ面の男は再び指を鳴らした。それが合図だったのだろう。再び歯車が噛み合うような音がして、ひげ面が乗っていた足場が下降していき、真横に割れていた床が閉まり、部屋の中が薄暗くなって、元に戻る。
本当に、無駄に凝った仕掛けだった。
そして、きっかり十秒ほどの間を置いて、再び部屋に明かりが灯った。
「かつて知略を競った吾輩の顔を、よもや忘れたわけではあるまいな。賢者よ?」
どうやら、最初からやり直すつもりのようだった。
シャナはげんなりとしたが、隣に座る赤髪の少女は遊び心たっぷりのギミックに、変わらず表情を輝かせていた。やはり脳天気である。
ほんの少し冷や汗を浮かべながら、ひげ面の男はワインを一口飲んで言った。
「感動の再会、というやつである。もはや、懐かしさすら感じるのではないか? 我が宿敵。世界を救った、憎き賢者よ」
「いや、だから誰でしたっけ?」
「……ふん。恐ろしさのあまり、我輩との暗く陰惨な謀略の駆け引き。その記憶を忘却の彼方に送っているようであるな」
「賢者さん、がんばって思い出してあげないとかわいそうですよ。何か、お知り合いみたいですし……」
「いや、でも覚えてないものは覚えてないんですよね」
「あの、その……まさか本当に、吾輩のこと忘れちゃったのであるか?」
「だから誰です?」
「ほら、お前を潰そうとしていた勢力がいたであろう? 王都に」
「いや、勇者さんと別れてからこの一年は、王室周りのいざこざで数え切れないくらい策謀に巻き込まれてましたし。そんなのいちいち覚えてないんですよね」
「お前に後一歩のところで敗れた田舎出身の成り上がり領主がいたであろう?」
「えー、いましたっけ。そんな人……」
「賢者ぁ!」
ワインのグラスが、握力で粉々に砕け散った。
「吾輩である! タウラス! タウラス・フェンフである!」
「あ、はい。おひさしぶりですね」
「反応ぁ!?」
迫り上がる床とバスローブとワインで雰囲気を完璧に作っていたひげ面の最上級悪魔、タウラス・フェンフは、キレた。それはもう、その場で足をバタつかせて、キレ散らかした。
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