勇者の結婚
捕まったおれは、地下牢のような場所に連れてこられた。
縦に長い構造になっているこの村の中でも、特に深い場所なのだろう。光が届きにくいのか、まだ昼間だというのにぼんやりと薄暗い。
拘束は思っていたよりも緩く、目隠しの類もなかった。ただ、腕だけは魔法が使えないように、太いアームカバーで厳重に覆われ、後ろ手に鎖で壁と繋がれてしまった。これでは、どこにも触れることができない。完全に『魔法使いの拘束方法を理解している』捕縛のやり方である。
「思っていたより大人しく捕まってもらって助かるよ」
牢屋の檻越しに、おれの顔をしたそいつはぬけぬけとそう言った。
なんだかムカつくので、こちらも涼しい顔で言い返しておく。
「こちらこそ、思っていたよりゆるい拘束で助かるよ」
「人質がいるからな。お前を自由にさせるつもりはないが、こっちに『 』と『 』がいる以上、無茶はしないだろ?」
おれには聞こえない名前をぬけぬけとほざきながら、見透かしたようなことを言ってくる。
お前は、仲間を人質に取られているなら無茶はしない。
直球に、そう言われているようだった。
やはり腹ただしい。涼しい顔でおれを見下ろしているコイツは、どこまでもおれ自身だ。
「同族嫌悪っていう言葉の意味を、ようやく正しく理解できた気がするよ」
「同族、というか正真正銘の本人だけどな」
「やかましいわ」
「自己肯定感が低いのは感心しないぞ? 人生を豊かに生きるコツは、自分自身を正しく評価することだからな」
うるせぇな。
コイツ、本当におれか? おれって真正面から会話すると、こんなムカつく皮肉を会話に織り交ぜて投げてくる感じだったっけ? 絶対違うだろ。おれのくせに、おれの知らないところでひねくれた育ち方しやがって。
「二人が話してるの見るの、なんだか変な感じ。おもしろい」
と、もう一人の賢者ちゃんが、羽織っていたローブを脱いで壁にかけながら、やわらかく笑った。
まじまじと、あらためてその姿を見る。
やはり顔立ちは瓜二つだ。それこそ本当に、双子のように目の色や口元といった顔を構成するパーツの一つ一つが賢者ちゃんと同じものだ。しかし、まったく同じかというと、それも否だった。
薄暗い地下牢の中でもきらめいて輝く銀髪は、サイドポニーの形でまとめられている。そのため、エルフの特徴である尖った耳が、はっきりと見て取れる。それだけで、賢者ちゃんとは雰囲気が随分と違った。
服装に関してもそうだ。スカートの足元以外はほぼ露出がない賢者ちゃんとは異なり、ゆったりとした白の上着は華奢な肩が露出する、わりと大胆なデザインだった。インナーの色は黒。主張し過ぎない程度に、首元を金色のアクセサリが飾り立てている。下はスカートではなくかなり丈の短いショートパンツで、見るからにインドアな格好をしている賢者ちゃんと比べると、活発で明るい印象を受ける。
しかし、それよりも、なによりも。
おれはじっと、もう一人の賢者ちゃんの胸元を凝視した。
決して豊かではない。だが、ないわけでもない。うっすらとなだらかに、ほんのりと。弧を描いている。おれの男としての直感と勇者としての経験が、明確にその事実を告げていた。
──ある。本物の賢者ちゃんと比べて、明らかにある。
どういうことだろうかこれは。やはり、普段から食べているものや日常生活の過ごし方が違うと、なんかこういろいろと変わってくるのだろうか? というか、胸だけじゃなくてショートパンツから惜しげもなく見せびらかしてる脚とかも、なんだか本物の賢者ちゃんと比べて肉付きが良いというか、総じて本物の賢者ちゃんと比べて、可愛らしさよりも色気の方が勝るというか……
「……あんまりじろじろ見ちゃダメだよ。もう、お兄ちゃんのえっち」
「あ。いや、ちが……」
「ちがわねぇだろ。殺すぞ」
もう一人のおれは、どす黒い殺意を滲ませた声でそう言った。
こわ。もう一人のおれ、こわっ。
自分自身に怒られるのってこんな感じなんだ……。
「さて、と。お前には、聞きたいことがある」
言いながら、もう一人のおれはわざわざ椅子を持ってきて、檻の前に置いた。どうやら、それなりに長話をするつもりらしい。
すると、もう一人の賢者ちゃんがもう一人のおれの肩をちょんちょんとつついて、椅子を指し示した。
「私が座るところないよ?」
「あー、この部屋、椅子一つしかなかったな。じゃあ、座る?」
「あなただけ立たせるのも、ちょっとなぁ。上、乗っていい?」
「重いからいやだ」
「ばか。私は重くないでしょ」
軽いやりとりをしながら、もう一人のおれは、どっしりと椅子に腰を落ち着けた。そして、その上にちょこん、と。また全身を預ける形で、もう一人の賢者ちゃんが乗る。後ろから抱きしめる形で腕が伸びて、露出した華奢な肩に、顎先が乗る。それがくすぐったかったのだろう。まるで猫のように目を細めて、もう一人の賢者ちゃんは、すりすりとお返しとばかりに頬をこすりつけた。
おれの前で、おれをそっちのけに密着する一組の男女は互いに他愛もない触れ合いを繰り返して、ひとしきりくすくすと笑い合ってから、ようやくこちらに向き直った。
「……さて、と。お前には、聞きたいことがある」
「さて、と。じゃねえよ。なにいちゃいちゃしてんだ」
「ん? いや、これは違うぞ。いちゃいちゃしてるんじゃない。日常的なスキンシップだ」
「ちがわないだろ。ぶっ倒すぞ」
おれはストレートな殺意を込めてそう言った。
舐めてんのか? 何が悲しくて、自分と同じ顔した男が賢者ちゃんと同じ顔の女の子(備考・ちょっと大人っぽい)といちゃいちゃしてるところを見せつけられなきゃいけないんだ。
「一つ、どうしても確認しておきたくてな」
本当にもう一人の賢者ちゃんを人形のように前に抱き締めたまま、もう一人のおれはそう聞いてきたので、おれは軽く鼻を鳴らして上を向いた。
「おれが素直に答えるとは限らないぞ」
「お前は、誰とイイ感じなんだ?」
「……あ?」
「だから、あのパーティーの中でどの子が……誰が本命なんだ?と聞いているんだ」
「ぁあ!?」
ちょっとデカい声が出た。
もちろん、悪い意味で。
なにを聞くかと思えば……いや本当に、何を聞いてくるんだコイツは。
「オレとしてはもちろん『 』と……いやすまん、名前が聞こえないんだったな。騎士と幸せになるのがベストだとは思っている。しかし、そちらの『 』も……じゃなかった、賢者ちゃんも、正直可愛くなっていると思った」
「なんの話?」
「もちろん恋愛の話だ」
興味津々、といった様子で、もう一人のおれともう一人の賢者ちゃんは、目を輝かせながら口を開くのをやめない。
「それとも、あの金色の武闘家さんが良いの? もしかして、お兄ちゃん昔よりもさらにロリコンになっちゃったの?」
「師匠とはそういう関係じゃない! そもそも、おれは昔からロリコンだったことはない!」
「ということは、あの死霊術師さんか? いや、アレはやめておいた方がいいだろ。元魔王軍四天王だよな? 絶対いつか後ろから刺されて殺されるぞ」
「いや、おれが主に殺してる」
「え」
「え」
「あ、なんでもないです。わすれてくれ」
口が滑った。
もう一人の賢者ちゃんが、唇を尖らせながら、伸ばした脚をパタパタと子どものように振る。
「結局、お兄ちゃんは、どんな女の子が好きなの? やっぱり、胸が大きい子が好き? 昔と比べて……性癖変わった?」
「逆に聞きたいんだけど、性癖変わったってどんな質問?」
「いや、こいつがオレのまま健やかに成長しているなら……きっとまだ巨乳好きのはずだ」
「いやな信頼やめろ」
勘弁してくれ。
なんで拘束されて地下牢に連れてこられたあとの尋問の内容が『好きな女の子誰?』と『好みのタイプは?』になってるんだよ。おかしいだろ。
「ちなみに、この人もおっきいお胸が好きだったけど……その性癖は、私が変えちゃいました」
人差し指で頬をつつきながら、もう一人の賢者ちゃんは艶やかに微笑んだ。おかしい。やはり、おれが知っている賢者ちゃんよりも、明らかに色気がある。
「ああ、そういうことだ。見事に……変えさせられちゃいました」
「マジでやかましいぞお前」
いやだ。
目の前でこんな浮かれたイチャイチャを見せつけてくる馬鹿男がおれだなんて、絶対に認めたくない。
また二人だけの空間に突入してしまう前に、こちらから問いを投げておく。
「真面目な質問いいか?」
「オレたちの質問も真面目な問いかけだったんだが……」
「どうしておれたちを捕まえた? なぜ、最上級悪魔と仲間の関係にある? あの仮面の行商人は誰だ?」
やれやれ、と。
あからさまなほどにわかりやすいため息を吐いて、もう一人のおれは首を横に振った。
「質問のオンパレードだな。そっちは何も答えていないくせに、こっちには答えばかり求めるとは……世界を救う勇者さまになると、態度まで傲慢になるのか?」
やはり大袈裟に、あきれたような表情が作られる。
しかし、もう一人のおれは悩む間もなく、即答した。
「一つ目の質問にだけ答えよう。お前たちを捕まえたのは、オレたちが『本物』になるためだ」
背筋が凍る、端的な回答だった。
厳密に言えば賢者ちゃんの魔法で増えた『モノ』に偽物も本物もない。魔法の対象となった『モノ』は、そっくりそのまま、何一つ差異なく、増殖する。
おれと賢者ちゃんが、コイツらを『偽物』のように認識するとしたら。
もう一人のおれともう一人の賢者ちゃんが、おれたちを『偽物』だと考えても、なんの不思議もない。
それを理解した上で、おれは疑問の言葉を向けた。
「……そんなことができるとでも?」
「できるさ。未だに本命の女に告白もできていないような玉無し野郎に、オレは負けるつもりはない」
「本当にどこまでもうるせぇな」
「なぜかわかるか?」
「人の話ちゃんと聞けよ」
「オレたちには、愛の力があるからだ」
つらい。
小っ恥ずかしいセリフを少しも恥ずかしがらずにほざくおれ自身を、おれはもう直視できそうにない。なんだ、この拷問は。
仕方ない。
ここまできたら、もうどうしょうもない。
おれはついに、目を背け続けてきた問題に触れることにした。
「あのさ」
「なんだ?」
「さっきの質問にはもう答えなくてもいいから、正直に答えてほしいんだけど……」
「ふむ?」
「その、なんというか……二人は付き合ってるのか?」
「……何を聞いてくるのかと思えば、そんなことか」
おれがあえて突っ込まず、気付かないように……いや、気付かないふりをしていたそれを、二人は堂々と突きつけてきた。
「答えはノーだ。オレたちは付き合ってるわけじゃない」
控えめな……しかし可愛らしいデザインの、一組の白銀のリング。
「オレたちは……ラブラブの新婚さんだ」
それは、結婚指輪だった。
おれの知らないところで、もう一人のおれが、もう一人の賢者ちゃんも結婚している。
それが、今この瞬間、おれの目の前にある、紛れもない事実だった。
「何か言うことは?」
「お、おめでとうございます……」
なんとか絞り出した声に、おれは人生の中で最も色濃い敗北の感情を抱いた。
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