もう一人の賢者
「やったか?」
「いやはや、あのチビッコをこの程度で倒せたら苦労はねぇんでさぁ……ま、登ってきたとしても、手筈通りあの武闘家は俺が受け持つんで、あとは好きにやってくだせぇ」
「助かる。じゃあオレは……おっと!」
シャナは即断した。
もはや店の破壊など考慮に入れている場合ではない。
「手加減なしです。消し飛んでください」
魔導陣を多重展開。一斉掃射。
シャナは正体不明の敵二人に向けて、炎の弾丸をありったけ叩き込んだ。
一瞬で、轟音と爆風が狭い店内を駆け巡る。同時に、壁面に空いた風穴から炎が噴出し、粉塵が視界を奪った。
これで仕留められたのなら、それで良し。仕留めきれなかったとしても、目眩ましには過ぎた威力だ。
「……ミラさん。癪ですが、ここは退きます。勇者さんと合流しないと」
「今回ばかりは全面的に賛成いたしますわね。あのチビババアに攻撃を当てられる魔導師と正面戦闘なんて、死んでもごめんですわ。まあ、わたくしは死にませんが」
この非常時に極めて冷静に軽口を叩いているのが、今日ばかりは頼りになる。リリアミラは、アリアに肩を貸して支えた。
「騎士さんは?」
「気を失っておられます。いっそ心臓を一突きくらいされていれば、すぐに蘇生して回復できたのですが……」
「──そりゃあ、あえて外したからな」
充満する煙が、切り裂かれた。
接近に気づくことすらできなかった。
再び、銀色の一閃。
吹き抜ける火炎に揺れる黒髪ごと、リリアミラ・ギルデンスターンの首が、あまりにもあっさりと切断された。
「四秒で絶対に生き返るバケモノの相手なんて、こちらこそ死んでもごめんだ」
勇者の顔をした男は、その首を谷底に向けて放り投げ、主を失った肉体も蹴り落とした。
「リリアミラさん……」
呆然と呟く赤髪の少女を見下ろして、勇者はやや短い刀身の得物を、次の獲物に突きつけた。
「さて、と。これで、残りは二人だな?」
「……残り二人ぃ?」
そんなわけがあるものか。
瞬間、自分の心がざわりと波立つのを、賢者は自覚した。
「っ!」
赤髪の少女を守るように。
触れれば届く距離で展開された魔導陣。そこから射出された岩石の砲弾が、白い鎧の腹部を貫き、鋼鉄の体を衝撃で吹き飛ばした。
「ぐっ……!?」
「け、賢者さん……」
「大丈夫ですよ、赤髪さん」
残りは二人、と。敵はそう言った。
そんなわけが、あるものか。
杖を構え、前を見据えたシャナ・グランプレは、強く強く、歯を噛みしめる。
「こわい思いをさせて、すいません」
「私の後ろに下がっていてください」
「アリアさんを頼みます」
「大丈夫です。武闘家さんも死霊術師さんも、この程度で死ぬわけがありません」
「ていうか、死霊術師さんは死にませんし」
「でも絶対に、私の側から離れないでください」
幾重にも、幾重にも。
涙を流しながら呆然とする少女を励ますようにして、数えきれない賢者たちが立ち並ぶ。
シャナ・グランプレの魔法が、心の激昂が、全力の形になる。
決して一人ではない。二人でもない。事実としてそこに存在する、全く同一の賢者達が、手にした杖の全てを、ニセモノの勇者に突きつける。
「残りは二人?」
「どうやら、数も数えられないようですね」
「まともな算数からやり直した方がいいですよ?」
「目の前の光景を理解できますかぁ?」
「わかったなら」
「さっさと訂正しろ。猿真似野郎」
「それとも、一緒に数えて差し上げましょうか?」
「ひとーつ。ふたーつ」
「みーっつ。よーっつ。いつーつ」
「めんどくさ」
「やめますやめます。馬鹿らしい」
「結果だけお伝えしてよろしいですか?」
「世界最強の武闘家を吹っ飛ばしても」
「世界最悪の死霊術師の首を獲ったとしても」
「まったく、全然」
「これっぽっちも」
「ほんの少しも」
「ピンチではありません」
「だって何故なら」
「どうしてかと言うと」
「勇者パーティーで最も強いのは」
「勇者パーティーで最も強い魔法は」
「そう! 何を隠そう!」
「この私」
「私たち」
「『
「シャナ・グランプレですからね」
「さて、そろそろ数え終わりましたか?」
完全に取り囲まれた彼は、ゆったりと息を吐きながら、呟いた。
「……あー、二十八人?」
くすくすくす、と。
含み笑いが折り重なって、響く。
「だいせーかいっ!」
「おめでとうございます」
「正解を記念して」
「今からあなたを、話を聞ける程度に半殺しにします」
それは逆転と呼ぶには、あまりにも馬鹿馬鹿しい圧倒であった。
賢者、シャナ・グランプレの『
魔法は現実を歪める心の理。そこには理屈も理論もなく、一つの法則のみに基づいた、圧倒的な力だけが在る。
どんな形で意表を突こうと。
どんな得体の知れない力を持っていようと。
数は力。絶対の戦力差を前に、勝敗は覆らない。
勇者の顔をした男は、自分に対して杖を向ける少女たちを見回して言った。
「……こりゃ参った。さすがに勝てねぇわ」
降参、と言わんばかりに。五体投地して、地面に背中をついた。
だが、賢者達は、眉の一つすら動かさずに敵を見下ろす。
「……申し訳ありませんが」
「仲間を傷つけた相手に、はい降参と言われて」
「それを黙って受け入れるほど、私はお人好しではありません」
「どういう理屈かはわかりませんが」
「身体を、鋼の硬さにする」
「その『
「どうしてそれを持っているのか」
「どうしてそれが使えるのか」
「聞きたいことは、山ほどありますが」
「随分と頑丈な体をお持ちのようですし」
「やはりお話を聞く前に」
「痛めつけてやる」
「覚悟しろ」
「絶対に許さない」
世界最強の賢者に取り囲まれ、勇者の顔をしたニセモノは、笑った。
「何を、勘違いしてんだ?」
ニセモノであるはずの、彼は。
腕も足も投げ出して。地面に背中をついて。
勇者の顔をしたその敵はたしかに、シャナとの勝負を捨てていた。自分が勝てないことを、認めていた。
「オレはたしかに、
しかし、自分達が勝てないとは、一言も言っていなかった。
「……賢者さん! 上です!」
赤髪の少女の警告を受けて、賢者達の目が一斉に上を向く。
降り立ったのは、偽物の勇者と同じ色の、純白のローブ。フードの下から覗く顔には、やはり白い仮面。そして、右腕には杖。
その少女は明らかに、魔導師の姿をしていた。
「……何かと思えば」
「今さら増援」
「しかも、魔導師」
「たった一人で」
「何をするつもりですか?」
嘲るようなシャナの声を、しかし降り立った白の魔導師は淡々と無視した。
倒れ込んだままのニセモノの勇者に近づいた彼女は、彼の側で膝を折って、静かに問いかけた。
「大丈夫?」
どこかで聞いたことのある声だった。
「うん。大丈夫じゃない」
「そうだよね」
「ああ、見ての通りボロボロだ。オレの全身が、悲鳴をあげている」
「ごめんね。やっぱり私も、最初から来ればよかったね」
「いや、でもそれは危なかったし……」
「……もう。またそうやって、意地張る」
「ごめん」
「いいよ。私はあなたのそういうところが、好きだから」
ローブの下から伸びる細い腕が、ニセモノの勇者の頭をゆったりと撫でる。続けて伸ばされた指先が、頬に這う。
シャナは、彼と彼女を攻撃できなかった。
二人を取り囲むシャナたちが、一人残らず動きを止めたのは、攻撃を受けたから、ではない。特別な魔術を浴びたからでもない。魔法による影響を受けたわけでも、決してない。
フードをおろした魔導師が、啄むように、ニセモノの勇者の額に軽くキスをした。
窮地の渦中で、悠然と求愛行動を行った。
ただ、それだけのことだった。
「は?」
「いや……え」
「は?」
「あなた……」
「敵の前で何を?」
ようやく、声が届いたようだった。
魔導師の少女は、質問をしてきたシャナの一人を見て、それからこてん、と。とてもかわいらしく、首を傾げてみせた。
「敵? えっと……誰が?」
相手を煽り、挑発する。
舌戦において、シャナ・グランプレは魔術と同じくパーティーの中で自分の右に出るものはいないという、強い自負がある。
シャナは、相手を煽るのが好きだ。
シャナは、相手を挑発するのが得意だ。
しかし、今。この瞬間だけは。
白の少女が発した一言は、対峙する相手を激昂させるという意味で、完全に世界最高の賢者の挑発を、上回っていた。
「…………っ!」
本当に怒った時。人間は声すら失う。
もはや一言の罵声すらなく。勇者の顔をした男と、白の魔導師をその存在ごと消し去らん勢いで、魔導陣が二人を取り囲んで展開される。
「うお。これはさすがに死ぬな」
「うん。これはさすがに死んじゃうね」
その渦中に放り込まれれば、誰もが絶望するであろう、魔術の嵐の包囲。
荒れ狂う死中にあって、しかしその二人の表情は凪いだ海のように穏やかだった。
「じゃあ、あとはよろしく……『ルーシェ』」
「わかった」
杖を構えるわけでもなく、魔導陣を展開するわけでもなく、白の魔導師の行動は、たった一つ。
顔を隠す仮面を外す。
ただ、それだけだった。
「え」
困惑の声が、どのシャナから漏れ出たものなのか。
それとも自分のものだったのか。
唯一、たしかなのは『ルーシェ』と呼ばれたその少女の、仮面の下の顔が、自分と同じだった、ということだけで。
「……う」
「あ」
「ああ……」
「私?」
「いや、でも……」
「私が、いる……?」
輝く銀髪。濃い碧色の瞳。そして、尖った耳。
それらの特徴はすべて、紛れもなくシャナ・グランプレと同一のもので。
「うん。私はあなただよ。シャナ」
針に糸を通すような、その動揺の細波は、
「そんなに増えても目障りなだけだから、消えてくれるかな?」
残酷な宣言によって、瞬間に伝播した。
消える。
消える。
消える。
人のシャナたちが、一斉に。撃ち放とうとした魔導陣と共に、消え失せる。
たった一人。元に戻ったシャナは、杖を取り落とし、膝をつき、胸を抑えて、最後に胃の中身をその場に吐き出した。
「う……ぉ……ごほっ……」
気持ちが悪い。頭が痛い。目眩がする。変な匂いが纏わりつく。気持ちが悪い。動悸がする。目が回る。頭が内側から切り裂かれる。心臓が波打っている。痛い。口の中に変な味が広がっている。痛い。辛い。苦しい。汗が止まらない。吐瀉物が詰まる。水が飲みたい。横になりたい。また吐きそうだ。胃がむかむかする。苦しい。辛い。助けてほしい。
誰か。
私じゃない、誰か。
花は美しい。けれど、その花弁は繊細だ。
だから、崩れるのは本当に一瞬で。
「賢者さん! 賢者さん!」
自分を案ずる少女の声を、シャナはどこか遠くに聞いた。
「……あーあ。壊れちゃった」
「無理もないさ。魔法は万能でも、人間は万能じゃない。自分と同じ存在が数え切れないほどいて、健全な精神を維持できる方がおかしい。これは自分という存在への認識が……正しい方向に巻き戻った結果に過ぎない」
薄れていく意識の中、暗闇に落ちていく視界の中で、せめてその音だけは。
「かわいそうな……私」
枯れた花を、踏みつけにするように。
自分と同じ声音は、どこまでも残酷な憐憫に満ちていた。
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