もう一人の勇者VS純白の賢者

 最悪の予感は、いつも唐突に現実になる。

 自分は夢を見ているのか、それとも幻に溺れているのか。

 心がありえない、と。繰り返し叫んでいても、目の前の光景は明確な現実だった。


「勇者さんと、同じ顔……? どうして」

「呆けてないで下がってください。見た目をどう取り繕ったところで、アレは敵です」


 そう。アレは敵だ。勇者ではない。

 困惑を隠せない赤髪の少女に向けてシャナはそう言い切った。が、それはある意味、自分自身に向けて言い聞かせた言葉でもあった。

 思考が、頭の中でぐるぐると回る。

 自分が魔法で増やしてしまったのか?

 違う。アレはニセモノだ。

 勇者ではない。

 本当に?

 自分の魔法は、触れたものを何の違いもなく、増やすことができるのに?


「ちょっとシャナ!? 今の音なに!? まさかなんか揉め事でも……」


 アリアの声が店内に響き、はっと我に返る。通路の角から金髪が現れて、蒼色の瞳が彼の姿を捉えた。

 しまった、と。シャナが思った時には、既に遅かった。

 白いマントがひるがえって、ニセモノの笑顔がアリアに向けられる。


「おう。ひさしぶり……


 その笑顔を吸い込んだ瞳が、見開かれた。

 覚えている。

 忘れるわけがない、彼のやさしい声。

 自分のを、呼ぶ声。

 瞬間、アリア・リナージュ・アイアラスの動作も、思考も、すべてが停止した。


「……え」


 一年ぶりに掘り起こされたのは、ほんの些細な記憶。青い春の残滓。


 ──良い名前だよな、アリアって。すごくきれいな響きで、何回でも呼びたくなる


 たった一言。アリア、と。自分の名前を呼ばれた。

 本当に、ただそれだけのこと。

 しかしそれは、アリアが心の底から欲していたもので。

 だからこそ、それらの懐かしさは、アリア・リナージュ・アイアラスという一人の騎士の動きを止めるには、あまりにも十分過ぎる起爆剤であった。


「……コール。バルド・シリューカス──」


 彼の右手が何かを向けた、その刹那。

 蒼銀の鎧の防御の隙間。首元を穿つようにして、銀色の閃きがあった。


「──『封糸長蛇アダルラング』」

「……っぁ」


 自慢の二振りの大剣を構える、その暇すら姫騎士には与えられなかった。


「アリアさっ……」


 重い鎧が、岩の床に倒れ込む音が嫌になるほどはっきりと響く。


「ごめんな。でも、ちょっと寝ててくれ」


 吐き捨てる声が、冷たかった。


「あ、アリアさんっ!」


 しかし、少女の甲高い悲鳴が、シャナの意識をむしろに冷静に引き戻した。


「ムムさんはヤツの動きを止めてください! ミラさんは、アリアさんを!」

「わかった」

「お任せを」


 ムムの小さな足が、岩の床を踏み込む。

 姫騎士とは違う。武闘家には、迷いも動揺もない。

 岩が踏み砕く音を刹那に置き去りにするほどの。剣も槍も届かない間合いから、一瞬で距離を詰める、達人の足運び。


「うおっ……はやいな、おい」


 愛弟子とまったく同じ声で漏れた動揺の声すらも、ムムは一切意に介さない。。

 怒りのままに、ただ敵を打つ。一撃、二撃、三撃。正確に穿たれた拳はすべてが的中し、純白の鎧を大きく揺らした。

 だが、揺らしただけだ。

 まるで『鋼の塊』を殴りつけているようなその手応えに、ムムは目を細めた。


「……硬い。やっぱり『百錬清鋼スティクラーロ』か」

「つっ……よいなぁ、お嬢ちゃん! 可愛いのは見た目だけか!?」

「ふん。褒め言葉として、受け取っておく。それよりも……お前がどうして、私の馬鹿弟子の魔法を持ってる?」

「そりゃあもちろん、オレが勇者だからですよ。小さなお師匠さん」

「……お前に、師匠呼ばわりされる筋合いは、ない」


 軽い打撃では、ダメージが通らない。

 ならば、と。腰を下げ、より深く拳を構えようとしたムムを前に、白い勇者の表情が歪んだ。

 アリアの時とは違う。

 その右腕の短剣がムムに向けて躊躇なく振われ、そして。


「当然。反撃は、想定する」


 明確な敵意を伴って振るわれた刃が、小さく細い頼りない指先一つに触れただけで、完全に静止する。

 ムム・ルセッタの魔法『金心剣胆クオン・ダバフ』は、触れた対象に対して絶対の静止を強制する。どんな達人の抜刀であろうと、どれだけ質量の大きい運動エネルギーが叩きつけられようと、その静止に例外はない。

 動きを止められた男は、感嘆の息を吐いた。


「……なるほど。これは、すごい魔法だ」

「大人しく、観念する? それなら、これ以上、痛めつける理由も、ない」

「……ふむ」

「なに?」

「いや、単純に興味深くて」


 身じろぎ一つできないまま、しかし偽物の勇者はムムを見下ろして、悠然と言葉を紡いだ。


「お嬢ちゃんが小さいのは、多分歳を重ねるのがその魔法で止まっちまってるからだろ? 動きを止められてもオレが喋る口を回すことができているのは、きみが魔法で動きを縛る範囲を意図してコントロールしてるから、かな? だとしたら……」

「お前の、予想通り。わたしは、そのうるさい口をいつでも強引に閉じることができる。言葉は、選んだ方がいい」

「なるほど。じゃあ、一つだけ……」


 まるで、本物の勇者のように淡々と魔法の性能を見据えながら。

 ニセモノは、唇の端を釣り上げた。



「たしかに最強だよ、その魔法。



 横合いからの、急襲。

 壁面をそのまま撃ち抜く衝撃が、ムムの小柄な体を吹き飛ばした。


「ムムさん!?」

「はあ!? なんであのチビババアが攻撃を……?」


 世界を救った、絶対の盾。勇者パーティーの防御の要であるムム・ルセッタが攻撃を受けた。その事実に、死霊術師ですら驚きを顕にする。

 空中で体を一回転させ、衝撃の勢いを殺したムムは、即座に体勢を立て直した。


「……舐めるな」


 静かな激昂が、再び小さな体を前に突き動かす。

 しかし、勇者の顔をした男は、もうその拳を受けようとも避けようともしなかった。


「さすがにアレを正面から相手にするのはしんどい。まかせたぞ、

「へいへい。仕方ないっすね」


 最初から、すべてが甘かった。

 どうして、敵が一人であると、思い込んでしまったのか。 

 ムムと白い勇者の間に、割って入るように。新たに現れた敵は、今は本物の勇者と一緒にいるはずの……あの仮面の行商人だった。


「失礼しますぜ、ムム・ルセッタ。あんたにこの距離で暴れられるのは……ちと困る」


 仮面の奥から、伸びる視線がムムを貫いて。

 瞬間、手のひらから噴出した『何か』が、ムムの身体を呑み込み、容赦なく押し出した。

 店の外。

 押し出された先に、踏み止まるための足場はない。

 そのまま、小さな武闘家は伸ばした手で何かを掴むことすらできず、谷底の暗闇へと飲み込まれていった。

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