もう一人の勇者

「賢者さんって、こういうお洋服も増やせたりするんですか?」


 赤髪の少女からの問いかけに、シャナ・グランプレは眉根を寄せた。


「なんです? 藪から棒に」

「いや、さっきみなさんが食べる分のお肉も増やしてくださったので。賢者さんの魔法はやっぱりすごいなぁって思って」


 仮面の上からでも、屈託なく笑っていることがわかる。しかしそれがなんとなくおもしろくなくて、シャナはぞんざいに言い返した。


「べつに、そんなに大したことはしていません」

「でも、なんでも増やせるって本当にすごいと思います。だって、パンが一個しかなくてお腹が空いた人たちが困っていても、賢者さんの魔法があればみんながお腹いっぱいになれるってことですよね?」

「それは、まあ。そうですが」

「じゃあ、やっぱりすごいです!」


 無邪気な称賛に、シャナはたまらず顔を背けた。

 基本的に自分への褒め言葉は素直に受け取ることにしているのだが、この子の場合は向けてくる視線と言葉が無邪気過ぎて、どうにも調子が狂うというか。褒められることそのものは気分が良いけれど、それも行き過ぎると背中が痒くなってくるというか。

 自分の魔法に対して複雑な感情を抱いているシャナにとって、少女の称賛はなんとも言い難いほのかな嫌悪感があった。


「赤髪ちゃーん。これ着てみる? 似合うと思うよ!」

「あ、かわいいワンピースですね! でも、旅には向かない格好だと思うんですけど」

「いいじゃんいいじゃん。せっかく洋服屋さんに来たんだし、こういうのは楽しまなきゃ損だよ」

「じゃ、じゃあせっかくですし」

「そうそう。ここはシャナが出してくれるらしいし、お言葉に甘えちゃおうよ!」

「別に奢るとは言ってませんよ、アリアさん。貸すだけですからね」


 勇者がいないので、今は名前呼びでも支障はない。さっそく赤髪の少女を着せ替え人形にして楽しもうとしている脳天気な騎士に、シャナは鋭く釘を差しておいた。

 いや、わざと脳天気に振る舞っているのかもしれない。

 朗らかに赤髪の少女に抱きついているアリアを見て、シャナはこっそりと息を吐いた。アリアは、元魔王という複雑な立場にある少女に対しても、別け隔てなく明るく接している。それは、自分にはできないことだと、シャナは思う。

 元魔王、というその出自に不信を抱くのはもちろんのことだが、それよりも、なによりも。

 彼に当たり前のように大切にされている少女を見ていると、どうしても。子どものような嫉妬心が湧き上がってきて、言わなくていいことまで言ってしまう。勇者におんぶされている彼女を見たときも、そうだった。

 子どものようなそんな扱いが、けれどちょっとうらやましい、なんて。口が裂けても、言えるわけがない。

 自分たちより年上のパーティーメンバーに追いつくために、常に背伸びをしてきたシャナにとって、自分の子どもっぽさを自覚させられるのは、おもしろいことではなかった。


「シャナ」

「なんですか。ムムさん」

「よしよし」


 いつの間にか隣にいたムムは、どこからか持ってきた踏み台にわざわざ乗って、さらに背伸びをすることでなんとかシャナの頭を撫でてきた。まるで、おもしろくない内心を見透かしているかのように。


「甘えたい時は、素直に甘えて良い」

「………べつに、私は何も言ってませんが」


 振り払おうと思えば振り払えたが、今日は仮面のおかげでフードを被る必要もないので、シャナはしばらくムムの好きなように撫でられてあげることにした。この武闘家さんの場合は自分より千歳以上も年上なので、なんというか張り合って背伸びするのもバカらしくなってくる。


「騎士さま騎士さま! わたくしにも何か見繕っていただけるとうれしいです!」

「そうだねー。死霊術師さんはこれとかどう?」

「あの、騎士さま。これ服じゃなくてただの布地に見えるんですが」

「うん。似合うと思うよ。巻いてみたら?」

「わたくしにぐるぐる巻きになれと?」


 あちらの死霊術師に関してはそもそも存在が目障りなので、尊敬したことも年上だと思ったこともない。


「あはは。騎士さんが死霊術師さんを巻き始めちゃいました」

「勝手にやらせておけばいいんですよ」


 苦笑しながら、赤髪の少女がこちらに戻ってくる。アリアが見立てた服は、たしかによく似合っていた。

 きっと勇者も「よく似合っている」と言うだろう。


「お待たせ。そっちはどう?」

「あ、勇者さん!」


 噂をすれば、なんとやらだ。両手に武器やら剣やらを抱えた勇者が戻ってきた。


「お、赤髪ちゃんいいね。その白のワンピース。よく似合ってるよ」

「えへへ。ありがとうございます! 勇者さんもその白い鎧、買ったんですか?」

「うん。オレの方もちょっと奮発しちゃった。どうかな?」

「はい! お似合いです」


 勇者の方も装備の方を整えたらしい。気分転換も兼ねているのだろうか。いつも黒を基調にした装備を身に着けているのが常だったので、白い鎧というのは少々めずらしい。まあ、勇者が黒色を好んでいるのは、自分の色だからとかそういうわけではなく「汚れが目立たないから!」というかなり貧乏くさい理由なのだが。

 なので、めずらしいこともあるものだ、と。シャナはぼんやりと勇者の新しい鎧を上から下まで眺めた。

 その視線に気がついたのか、勇者がこちらに目を向けて微笑む。


「どうかな? 賢者ちゃんの色だよ」

「そういうわかりやすいリップサービスは結構です」

「いや、本音なんだけど。まあ、いいや。賢者ちゃんは、赤髪ちゃんみたいに新しい服買わないの?」

「無駄遣いはしない主義なので」

「そりゃもったいないなぁ。そう言わずに……それこそこのワンピースなんか、赤髪ちゃんよりも賢者ちゃんの方が似合うと思うよ」


 彼女よりも、きみの方が、と。

 それは明確に、二人を比較し、優劣をつける言葉だった。

 勇者の言葉に、ムムが踏み台を降り、シャナは杖を握り締めた。

 一方で、赤髪の少女は、むっと頬を膨らませる。


「ひどいです勇者さん! たしかにこういうのは賢者さんの方が似合うかもしれませんけど!」

「あはは。ごめんごめん」

「勇者さん」


 じゃれあう二人の間に割り込んで、シャナは勇者に紙とペンを差し出した。


「購入するもののリストです。受け取りは後ほどになるそうなので、勇者さんがサインをしておいてください」

「え? これ、オレがサインしとくの? お金払えないけど」

「パーティーの買い物なんですから、勇者さんの名義にしておくのが筋でしょう。お金はあとできっちり返してもらいますからね」

「はいはい。賢者ちゃん、ほんとそういうところマメになったよね」


 やれやれ、と。シャナの毅然とした態度に押されて、勇者は左手でペンを受け取った。


「褒め言葉として受け取っておきますよ」

「オレは昔の素直な賢者ちゃんが好きだったのに」

「余計なお世話です。ところで、一つ聞いていいですか?」

「なに?」


 ぼやきながら左の人差し指でペンを回し始めた勇者。

 その喉元に、シャナは固く握り締めた杖を突きつけた。




「誰だお前」




 ぴたり、と。

 ペンをはしらせていた指先が止まった。

 空気が、そのまま固まるようだった。

 勇者のふりをしていたその仮面の男は、見えている口元だけで微笑んだ。しかし、仮面の奥の瞳が笑っていないことは、明白だった。


「急にどうしたの? 賢者ちゃん」

「黙れ。勇者さんは両利きですが……ペンを握る時は必ず右で書きます」

「いや、今日は左の気分だったんだってば」

「そもそも」


 シャナの声が、鋭さを増す。


「魔王の呪いを受けたあなたが、一体誰の名前を書くつもりですか?」


 端的な、事実の指摘。

 沈黙を割って、仮面の男は深い深い息を吐いた。


「うわ……そうじゃん。うわぁ、しまった。完全にミスったな。もっとちゃんと、呪いの詳細について洗い直しておきゃよかった」


 どこまでも、彼の声音に似た、けれど彼とは似ても似つかない、軽薄極まる言動だった。

 ついに、シャナの色素が薄い肌に、青筋が浮かび上がる。


「仮面で顔が隠れていれば、あとは声さえ似せればどうにかなると思いましたか? 猿芝居野郎」


 底冷えするような賢者の声に、勇者のふりをしていた仮面の男は、肩を竦めた。


「に、偽物!? この勇者さん、勇者さんじゃないってことですか!?」

「そういうことです。あなたと違って、私とムムさんは勇者さんとの付き合いが長いですからね。こんな偽物の安っぽい演技は、すぐに見抜けます」

「偽物っていうのは、ひどいなあ賢者ちゃん。おれは紛れもなく本物なんだけど」

「黙れ。その声で……」


 もう喋るな、と言う前に。

 一瞬で飛び上がったムムの拳が、白い仮面の顔面を殴りぬき、吹っ飛ばした。

 轟音を伴い、いくつかの棚を破壊して、男の体が店内をピンボールのように跳ねる。


「もう喋るな。不愉快。耳が、腐る」


 シャナが言いたかったセリフを引き継ぐ形で、ムムが吐き捨てた。

 それは、その通りなのだが。少しばかり、力技が過ぎる。

 驚きで目を瞬かせたシャナは落ち着くために数回の深呼吸をして、それから頼れる先輩に文句を言った。


「ちょっとムムさん。なにしてるんですか。これ、弁償するの私ですよ」

「ごめん。お店の人には私も謝るし、お金も出す」

「いやいや、絶対足りないでしょう」

「じゃあ、殴らない方が、よかった?」

「いえ、それはありがとうございます。正直、めちゃくちゃすっきりしました」

「うむ。でも、私はあまりすっきりしなかった」


 頷いたムムは、構えた拳を崩さない。緊張を保ったままだ。


「手応えが、妙だった」


 答え合わせをするように。

 粉々になった棚の残骸をかき分けて、仮面の男が起き上がる。


「いってぇ……なんだよそのパンチ。容赦ないな、ちっこいお嬢ちゃん」


 手応えが妙、というムムの言葉は正しかった。

 パーティー最強の武闘家の拳を顔面に受けてなお、仮面の男にはダメージを負った様子が一切なかった。

 明らかな、異常。

 際立つ違和感。

 その正体を明らかにするために、シャナは声を張り上げた。


「もう一度聞きます。誰だお前」

「ひどいな。賢者ちゃんは賢いんだから、何度も同じ質問をする必要はないと思うんだけど」


 ぴきり、と。

 白い仮面が割れて地面に落ちる。男の素顔が、晒される。


「オレは、キミたちのリーダーだよ」


 全員が、絶句した。

 人を小馬鹿にするような、意地の悪い笑み。自分たちが知る勇者が、絶対にしないであろう表情。

 けれど、それは間違いなく、勇者とまったく同じ顔だった。


「……そんな」


 馬鹿な、と。

 続く言葉は、喉から絞り出せなかった。

 代わりに湧き上がってきたのは、脳裏に焼きついて離れない、あの夜の記憶だった。





 はじめて勇者に出会い、助けられた日のことを、シャナはよく覚えている。


「……よかった」


 たしかに、はじめて出会う彼はそう言った。

 よかった。

 自分の生存をそう喜んでくれるやさしさに、幼いシャナは安堵した。

 けれど何が、のか?


「あぁ、よかった、生きてる。よかった」


 うわ言のように呟く彼は、血まみれで、ずたぼろで、それ以上に何か深いところに傷を負っているようだった。

 シャナが生きている。

 ただその事実を噛みしめて、前に歩く糧にしているかのように。


「にん、げん?」

「ああ、人間だよ。遅くなって、ごめん」


 泣きそうな顔をしていた。

 苦しそうな顔をしていた。

 どうして、とは問えなかった。

 その疑問を声に出して発した瞬間に、自分が『彼が本当に助けたかった人』の、代替品になってしまう気がしたから。


「お兄さん、誰?」

「……きみを、助けに来たんだ」


 助けに来た。

 安心する言葉だった。心強い言葉だった。

 でも、くしゃくしゃの顔でそう言う彼は、きっと……なのだろう、と。

 それくらいは、まだ幼かった自分にも察することができたのに。

 それ以上を考えなかったのは、抱きしめてくれる彼のあたたかさとやさしさに、溺れてしまったから。

 それ以上を聞かなかったのは、隣に立つ彼の特別な存在に、自分がなることを望んだから。

 シャナ・グランプレは、世界を救う勇者の賢者になった。

 触れたものを、百に増やす。

 幸いなことに、師を見つけたシャナは、自分の魔法の価値を知ることができた。

 魔術を鍛えて、魔法を使いこなせるようにした。増えた自分が勝手な行動を取らないように、あるいは『異なる自分』になってしまわないように。己の自我を完璧にコントロールする術を、シャナは身につけた。

 万物を増殖させる白花繚乱ミオ・ブランシュという魔法は、可能性に満ちみちていて。

 だからこそシャナは、そのあまりにも荒唐無稽な可能性に、胸を踊らせた。


 ──自分と同じように、愛する人も増えたら?


 馬鹿な考えは、すぐに振り払った。

 修行を積んだ己以外の身に、増殖の魔法を使うのは命への冒涜だ、と。

 だからシャナ・グランプレは、一瞬だけ頭を掠めたその可能性に、無意識のうちに蓋をした。


 ──自分は勇者すきなひとを、増やしたことがあるのでは?





 本当の意味で、驚きはない。

 これは、ただの答え合わせだ。

 ずっとずっと、シャナ・グランプレは考えないようにしてきた。

 その可能性から、逃げ続けてきた。


 けれど人は、誰もが考えたことがあるはずだ。


 ──もしも、自分がもう一人いたら?


 だから考えたことがないといえば、嘘になる。


 ──もしも、勇者がもう一人いてくれたら?


 自分の心の色が、そんな卑しさを宿していることを、シャナはよく知っている。


「あなたは……」

「ああ、そうだ」


 過去は消せない。

 いくら塗り重ねたところで、消したはずの色は混ざり合って残り続ける。


「オレは、キミの魔法で増やされた勇者だ」

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