仮面の行商人
「かーっ! こいつぁうめぇ! 生き返ります!」
「そりゃよかったです」
気持ちのいい食べっぷりに、思わずこちらまで笑顔になる。
「いやはやどうもどうも。自分、ここ数日、何も食ってねえもんでして……本当に助かりやした」
「いえいえ。えっと……商人さんですよね?」
「へい。しがない行商人をしておりやす。自分の名前は……」
「あ、ごめんなさい。職業だけお聞きできれば大丈夫です」
「へ? そうですかい?」
「はい。ちょっと物覚えが悪いもので。あなたのことは行商人さんって呼ばせてもらってもいいですか?」
「はああ、そりゃあ構わねぇですが……」
名乗りそうになった商人さんの発言を、おれはさらりとキャンセルした。
今さら説明するまでもないが、おれは人の名前を覚えることができない。それどころか、自分の名前も他人の名前も呼ぶことができない。魔王がおれに遺していった、世界一いじわるな呪いのせいである。
さすがにもう長い付き合いになるから慣れてきたとはいえ、こうして新しい人と知り合った時は、こんな形で不自由を強いられている。少しばかり辛いところだ。
「ところで商人さん」
「へい! なんでしょう!? 旦那!」
「名前よりも先に確認しておきたいんですけど……そのお面は、何か理由があって?」
「ややっ!? やはり気になりますか?」
うん。気にならない方がおかしい。
商人さんは背負っている背嚢が少し大きい以外は、至って普通の行商人といった背格好だったが、一点だけ普通の行商人っぽくない点があった。
顔に被ったお面である。
一言では説明しにくいのだが、それは耳までをすっぽりと覆い隠してしまうような独特なデザインであり、全体が白に染められていて、さらに同じ色合いの白い花のような飾りが添えられており……まあとにかく、白を基調とした色合いの、なんとも言えない不可思議なお面だった。ちなみに、仮面が覆っているのは鼻先までで、顔の下半分は隠れていないので、食事に支障はなさそうだ。
「もしかして何か、顔を隠さなきゃいけない理由でも?」
「いやはや、べつにそういうわけじゃねぇんですけどね。コイツぁ、仕事道具の一種でして」
「仕事道具?」
「ああ、聞いたことがありますわね。なんでも、東方の行商人は仮面を被って商売をする文化がある、とか」
と、そこで会話に入ってきたのは死霊術師さんだった。
さっきも目をキラキラさせていたが、さすが育ちが良くて商売をやっているだけあって博識である。素っ裸でにこにこしていなければ、実に文化人っぽい。さっさと服着ろよ。
「ややっ!? こりゃあ姉さん、お若くて美人な上に、随分と博識ですなぁ」
「あらあら、照れますわね。まあ、わたくし、こう見えても会社を経営しておりまして」
「会社を……?」
「個人的に行商人の方と各地の名産品についてお話をするのは大好きなので、こんな格好でなければお茶でもお出ししてじっくりとお話したいところなのですが……」
行商人さんは仮面の下から目をそらすようにして、素っ裸の死霊術師さんを直視しないように横を向いて、
「……会社を?」
まったく納得がいかないといった様子で聞き返した。
うん。そうは見えませんよね。ただの全裸の変態美女にしか見えないですよね。
とてもじゃないが、最近社長から会長にランクアップしたとは思えない。
「旦那ぁ、本当ですかい?」
「いやまぁ……うん。一応、嘘は言ってない、ですかね……」
「失礼ですが、俺ぁてっきり旦那たちは奴隷の販売に出していて、この別嬪なねえさんを素っ裸で侍らせているのもなんというか、そういう趣味なのかと……」
「断じて違います」
最悪の勘違いをされてたよ。だからさっきからこの商人さん、妙に腰が低かったのかよ。
でもまぁたしかに……死霊術師さんは見た目だけはどこに出しても恥ずかしくない美人だし、そんな美人を素っ裸で侍らせていたら、いかがわしい奴隷商人に見えるのも当然だろう。
「勇者さんが全裸好きなのは間違っていないのでは?」
「たしかに」
隣でぼそっと賢者ちゃんが呟き、騎士ちゃんが同意する。
やかましいわ。おれはべつに自分が脱ぐ分には気にしないだけであって、好き好んで誰かを脱がせるような変態ではない。名誉毀損で訴えるぞ。
「お聞きになりましたか? わたくしが全裸なのが勇者さまの趣味ですって! 照れますわね」
「うん。少し黙ってようか」
「共通の趣味は、円満な人間関係の秘訣。そうは思いませんか?」
「ないよ」
とりあえず死霊術師さんを師匠の方に放り投げて、おれは再び商人さんに向き直った。
「あの人はまぁうちのパーティーメンバーなんですけど……まあちょっといろいろ頭がおかしい人なので、あまり気にしないでください」
「ははぁ、なるほど。身内のゴタゴタでしたか! そりゃ、部外者が首を突っ込んじゃあいけねぇな。こりゃ、とんだご無礼を」
「ああ、いえいえそんな……」
商人さんと互いに頭を下げ合う。なんだかんだ良い人そうだ。仮面を被ってるのがかなりあやしいけど。
「あのバカ女のことは置いといて……あなた、さっきの質問に答えていませんよ」
と、鋭い声で次に割って入ってきたのは、賢者ちゃんだった。
「へい。かわいらしいお嬢さん。さっきの質問っていうと……」
「とぼけないでください。その仮面を被っている理由です。まだ答えていないでしょう。そもそも、私たちはあなたに食事を提供しているわけですから、最初に顔を見せるのが道理では?」
「おおっと。こいつは痛いところを突かれちまったな」
仮面の上をなぞるようにして、行商人さんは目の横に指を当てた。
「しかしねぇ、かわいらしいお嬢さん。俺ぁ、名乗る前にこの旦那から名前を聞く気はねぇって言われちまったもんで。そりゃあつもり……名前を呼び合うくらい深い仲になる気はねえってことでしょう?」
むむ、と。賢者ちゃんの口が真一文字になった。
「もちろん、そちらの赤い髪のお嬢さんがさっき言った通り、袖振り合うも多生の縁でさぁ。こうしてメシを奢ってくれた恩もある。俺としちゃあアンタたちとは親睦を深めてぇところだが、そちらさんは最初からお付き合いの距離感を線引きしてるでしょう。それならこっちも、適切な距離感で接するのが筋ってもんじゃあねえんですかい?」
ぐぬぬ、と。今度は賢者ちゃんの眉毛が三角になった。
なるほど。しかしこれに関しては行商人さんの言うとおりだ。おれはさっき、名前を聞くのを断っている。もちろん、それは例の呪いのせいではあるが、それはあくまでもおれ個人の事情であって。相手からしてみれば、仲良くなろうと名乗るを断れたと思っても、何ら不思議はない。
「失礼しました。おれの方が礼儀を欠いていましたね」
「ちょ……勇者さん! 何もそこまで頭を下げることは」
「いいんだよ賢者ちゃん。こればっかりはおれが悪い」
どうどう、と。今にも唸り声をあげそうな賢者ちゃんを制していると、今度は行商人さんの方がバツが悪そうに頭をかいた。
「ははぁ。いやはや……なんというか、その様子だと本当にこの仮面について、知らないみたいですなぁ」
「知らない、とは?」
「すいませんでした。旦那たちもこの仮面については、てっきり知っているもんだと……かまをかけて探っているんだと思って、疑っちまいました」
今度は、おれよりもさらに深く行商人さんの頭が下がる。おれと賢者ちゃんは、首を傾げながら顔を見合わせた。
さすがに行商人さんの態度に溜飲を下げたのか、賢者ちゃんが聞き返す。
「それで? 一体、その仮面がなんだというんです?」
「へい。コイツは、近くにある村に入るために必要な通行証のようなものなんです」
「通行証……? え、ていうか近くに村あるんですか!?」
「ええ。ございやす。メシの恩義というには細やかかもしれねぇが、よければご案内させてくだせぇ」
賢者ちゃんは、困り顔でこちらを見上げてきた。
「どうします? 勇者さん」
「進路的にはどう?」
「寄り道どころか、むしろここを抜けていけるなら、早く聖職者さんのところに行けそうです」
「それはいいね。まあ、村があるなら立ち寄らない理由はない、か。おれたち、装備も旅支度も何もないし」
せめて多少の食料や衣服……生活用品くらいは確保しておきたい。
「でしたら、この俺が責任を持ってご案内しましょう。ご安心くだせえ! ご覧の通り、俺は行商人ですから! みなさんの分の仮面も、きっちりご用意させていただきやす!」
背嚢からずらりと。色とりどりの仮面を取り出して、行商人さんは胸を張った。
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