肉焼いてたら人が釣れた

 塩。ソルト。人間の舌が旨味を感じるために、絶対に必要な調味料。

 迂闊だった。ひさびさの、しかも急にはじまった旅のせいで、おれたちは文明的な調理に必要不可欠なそれがないことを、きれいさっぱり失念していた。

 なんだかんだと言いながら、肉を目の前にして浮かれてしまっていたのだろう。


「……」

「……」

「……」


 あまりにも気まずい沈黙だった。全員が押し黙って、この事実に気づかず調理を進めていた事実に、触れようともしない。肉が焼ける音が響き、香草の無駄に良い香り漂ってくるのが、余計に沈黙の時間を残酷なものに仕立てあげていた。

 けれど、パーティーが窮地に陥った時、真っ先に解決案を提示するのがリーダーの役目である。

 意を決して、おれは口を開いた。


「賢者ちゃん塩出せる魔術とかないの?」

「あるわけないでしょう」


 即答だった。

 リーダーであるおれは、また杖でケツを殴られた。さっきよりも痛かった。


「勇者くん」

「なんだい騎士ちゃん」

「汗ってさ。しょっぱいよね?」

「だめだ。それ以上いけない」


 死んだ目で静かに暴走をはじめた騎士ちゃんをどうやって止めるか悩んでいると、ようやく死霊術師さんが会話に戻ってきた。


「あらあらあら、みなさまどうしたのです。急にお通夜のように押し黙って」

「死霊術師さん。ショックを受けずに、落ち着いて聞いてほしいんだけど」

「はいはい」

「……塩が、なかったんだ」


 自分でも驚くほど、苦痛を滲ませた声が喉から漏れた。


「塩? ああ、塩ですか。それくらいならわたくしがお出しいたしますけど」

「え?」


 今なんて言った?

 一も二もなく、おれが死霊術師さんに飛びついた。


「死霊術師さん、塩持ってるの!? 全裸なのに!?」

「落ち着いてください勇者さん。騙されちゃいけませんよ。この女は今、全裸なんです。冷静に考えて塩の瓶の一つたりとも持ち歩けるわけがないでしょう」


 たしかに。賢者ちゃんの言うとおりだ。今の死霊術師さんが物を隠せそうな場所なんて、精々その豊かな胸の谷間くらいだろう。何かしら仕込めそうではあるが、しかしその胸の谷間に都合よく塩が仕込まれているとは思えない。

 などと思っていたら、死霊術師さんは「ちょっとはしたないですが、お許しくださいね」と呟きながら、少し離れた場所でうずくまった。


「うぇ」


 と同時に、何かを吐き出すような苦しげな声とともに、口の中から唾液に塗れたそれを取り出す。


「ふぅ……生まれました。はい。どうぞ」

「いや、は?」

「元気なお塩です」

「やかましいわ」


 まてまてまてまて。生まれましたって言った? 今それ、どこから取り出した?

 少なくともおれの目には、口の中から出てきたようにしか見えなかった。しかし、目を凝らして見れば見るほど、それは塩の入ったガラス瓶だった。


「だって、これ。え……? ほんとに塩?」

「もちろん。エルロンゼ地方のれっきとした高級品です。わたくしの会社でも取り扱っている自慢の一品ですわ」

「おれが聞きたいのは塩の詳細じゃなくて、なんでその塩が死霊術師さんの口から出てきたか、なんだけど」

「ああ。そちらについてですか。ご覧の通り、口の中にしまっておいたものを取り出しただけです」


 あーん、と。おれの目の前で、死霊術師さんは口を開いてみせた。


「勇者さま、ジェミニの一件で箱の中に閉じ込められたのは覚えていらっしゃいますか? 手のひらサイズくらいの箱ですわ」

「ああ、うん。たしかに閉じ込められたね」


 とりあえず無理やりぶん殴って壊したやつね。なんだか少し懐かしいな。


「あれ、空間を歪めて物体を収納する遺物なのですが、似たタイプの非常に小さなものを、わたくしは奥歯に仕込んでおりまして。ある程度の小物なら、口の中にしまっておくことができるのです。取り出す時にちょっと吐きそうになりますが、まあ些細な問題でしょう」

「聞いたことがないんだけど」

「言ったことがありませんもの」


 うふふ、と。死霊術師さんは口元に手を当てて上品に笑った。悪びれる素振りすら見せないあたり、本当に良い根性をしている。


「ほら、わたくし魔王さまの下で働いていた時代は、いろいろな方から疎まれていたでしょう? 魔法のおかげで体が不死身なものですから、他の方法で心を折ろうとしてくる輩がそれはもう多くて多くて……みなさまは、ご存知ですか? 監禁されて餓死とかすると、とっても辛いのですよ?」


 またさらっと、この人はとんでもないことを言う。


「ですので、わたくしは考えました! 口の中にいろいろと便利なものを隠し持っておけば、いざという時に困らなくて済む、と!」

「そっかそっか。備えあれば憂いなしとも言うもんね」

「ええ、その通りです!」

「ところで死霊術師さんは、おれたちと違って一言もお腹空いたとか喉乾いたとか言ってなかったよね?」

「はい! だってわたくし、こっそりパンとかチョコとか食べてましたし。ほら、口の中から取り出すわけですから、食べ物はそのまま味わってしまえるのです!」

「うんうん。そうだよね。それはそうだ」

「納得しました。道理で一人だけ肌ツヤも良いわけですよ」

「理解した。やはり全身を静止させておくべきだった」

「……いや、あの。ふふ、みなさんお顔がこわいですね。あっ……!」


 二度あることは三度ある。

 おれたちが、死霊術師さんを袋叩きにしようとしたその時。


「そ、そこの皆様方……食事を、メシを、わけてはいただけねえでしょうか……?」


 どうやら、塩を振って完璧になった香ばしい肉の匂いが、新しい客人を招いた……らしい。

 頭に被った大きめの笠。背丈ほどもある背嚢。

 如何にも旅の商人といった外見の声の主は、力尽きる寸前のように地面に手をついて、くぐもった声音を重ねた。


「ここ数日、何も口に……」

「はい! こちらにどうぞ!」


 意外にも。

 誰よりも早く即答したのは、最も食い意地がはっている……ゴホン、食欲が旺盛なはずの、赤髪ちゃんだった。


「あ、ありがとうございます! なんとお礼を言っていいか……!」

「……赤髪ちゃん、いいの?」

「はい! 袖振り合うも多生の縁……というのは、こういう時に使う言葉ですよね? それに、ご飯はみんなで食べた方が美味しいですし!」


 良い笑顔と、嬉しい言葉が返ってきた。

 騎士ちゃんと賢者ちゃんも、ふむ……と、顔を見合わせている。末っ子みたいな立ち位置の子にそう言い切られてしまうと、こちらとしてはだめとは言えない。

 まぁ、あやしい人じゃなければ大丈夫だろう。


「なんておやさしいお嬢さんだ……この御恩、決して忘れません!」

「それで、あなたは?」

「ややっ! 申し遅れました!」


 被っていた笠を取り、下を向いていた顔が勢い良く跳ね上がる。

 赤髪ちゃんが目を見開き、賢者ちゃんが一歩後退り、逆に騎士ちゃんは一歩前に出て、師匠が欠伸を漏らして、死霊術師さんは目を輝かせて両手を合わせた。

 三者三様ならぬ、五者五様なその反応には理由がある。


「自分は、このあたりで商人をしております! 『      』という者でさぁ!」


 元気の良いその名乗りとは正反対に。

 その商人さんの顔は、真っ白な仮面に覆い隠されていた。


 わぁ……あやしい。

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