最強の聖職者

(この女ァ……予備動作なしで、ボクが認識できない音の攻撃を……!)


 膝を折り、頭を抑えるトリンキュロは奥歯を噛み締めた。ドラゴンのブレスが来る。そんな予想を、完全に逆手に取られた。

 おそらく、変身したのはクラムバット。用いたのは、魔力を帯びた音波の攻撃。通常のクラムバットの放つ音波なら、悪魔であるトリンキュロの肉体に大きな影響を及ぼすことはない。だが、ランジェットが人間のサイズで放つそれは、変身の過程で明らかに効果と出力が引き上げられている。

 トリンキュロの防御の要を担う『青火燎原ハモン・フフ』は、触れたものを『拡散』させる。故に遠距離攻撃のほとんどは無効。

 だがそれは魔法の原則に則って『触れた』という認識が追いつく場合の話だ。


(拡散が自動オートじゃないのがこんな形で裏目に出るか。やってられないね、まったく……)


 頭痛も、平衡感覚の消失も、込み上げる吐き気も。トリンキュロにとっては、ひさしく感じていないもの。戦闘を妨げる、明確な障害になる。

 しかし、問題はない。


「そんなモンスターの猿真似で、このボクを仕留められるとでも思ってんのかよ」

「思ってないよ」


 嫌味を効かせた問いへの返答は、否定。軽く言い捨てたランジェットは、トリンキュロに向けて右腕を無造作に伸ばした。

 そして、瞬きの内にが、ある程度の距離を保っていたはずのトリンキュロを、あっさりと捉えた。



 ◇



「あれは……蛇ですか? 勇者さん」

「うん。あの師匠が振り回して遊んでるヤツは、ギルラング。俗に魔長蛇とも呼ばれてる。普通に人間を丸呑みできるくらいの大蛇だけど、最大の特徴は……めっちゃ伸びること」

「伸びるんですか!?」

「伸びるよー? 今でも十分長くてデカいけど、さらに伸びる。最大で、通常の体長の五倍は伸縮できるのが特徴なんだ」

「でもそれなら、皮とかは丈夫そうですね。防具とかに使えるのでは?」

「おっ。察しが良いね赤髪ちゃん。その通り。こいつの皮は伸縮性に富んでいて滅多なことじゃ破けないから、高く売れるよ」

「で、食べれるんですか? 蒲焼きとかにできませんか?」

「絶対にだめです。致死性の猛毒持ってるから食えません」



 ◇



 腕に絡みつき、噛みついたその大蛇を見て、トリンキュロは目を見開く。


(腕だけを蛇に……ギルラングに変身させたのか!? 随分と小器用な真似を……! いやそれよりも、体を魔物に変えるのが、はやい!)


 蝙蝠の声で動きを鈍らせ、距離を詰めることなく蛇の腕で間合いを補う。

 その組み立ての多彩さも称賛すべきだが、トリンキュロがなによりも異常に感じたのは、ランジェットの変身のだった。

 勇者のパーティーの一員であった頃の彼女を、トリンキュロはよく知っている。その変身魔法に、ある程度のタイムラグとインターバルが必要であったことも、朧気に記憶していた。だが、眼前で魔法を振るう聖職者は、抱えていたはずだったそれらの弱点を、完全に克服している。

 トリンキュロの中で、認識が書き変わる。

 この魔法使いは、昔よりも強くなっている。その力を、増している。ランジェット・フルエリンは、明確に自身の魔法を磨き上げ、進化している。

 それらの事実が、戦闘においてはスロースターターであるトリンキュロ・リムリリィのテンションを、引き上げて昂ぶらせる。


「それで捉えたつもりかは知らないが……ボクにるんだよなァ! おまえもっ!」


 噛みつかれた箇所から回っていく毒の悪寒を感じ取りながらも、トリンキュロは声高に叫んだ。


「燃やせ! 紅氷求火エリュテイアァ!」


 色魔法の模倣。カラーイミテーション。引き出した魔法は、アリア・リナージュ・アイアラスの紅氷求火エリュテイア

 一瞬で変化し、引き上げられた温度によって、華奢な腕に絡みついていた大蛇の血液が一瞬で沸騰し、燃え上がる。同時に、片腕の機能の喪失と引き換えに、高温によって毒が無力化される。

 魔法戦において、相手に触れて攻撃をするということは、相手の反撃を受けることと同義。肉を燃やすたしかな手応えに、トリンキュロはせせら笑う。

 必然、自らの腕を大蛇に変身させていたランジェットも紅氷求火エリュテイアによる高熱に晒されて──


「腕を捨てるのが、自分だけの専売特許だとでも思ったぁ?」


 ──そんな必然を、聖職者は微笑み一つで塗り替える。


 トリンキュロは絶句する。

 すでに聖職者の右腕は影も形もなく、躊躇なく踏み込んだ左腕が、トリンキュロの腹部を穿つ。小柄な体が、また冗談のように吹き飛ばされる。

 その打撃の重さと躊躇のなさに、トリンキュロは苦い笑みを浮かべた。


(生物に変身させた部位を自切して、魔法の影響を切り離した、か)


 魔法戦においては、相手と接触してしまった身体の部位を即座に切り捨てて、魔法効果を遮断するのも一つの戦術だ。

 できれば、の話ではあるが。

 それは奇しくも、体の部位を使い捨てる戦法を好むトリンキュロと、同じ思考である。


「……いいねぇ! 楽しくなってきた!」


 心の高揚をもはや隠そうともせず、身を踊らせた空中。トリンキュロは両手を合わせて、獲物に向けて照準する。


「喰い破る猪牙に、蜂起する回転を……混ざれ。イミテーションクロス──」


 彼女には見せたことのない、合成色魔法。

 触れた相手を穿ち、捩じ切る弾丸の牙。


「──『猪突蜂天ファング・ビーネ』」


 トリンキュロが指先の五発を発射したのと、ランジェットが顔を上げたのは、奇しくも同時だった。

 聖職者は、回避を選択しなかった。

 ただ、どこから取り出したかわからないを咥える口の端が、明白に釣り上がる。瞬間、欠けたはずの聖職者の右腕が、ぶくぶくと歪な音をたてて、膨れ上がった。



 ◇



「あ、このモンスターは知ってます! スライムです! 騎士さんが苦手なやつですね!」

「そうそう。騎士ちゃんが苦手なやつ」

「この子、すごく小さいですね。わたしの手のひらサイズしかありません」

「薄い緑色か。ちょっと変わった色してるね。騎士ちゃんも見てみる?」

「あ、やめて。あたしごめんスライムほんと無理だから。こっちに近づけないでもらっていい? ていうか早く消して」

「殺意高いですね」

「まあ、昔いろいろあったからなぁ……でも赤髪ちゃん、スライムは意外とめずらしい魔物なんだよ。そんなに害があるわけでもないし、冒険者の間では会えたらむしろラッキーみたいな話があるくらいで」

「ラッキーじゃない! そんなぶよぶよしたやつ、全然好きじゃない!」

「……と、まあ普通に嫌いな人もいるし、大型の個体はちょっと厄介かな。デカいスライムなんて、最近はほとんど見ないけど」

「強いんですか?」

「強いっていうか、倒しにくい。ほぼ水の塊みたいなもんで、斬ったり殴ったりの攻撃が効きにくいからね」

「で、食べれるんですか?」

「食べれません。絶対お腹壊すよ」

「……しかし、冷やしてゼリーっぽくすれば、あるいは?」

「どうしてもやりたきゃ騎士ちゃんの魔法で冷やしてもらいな」

「絶対に触りだぐないっ!」



 ◇



 トリンキュロの疑問は、多かった。


(クスリかっ! 何をキメた!? あの教団由来のものなら、絶対にろくでもない……というか、どこから出した? 胸の谷間にでも仕込んでたのか? )


 この戦闘の真っ只中に、何かを補給した理由。それが、体に及ぼす作用。純粋な隠し場所への疑問。

 それらへの回答を得る間もなく、トリンキュロが撃ち放った『猪突蜂天ファング・ビーネ』はランジェットの肥大した右腕に突き刺さり、回転し、捻じれて、


「あはっ」


 いくら捻じれたところで、には、何の意味もない。まるで水の中に、矢を放ったように。絶大な貫通力と破壊力を誇る手指弾丸が、あっさりと飲み込まれる。肉を突き穿ち、骨を捩じ切るはずの合成色魔法が、取るに足らない弱小モンスターへの変身だけで、いとも簡単に潰される。

 そして、空中から地面へ。重力に引かれて着地するトリンキュロを、魔物の右腕が待ち構えていた。


「これ、返すよぉ」

「まっ……!」


 トリンキュロの呼吸が、止まる。

 『猪突猛真ファングヴァイン』の突進。蜂天画戟アピスビーネの回転。合成した『猪突蜂天ファング・ビーネ』に付与した魔法効果は、不定形のスライムという仮初の水槽の中で、問題なく継続している。

 受け止め、方向転換されたそれらが、トリンキュロに向けて撃ち返される。


「ぐぉおおおおおおおあああ!?」


 腹に、全弾が命中。着弾した五発はトリンキュロの小柄な体を引き千切り、上半身と下半身を二つに引き裂くには十分すぎる威力を誇っていた。

 絶叫を吐き出し、壊れた人形のように地面に転がった最上級悪魔を見て。

 ランジェットは勝ち誇ることすらなく、静かに言い捨てた。


「ね〜、早く起きたら?」


 復元の魔法……『因我応報エゴグリディ』発動。

 身体的な損傷がすべて復元し、今までの攻防のすべてがなかったものになって、巻き戻る。

 むくり、と。無造作に起き上がったトリンキュロは、首を回して聖職者を見た。

 スライムへの変身の応用だろうか。ランジェットの全身……首から下は、薄く黒い塗膜のようなものに、完全に覆われていた。その豊かな胸の起伏や肉付きの良い身体のラインはそのままくっきりと浮かび上がっているが、皮一枚下の肉体がどのように『変身』しているのかは、もはや窺い知ることはできない。


「……ああ。裸が恥ずかしいっていう自覚はあったんだ」

「ランジェ、聖職者だからね〜。あの下品な死霊術師みたいに肌は見せないことにしてるんだぁ」

「良い心掛けだと思うよ。ぼくもあの下品な死霊術師のような安直な露出は好きじゃない」


 妙なところで意気投合しながらも、トリンキュロは凝り固まった体を一度ほぐすように、肩を回した。


「……きみさぁ」

「なに?」

「強くなったね」


 油断していた、とか。

 隙があったとか。

 そんな言い訳を重ねることはいくらでもできたが、しかしそれらもすべて己の心の在り方であることを理解しているトリンキュロは、そんな言い訳を口にしない。

 戦闘開始から、数分の駆け引きで回復の要である『因我応報エゴグリディ』を使わされた。

 ただ客観的に、数多の魔法使いを喰らってきた最上級悪魔は、純粋にその事実を評価した。


「魔法の切り替えがはやくなった。変身する魔物の使い分けも的確で、無駄がない。全身を変身させるだけじゃなく、部位ごとの変身も淀みなく、繊細だ。なによりも……連携を前提としない単独での戦闘の組み立てが、抜群に上手くなっている」

「あは〜。急に早口だ〜。キモい〜」

「誰を参考にしたのかな?」


 トリンキュロの質問に、ランジェットはすぐには答えなかった。

 ただ微笑んだまま、見かけだけは人間の形に戻った指先を真っ直ぐに正面へと向けた。




「あなただよ。トリンキュロ・リムリリィ」




 再生を前提とした身体の使い捨て。様々な魔法の使い分け。多彩な魔法の組み合わせ。単独で敵を圧倒する戦闘の組み立て。

 奇しくも、ではない。

 現在のランジェット・フルエリンの戦い方は、意図的に四天王第一位を……トリンキュロ・リムリリィを目指し、一年以上の時間をかけて、作り上げてきたものだ。


「ランジェはねぇ。魔王とは戦えなかったから、ずっとずっと……ずーっと考えてたんだ」


 そう。ランジェット・フルエリンは、ずっと考え続けていた。

 自分は、彼に置いていかれた。

 弱かったからだ。頼りなかったからだ。

 自分を大切にしてくれようとした彼は、自分のことを想ってくれた結果、自分をパーティーから外すことを選択した。

 どうすればよかったのだろう? 

 強ければ、よかったはずだ。

 では、どれくらい強ければ良かったのか?

 あの旅の中で、最も強く、おぞましく、恐ろしく、強かったのは、どんな敵だったか? 誰であったか?

 ランジェットの答えは、一つしかなかった。


「一人であなたに勝てるくらいに強くなれば、ゆうくんも旅の途中でランジェを捨てたことを、もっともーっと、後悔してくれるんじゃないかなって〜」

「……それ、本気で言ってる?」

「あは〜、冗談だよ〜」


 ランジェットは笑う。

 トリンキュロは、笑えない。

 その聖職者の笑みがどのような意味合いを含んだものなのか、理解できない。



「でも、あなたに勝てるっていうのは、ほんとかも〜」



 理解できないものこそ。

 トリンキュロ・リムリリィは、喰らいたくなる。


「……訂正しよう。ランジェット・フルエリン。ボクはきみに、興味が湧いてきた」


 勇者が率いたそのパーティーは、たしかに世界を救った。

 紅蓮の姫騎士、アリア・リナージュ・アイアラス。純白の賢者、シャナ・グランプレ。黄金の武闘家、ムム・ルセッタ。紫天の死霊術師、リリアミラ・ギルデンスターン。

 彼女たちは勇者と共に戦い、魔王を打ち倒し、世界に平和と安寧を取り戻した。

 しかしそれは、あくまでも一つの結果の話だ。

 もしも、彼女たちと肩を並べるほどの才能を持つ魔法使いが……彼に選ばれなかった魔法使いが、その後悔と無念を原動力に、己の魔法を磨き続けていたとしたら? 


「きみの魔法こころ、食べてもいいかな?」

「悪魔じゃ神様には勝てないって、証明してあげるよ」


 翡翠の輝きは、赫の頂点に、届き得る。

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