聖職者さんの変身

「帰る」


 目元にうっすらと涙すら浮かべて、元魔王軍四天王第一位、トリンキュロ・リムリリィは言い切った。

 トリンキュロの今回の目的は、純粋な勇者へのリベンジ。

 リリンベラの裏カジノで散々にやられた借りを返すため、入念に情報を収集し、勇者たちが飛行船の実験にかり出されることを掴み、空中で彼らを襲撃し叩き落とせるだけの実力を持つ魔法使いにそれを依頼し、不時着したポイントにてトリンキュロ自身が待ち構える。そういう手筈であった。

 しかし、実際はどうだろうか? 

 たしかに飛行船を落とすことには成功したが、そこにはほぼ全裸の微妙に見覚えのある聖職者が一人。

 勇者の姿も、魔王の欠片の気配も、影も形もない。これでテンションを下げるなという方が、無理な話だ。露出した胸の前を片手で抑え、微笑みながらこちらを見詰めている聖女に向けて、トリンキュロはもう一度言い切った。


「ボクは勇者と殺り会いにきたんだ。あいつがいないんじゃ、何の意味もない」

「あはー。それってつまり、見逃してくれるってこと?」

「うん」


 トリンキュロ・リムリリィは、魔法使いを喰らうことに対して、常に貪欲だ。

 しかし同時に、トリンキュロは興味を抱いた相手しか、食べる気にならない。相手を理解し、喰らい、己の一部にするという心の在り方が、トリンキュロ・リムリリィの原動力であるが故に。

 編み込んだ髪をいじりながら、また深く溜息を吐く。


「ボクの獲物は、勇者とそのパーティーだ。でもおまえ、べつに勇者パーティーじゃないじゃん」

「…………」

「二年前、ボクを倒した戦いにも、魔王様との最終決戦にもいなかった女に……勇者に捨てられた神様のなり損ないに、今さら興味なんて沸かないよ」


 ただ端的な事実だけを告げて、トリンキュロは踵を返す。

 見逃してやる、と。

 お前には興味がない、と。

 本当に、どこまでもシンプルな事実のみを告げて、トリンキュロはもはや敵とすら思っていない聖職者に、背を向けた。


「あはっ──」


 対して、ランジェット・フルエリンは、どこまでも乾いた笑いを吐き出した。


「──おい。待てよ」


 そうして、次の瞬間には。

 聖職者の拳が、四天王第一位の顔面に突き刺さっていた。



 ◇



「やっぱ辺境の山道だからか、そこそこモンスターが多いな」


 後ろから奇襲してきた猿っぽいモンスターの急所の頭部に裏拳を叩き込んで吹き飛ばしながら、おれは深く溜息を吐いた。


「ね。ちょっと面倒」


 目の前に立ちはだかっていた十数匹の群れを大剣の一閃で焼き飛ばしながら、騎士ちゃんも溜息を吐いた。


「まあ、そろそろ敵わないと理解するんじゃないですか? ヤツらもバカではないでしょう」


 空中を旋回して隙を伺っていた飛行モンスターの大群を片っ端から撃ち落としながら、賢者ちゃんはフードから溢れる枝毛をいじっていた。


「食べれる獲物は出てこないんですか?」


 黙々とおれたちの後ろをついてくる赤髪ちゃんは、シンプルに目が死んでいた。

 お腹が空きはじめてきたのだろう。かわいそうに。


「いやぁ、食える獲物が出てきたらすぐ仕留めるんだけどな」

「そもそも魔物って食べれるヤツあんま多くないもんねぇ」

「大丈夫です騎士さん。この際、味は問いません」

「だめだよ赤髪ちゃん。毒持ってたりするやつもいるんだから」

「大丈夫です騎士さん。この際、毒は問いません」

「問おうよ!? さすがにお腹壊すよ!?」


 腹ペコモンスターと化しつつある赤髪ちゃんを、騎士ちゃんがどうどうと宥める。

 このままでは赤髪ちゃんが毒の有無に関わらずなんでもかんでも食べ始めてしまう。空腹を紛らわせるために、少し話題を変えよう。


「そういえば、赤髪ちゃんに魔物の説明ってしたことあったっけ?」

「いえ。厳密に聞いたことはない気がします」

「うん。じゃあせっかくだし、説明しておこうか。ちょうど、現在進行系で撃退してるし」


 空腹の悲しみに染まっていた赤髪ちゃんの表情に、旺盛な知識欲が混じった。知らないことを積極的に知ろうとするのが、赤髪ちゃんの良いところだ。なんだかんだ地頭も良いし、決してただの腹ペコ食いしん坊キャラではない。いや、知識に対しても貪欲なあたり、やっぱり食いしん坊なのか? 


「モンスター、魔物。そういう風に呼ばれる生物の特徴は、大まかに二点。魔力を持っているか。そして、人間を襲うか、だ」

「人を襲う特別な力を持った害獣が、大雑把に魔物という枠に括られているんですね」

「そういうこと。で、やっぱりこういうヤツらに対処するためには、弱点や生態をある程度把握しておくのが、手っ取り早い」

「なんか、みなさんは呼吸するように倒してらっしゃいますけど」


 赤髪ちゃんが若干の困り眉で呟く。

 そりゃあ、おれたちは世界を救ったパーティーですからね。そこらへんの魔物には手こずりませんよ。


「でも、おれたちだって駆け出しの頃は油断して不覚を取ったり、苦戦したりすることもあったわけだからね。いろいろ知っておくに越したことはないよ」


 地面で羽を広げてのびているコウモリに似た魔物を、おれは雑に拾い上げた。


「たとえば、賢者ちゃんが叩き落としてるコウモリっぽいこの魔物は、クラムバット。群れで襲ってくるのが特徴なんだけど、もう一つ厄介なのが……」



 ◇



 顔面に拳を叩きつけられ、細く整った鼻筋を叩き折られ、地面を数回跳ねるほどの威力で吹き飛ばされても、しかしトリンキュロ・リムリリィは激昂することなく、ただ冷静に態勢を立て直した。


「……バカな女だなぁ。ボクが見逃してやるって言ってるんだから、そこは大人しく見逃されておけよ」


 何もなければ見逃してやろう、と。そう考える程度には、トリンキュロ・リムリリィはランジェット・フルエリンに対して興味を抱いていなかったが、あちらから喧嘩を売ってきたのであれば話は別だ。

 悪魔にとって、人間はただの餌。餌が吠えてくるのは、思い上がりが過ぎる。

 舌打ちを一つ。鼻から垂れる血を舌で舐め取って、トリンキュロは生まれたままの姿で拳を握り締める聖職者を冷めた視線で値踏みする。


「あは〜。あなたがランジェを見逃すのは勝手だけど、ランジェがあなたを見逃す理由はないんだよねぇ」

「ちぢこまって謙虚に生きるのが人間の長生きのコツだって習わなかったのかな? 無駄にでけえ乳に栄養取られて頭が回ってないんじゃないの?」


 吐き捨てる言葉の毒とは裏腹に、トリンキュロの思考は目の前の相手を確実に喰らうため、静かに回り始めた。


(コイツの変身魔法の手札は、昔の戦いで大まかに割れている。間合いを取った場合は、ドラゴンに変身してブレスを吐く大味な遠距離攻撃。ボクの『青火燎原ハモン・フフ』で拡散してやれば、まったく脅威にはなり得ない)


 折れた鼻筋を『自分可手アクロハンズ』で整形し直す余裕すら保ちながら、トリンキュロは次の一手を見極め、やや開いた間合いを保つ。

 案の定、何かを吐き出すように大きく口を開いたランジェットは、


「『──ァ』!!!」


 声にならない、不可視のそれを、トリンキュロに向けて叩きつけた。


「なんっ……! ぐっ……!?」


 堪らず、トリンキュロは膝を折る。

 感じたのは、頭痛と不快感。そして、平衡感覚の、喪失。



 ◇



「クラムバットは、鳴き声がそのまま武器になる」

「鳴き声が、ですか?」

「そう。コイツが放つ音波をまともに浴びると、ひどく気分が悪くなる。ただし、効果範囲はもちろん限られているから、届く距離に近づかれる前に倒すのがベター」

「聞いてしまったらどうなるんですか?」

「うーん、なんていうか、すごく酔う感じかな? 転送魔導陣で赤髪ちゃん酔ったことあったでしょ? あれのひどい版だと考えてもらえればいいよ。吐き気が出て、頭が痛くなって、視界がぐらぐらする。まったく戦えないわけじゃないけど、ベテランの冒険者でもかなりしんどくなるのは間違いない」

「ちなみに食べれますか?」

「だめです。肉は硬くて食えたものじゃないしほとんど可食部はありません」

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