勇者は遭難する

 船が落ちた。

 やはり、ひさびさの冒険でハッスルしすぎたのが悪かったのだろう。

 さっきまで快適な空の旅を楽しんでいたせいだろうか。少し山道を登っているだけで、疲労困憊の体にどっしりとした気怠さを感じる。おれは、ぼそっと呟いた。


「なんかさぁ……騎士ちゃんが舵握った船で冒険すると、大体沈むよね」

「はあ!? 言いがかりはやめっ……」

「いえ、案外勇者さんの指摘は正しいですよ。ラームエルではじめて海に出た時は転覆してますし、ギャリドで滝下りをした時も粉々になりました。あと、ビタンの海戦でも戦艦を一隻潰してますね」


 おれに食って掛かろうとした騎士ちゃんだったが。

 しかし賢者ちゃんにぼそっと今までの廃船履歴を指摘されて、そのまま押し黙った。金髪のポニーテールが、犬の尻尾のようにしおしおと揺れる。


「……え。あたし、もしかしてなんか呪い浴びてたりする? 厄払いとかしてもらったほうがいいかな?」

「帰ったら聖職者さんに頼んでみようか」


 とはいえ、騎士ちゃんの腕がなかったらおれたち全員空の塵になっていたので、本当に助かったとしか言いようがない。しょんぼりしてる肩をぽんぽんと叩いて慰める。元気を出すんだ騎士ちゃん。今度、沈んでもわりと平気そうな安めの船でクルージングしよう。


「しかし、本当に死ぬかと思いましたわ。スリリングな体験もたまには悪くありませんが、これではいくつ命があっても足りないというものです」


 ようやく乗り物酔いから復帰したらしい死霊術師さんが、涼しい顔でのたまう。やかましい。あんたは命がいくつどころかたった一つで十分に事足りるだろうが。


「船の状態が気になりますが、こればかりは致し方ありませんね。あちらは聖職者さんにお任せしましょう」

「そうするしかない、か」


 賢者ちゃんの言う通りである。船は落ちたが、沈んではいない。

 明らかに航行に支障をきたす損傷を負ってしまった結果、一刻を争う状況の中で聖職者さんの提案は「自分が変身して船を着水可能な場所まで運ぶから、みんなは先に脱出しろ」であった。飛行船とはいえども、船は船。着水可能なように設計はされているし、なにより地面への胴体着陸よりも水面への着水の方がリスクは圧倒的に低い。パーティーを二手に分けることも考えたが、聖職者さんの「一人で大丈夫」というゴリ押しに負けて、結局その提案を通してしまった。

 付け加えるなら、敵の追撃を受けないために撃墜したドラゴンとその乗り手の確認を、こちらで確認しておきたかった、というのもある。

 が、それはどうやら無駄に終わってしまったようだ。


「……消えてる」

「消えていますね」


 厳密に言えば、墜落した痕跡はたしかにあった。

 山の中腹の地面に深々と刻まれたクレーターが、その激しい衝突の跡を物語っている。

 しかし、肝心のドラゴンとその乗り手である魔法使いの姿が、どこにも確認できない。まるで最初から、その存在そのものが幻であったかのように。忽然と、姿を消していた。

 すでに複数人に増殖し、杖を構えて魔導陣を展開している賢者ちゃんたちに聞く。


「探知の結果は?」

「先ほどから可能な限りの最大精度でずっと行っていますが、敵の影はおろか、魔力の残滓すら認められません」


 魔術を使った痕跡は、ある程度腕の立つ魔導師なら魔力探知で特定することができる。世界最高の魔導師である賢者ちゃんが複数人に増えて探知を行った場合、その索敵調査能力に並ぶことができるのは、精々賢者ちゃんのお師匠さんくらいのものだろう。

 そんな賢者ちゃんたちが、敵の気配も、魔力の残り香もない、と断言している。


「つまり」

「はい。魔術を使った形跡は一切なく、転送魔導陣の類いで逃げた可能性すらない」

「魔法か」

「おそらく」


 聖職者さんの言葉を素直に信じるとして、今回の襲撃者がドラゴンの上に乗っていた魔法使いだった場合。

 賢者ちゃんの索敵を潜り抜けて近づいてきた、隠密能力。

 こちらの遠距離攻撃をすべてかき消す、無効能力。

 そして、忽然と姿を消した、移動能力。

 これらすべてが、たった一つの魔法である、ということになる。


「ちょっとそれは、いくらなんでも万能過ぎるな」

「本当ですよ。昔の勇者さんじゃあるまいですし」

「え。それもしかして褒めてる?」

「いえ、現在の勇者さんの魔法の役立たずっぷりを貶してます」


 しれっと賢者ちゃんは言い切った。そんなにあっさりと断言しないでほしい。おれが泣きそうになるから。


「まあ、相手が消えちゃったものは仕方ない。周辺警戒は継続しつつ、こっちも聖職者さんと合流するために移動しよう」

「そんな!? 我が勇者運送の新たな労働力となる予定のドラゴンの捜索を!? ここで諦めるのですか!?」


 死霊術師さんが悲痛な表情で何か叫んでいるが、その一切を無視する。実にやかましい。


「おれたちの現在位置は?」

「ステラシルドからもグエイザルからも外れた、完全に国境周辺の山岳地帯ですね。聖職者さんは東へ船を運んで下ろすと言っていました。たしかに、そちらの方角には湖があるようです」


 難しい顔で地図を広げている賢者ちゃんの一人が、簡潔に答えた。

 おれと騎士ちゃんが手を差し出した瞬間、白花繚乱ミオ・ブランシュによって一枚だった地図が三枚に増える。全員で一枚の地図を見るよりも、こちらの方が早い、合わせて死霊術師さんも手を出したが、賢者ちゃんはそれを鼻で笑って杖ではじいた。死霊術師さんは泣きそうになってる。おもしろい。


「この地図、大丈夫? ちょっと古そうなんだけど」

「ろくな街もない国境の山岳地帯の地図なんて、そこまで細かく更新する理由ないしなぁ」

「たしかに。昔の地図は、三百年くらいで、地形がとっても変わってることがある。あんまり、あてにしない方がいい」

「それ多分師匠だけです」


 仙人めいた時間感覚でアドバイスされても困る。

 しかし「地図に頼りすぎるな」という意味では、その助言は正しい。


「賢者ちゃん。聖職者さんに魔力マーカーは?」

「舐めないでください。もちろん、予めつけていますよ。捕捉の範囲内です」

「それならとりあえず合流できないってことはないな。じゃあ、発信源を頼りに移動するとしますか」

「ええ。用意周到な有能極まるこの私を、もっと褒め称えるといいでしょう」

「ところで聖職者さんの居場所をいつでも捕捉できるようにしておいたってことは……もしかしての話なんだけど、出発前に聖職者さんと何か揉めたりした?」


 すーっと。

 一人だけではない賢者ちゃんたちの表情が、真顔になる。


「おもしろくない冗談を言いますね、勇者さん」

「とりあえず付けておいただけですよ」

「はい。その通りです」

「べつに深い意味とかそういうのは」

「ええ、まったくありません」

「急にみんな一斉に言い訳するじゃん」


 腐ってもおれはパーティーのリーダーだぞ。誤魔化せると思うなよ。

 複数人で嘘を吐こうとすると、ボロが出やすいのが賢者ちゃんのおもしろいところである。まぁ……聖職者さんと賢者ちゃんが何を揉めたかは、無事に帰ってからでも聞けるし。今、詮索することでもないだろう。


「赤髪ちゃん」

「はい? なんでしょう。勇者さん」


 おれは少し離れた場所で景色を眺めていた赤髪ちゃんをこちらに呼び寄せた。


「一つ。残念なお知らせがある。聖職者さんが着水したであろう場所までは、大まかに見積もって徒歩で二日くらいかかる」

「はい! これから、みなさんでプチ冒険というわけですね! それくらいの距離なら、全然大丈夫です。わたしだって歩けます! 聖職者さんを迎えに行くためにも、早く行きましょう!」

「……いや、残念なお知らせっていうのは、距離のことじゃないんだ」


 くどい説明になるかもしれないが、おれたちが乗ってきたイロフリーゲン号は、小型の試験飛行船だ。今回の乗り込んだ人数も定員ギリギリで、余計な貨物の類いを積み込む余裕もなかった。

 まあ、つまり何が言いたいのかというと、


「食料がない」


 最上級悪魔に、人質に取られた時よりも。

 四天王第一位に、迫られた時よりも。

 なによりも色濃い恐怖に染まった表情で、元魔王の女の子は泣きそうになった。

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