追憶。聖職者の追放

 彼に選ばれない自分なら、死んでしまえばよかった。


 今でも時々、ランジェット・フルエリンは夢に見る。一人ぼっちでみんなに置いていかれた、あの日のことを。

 いつも通りに野宿をして、いつも通りにみんなで寝て、いつも通りに朝起きたら、ランジェットは一人ぼっちだった。シャナも、アリアも、ムムも、全員の姿が忽然と消えていて、残っていたのは彼の書き置きだけ。


 ごめん。今までありがとう。

 ここからは、おれたちだけで行くよ。


 野暮ったくて角ばった、けれど迷いのない彼の人柄をそのまま表したかのような、淡白な二行。

 ふざけるな、と思った。しかし同時に、自分の旅はここで終わるのだと、その二行を読んだだけでランジェットは理解してしまった。

 グエイザルの衝撃。それは、勇者による聖女の拉致事件である。聖女として祭り上げられてきたランジェットの出奔により、一つの国が大きく荒れていた。悪化していく国の情勢を、ランジェット自身も旅の中で幾度となく耳にし、騒乱は鎮まることなく大きくなっているようだった。

 戻った方がいいのではないか、と。そう考える日がなかったと言えば、嘘になる。

 自分が責務を果たしていれば、と。そう悔やむ日がなかったと言えば、嘘になる。

 自分が聖女であり続ければ、と。そんな風に思い悩む日がなかったと言えば、嘘になる。

 悔やむ自分の横顔に、彼が気がつかなかったとは思えない。

 今、この瞬間に抱える苦悩を後悔に変えないために、彼はランジェットをパーティーから追放する選択をしたのだろう。


「……仕方ない。帰るかぁ〜」


 もう誰もいないのにわざと大きな声でそう呟いて、ランジェットは歩き出した。

 最初は二人きりでいろいろと心配だったパーティーも、今はもう随分と頼もしくなった。

 出会った頃は無茶ばかりしていたアリアには、冷静さが備わった。魔術の修行から戻ってきたシャナは、驚くほどに知識をつけていたし、ムムは見た目だけは小さいけれどとても強い。そしてなによりも、彼は勇者として、とても逞しくなった。必ず魔王を倒して、世界を救ってくれるだろう。

 みんなと一緒に歩いてきた道を、ランジェット・フルエリンは一人で帰る。

 淡々と歩を進めながら、ぼんやりとパーティーのみんなのことを考える。

 自分がいなくなったら、ご飯係は基本的にアリアだろうか? 朝、シャナを起こして身支度させるのもアリアになりそうだ。とはいえ、彼にも一通り料理は仕込んだし、そこまで心配する必要はないかもしれない。彼とアリアと三人で旅をしていた頃は、自分しかまともに料理をできる人間がいなかったから、それなりに大変だった。思えば、二人に生活力を身に着けさせたのは、自分かもしれない。


「まあ、みんな成長したし、ランジェがいなくても、もう大丈夫だよね」


 大丈夫だ。心配ない。

 でも、みんなが怪我をしてしまわないかは、やはり気がかりだ。


「うーん。シャーちゃんの魔術だけで平気かなぁ」


 魔術による回復には、限界がある。単純に自分が抜けた穴は戦力ダウンに繋がるだろうし、回復を担える魔法使いは探した方がいいだろう。

 代わりは、きっと見つかる。世界を救うために、自分の代わりはいた方がいい。


「あは〜。やっぱりだめそうだなぁ……」


 誰も聞いてくれる人なんていないのに、そんな呟きが自然と漏れた。

 みんなは、自分がいなくても、もう大丈夫かもしれないけど。




「うぅ……うっ…………えぐっ」




 ランジェは、みんながいないと、だめだ。

 周りには誰にもいない。だから、ランジェット・フルエリンは子どものように大声で泣きじゃくった。


 ずるい。


 自分を変えたのは、彼なのに。

 自分を神様から人間に戻したのは、彼なのに。

 自分は、こんなところで、一人で泣くような女の子じゃなかったはずなのに。

 でも、そうなってしまったものは仕方ないので、ランジェットはひたすらに泣いた。

 今までの旅路と、冒険と、彼らと過ごした思い出をすべて涙にして吐き出して。

 そうしてようやく、身軽になった聖職者は、国に戻った。

 勇者である彼はきっと、これから世界を救うのだ。

 なら、聖女の自分が神という偶像に縋る国の一つも救えないのは、嘘だと思った。


 今でも時々、ランジェット・フルエリンは夢に見る。独りぼっちの、帰り道を。

 勇者は、魔王を倒して世界を救った。

 彼の隣に立つ、騎士がいた。彼を知恵で助ける、賢者がいた。彼を導く、武闘家がいた。彼を蘇らせる、死霊術師がいた。

 彼を癒やす聖職者は、そこにいなかった。

 それが、歴史の本に載る事実だ。

 自分を変えてくれたのは、彼だった。自分もきっと、彼のことを少しは変えることができたはずだ。

 最初に、彼は自分に手を差し伸べてくれた。自分も、最初に彼の手を取った。

 でも、それだけだ。

 最後に、彼が自分を選ばなかったように。自分も彼を、最後に選ばなかった。

 巡り合わせとか、運命とか、そんな薄っぺらい言葉だけでは、片付けられない。

 ランジェットは知っている。

 神様はいつもいじわるで。

 運命はいつも残酷で。

 勇者はいつもやさしくて。

 だから、ランジェット・フルエリンは今でも想うのだ。


 ──自分を選んでくれない彼なら、殺してしまえばよかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る