勇者と死霊術師・エンドレスゲーム

「これであの女も終わりですね」

「一緒に世界を救った仲間に向けるセリフじゃないよ、それ」


 新聞を読みながらほくそ笑む賢者ちゃんに向けて、おれは思わず突っ込んだ。天才と毒舌がウリとはいえ、さすがにあまりにもあんまりな物言いである。

 死霊術師さんとの駆け落ちからはじまったあの事件から、一週間後。ようやく、新聞を広げて茶をしばける程度には、いつもの日常が戻ってきた。しかし死霊術師さんとは、釈放された後に会う時間を作れていない。一連の出来事の後始末で忙しいことくらいは、さすがに想像がつく。


「ほらほら、勇者さんも読んでください」

「はいはい、わかったわかった。わざわざ魔法で増やさなくていいから」


 おれに読ませるためだけに『白花繚乱ミオ・ブランシュ』を使って新聞を増やしてるあたり、悪い意味で賢者ちゃんのテンションが上がっているのがわかる。死霊術師さんの失脚がそれだけ嬉しくて仕方ないのだろう。本当に仲間か? 

 個人名が表記されている箇所を、おれは当然読むことはできない。が、大まかに内容をまとめると、死霊術師さんの社長職の引退と、運送会社の今後が危ぶまれる、と報じられていた。


「死霊術師さんが金と権力を握っているのは、私としても目障りでしたからね。結果論とはいえ、こうして表舞台から消えてくれるのは、非常に助かります」


 だから、セリフが悪役のそれなんだよなぁ。

 いつものローブを脱ぎ捨ててソファーに寝転がり、ニコニコと天使のような笑顔を浮かべている賢者ちゃんは、まるで幸せに満ちた猫のようである。まあ、猫は他人の不幸を喜んだりはしないけど。

 しかしながら、毒舌で性格の悪い賢者ちゃんとは違って、おれは死霊術師さんが会社を起ち上げるに至った流れを今回知ってしまったので、どうにも後味が悪い。おれから金を借りて、会社の株式を買い戻したところで、一連の駆け落ち騒動や、幹部の一部が最上級悪魔と繋がっていた事実が消えるわけではない。それは、仕方のないことだとは思うが……


「ていうか、死霊術師さんの運送会社って今じゃもう結構な規模だったよね?」

「それは認めざるを得ませんね」

「そんな会社がなくなると、これからの物流に支障が出るんじゃない?」

「問題ありませんよ。しばらく多少の混乱はあるでしょうが、設備や人材は様々な会社に散っていくはずです。経済とはそうやって回っていくものですよ。いくら不死身でも、今回ばかりはどうしようもないでしょう!」


 滅多にお目にかかれないイキイキとした表情で、言葉を紡ぐ賢者ちゃんはもう放っておいて、おれは背後を振り返った。


「師匠も、新聞読みます?」

「ありがとう。でも、必要ない」


 ソファーでくつろいでいるおれと賢者ちゃんとは対照的に、黙々と片手で腕立て伏せをしていた師匠は、こちらを見もせずに言い切った。


「癪な話だけど、あいつはこの程度じゃ、死なない」

「はい? それはどういう」

「言葉通りの、意味。勇者はまだまだ、修行が足りない」


 師匠の言葉の意味を問い返す前に、部屋の扉が勢いよく開いた。

 入ってきたのは、赤髪ちゃんと騎士ちゃんである。


「勇者さん! 大変です!」

「これ! ちょっとこれ! 早く読んで!」


 普通よりも薄い紙面は、どうやら発行されたばかりの号外記事らしい。

 だが、おれはすでに号外記事で駆け落ちをすっぱ抜かれ、でっち上げられた男。今さら何を書かれたところで、驚くことは何もない。


「…………はあ?」


 そのはず、だった。

 食い入るように、紙面に目を走らせる。


「や、やりやがった」


 名前がわからなくても……否、名前がわからないおれでもわかるその見出し記事の内容は──




 ◆




『ギルデンスターン運送、勇者運送として、再出発』

 先日、ギルデンスターン運送の社長職から辞任することを発表したリリアミラ・ギルデンスターン氏は、社の名前を「勇者運送」と改め、新たなスタートを切ることを表明した。

 経営幹部陣との摩擦が囁かれていたリリアミラ氏は、実際に社の中で株式の独占とそれに伴う不正があった事実を、先日公表した。それに伴い、ギルデンスターン運送は解体の説が濃厚であったが、それに待ったをかけたのが、リリアミラ氏と死線を共にした、勇者様の一言であったという。

「国内の物流は、経済を回す血液。ギルデンスターン運送は、他国との架け橋を繋ぐ、翼である。ステラシルドの飛躍を担う一翼を、こんな形で失うわけにはいかない」

 勇者殿は私財を投げ打ち、ギルデンスターン運送を支援。これに感銘を受けたリリアミラ氏は、深い反省と自戒の念を込めて、我が国の英雄の名を社名に刻むことを決意したという。

「経営幹部の裏切りに合い、失意の底にあったわたくしは、すべてを投げ出して逃げ出してしまいました。しかし、そんなわたくしを探し出し、引き戻してくれたのが、他ならぬ勇者さまだったのです」

 かつての仲間に向けて、勇者様はこう述べた。

「逃げるな。あなたの責務を果たせ」

 勇者様とリリアミラ氏の関係については誤報であることは先日報じられた。しかし、世界を救ったパーティーの絆が健在であった証明は、我々ステラシルドの国民にとっても、喜ばしい限りだろう。

 なお、リリアミラ氏は新たに勇者運送の会長に就任し、これからも国内外を問わず物流の発展に尽力していく意志を、強く表明した。




 ◆




 新調した執務室の中で、リリアミラ・ギルデンスターンは上機嫌に鼻歌を口ずさむ。

 社名が刻まれたネームプレートの真新しい冷たさを、指先で撫でて、確かめる。

 元々、ギルデンスターンという家名に愛着はなかった。

 ミラさん、と。彼に名前を呼んでもらうのは好きだったけれど、それはしばらくお預けだ。

 だったら代わりに、彼の呼び名を拝借するくらいはいいだろう。

 再出発に合わせた社名の変更には、幸いなことに国王陛下も乗り気だった。色々ともみ消したいことが多かったリリアミラとしては、願ったり叶ったりと言う他ない。

 ギルデンスターン運送から、勇者運送へ。


「ええ、いいですわね。こちらの方が、儲かりそうです」


 人は、いつか死ぬ。

 世界を救った勇者も、例外ではない。

 銅像を立ててその勇猛さを讃えたとしても、錆びて朽ちていくことは免れない。

 書物の中でその足跡が紡がれたとしても、失われてしまえば意味がない。

 けれど、名前は死なない。

 人々が忘れない限り、記憶の中で生き続ける。

 死にたがりの自分が、彼の名を生かす。

 なんとも皮肉な話だが、しかしその皮肉が、今のリリアミラにとっては、存外に心地いい。

 そして、なによりも。

 自分が積み上げてきたものの中に、勇者の二文字を刻み込んでおく、というのは。


「ふふっ」


 彼のことを独占しているようで、心が踊った。

 目を閉じて、リリアミラは革張りの椅子の背に、体重を預ける。

 今夜は少し、よく眠れそうだ。


「死霊術さん! 死霊術師さんっ!? おい開けろ! おれは金は貸したけど名前を貸したつもりはないぞ!?」

「はやくここを開けなさいクソ女! なにを勝手に勇者さんの名前使ってんですか!?」

「面倒だから、蹴破っていい?」

「燃やそうよこの扉。燃えるよ。木だもん。燃やしていいかな?」

「駄目ですお二人とも!? この扉高そうですよ! 弁償になったら誰がお金払うんですか!?」


 ……いや、今夜はやはり、眠れなさそうだ。

 目を開けて、リリアミラはやれやれと息を吐く。

 部屋の中を見渡すと、社の再出発を祝う贈答品や花が山のように積み上げられている。

 その中で一つだけ、デスクの上に飾ったもの。

 小さく、簡素だがしっかりとした造りのゲームボードに手をやって、死霊術師は微笑んだ。

 吹けば飛ぶような小さな会社に相応しい、祝いの品。

 差出人は、言うまでもない。

 せっかくの新たな門出の日である。こういうゲームを楽しみながら、穏やかに過ごしたいところだが……彼らは受けてくれるだろうか?

 無理な気がする。

 まあ、仕方ない。

 そもそも、今さら勝負をするまでもなく、結果はもう出ている。

 可愛い秘書を育て上げ。

 恩人との契約を完了し。

 悪魔との盟約を果たし。

 駆け落ちごっこを楽しんで。

 カジノで豪遊した上に。

 彼の名前を手に入れた。

 リリアミラ・ギルデンスターンは、勢いよく扉を開き、愛すべき仲間たちを迎え入れた。


「ご機嫌よう、みなさん。社長から会長にランクアップした、わたくしですわ〜!」


 ──今回のゲームは、自分の勝ちだ。

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