彼女は生きる

 目線が違った。声音が違った。階段を登る足音が違った。

 そんな風に、その偽物の精巧な物真似を馬鹿にすることはいくらでもできたが、ルナローゼは最もシンプルな回答を選んで、口にした。


「彼は、死にました」


 そう。彼は死んだ。

 これ以上ない、単純な答え。たった一つの、変わらない事実。

 サジタリウスのような、何か。ソレの表情が、困ったように歪んだ。


「……愛したものが、生きて帰って来る。そういうハッピーエンドは、嫌いか?」

「もちろん好きですよ。ただ、私はどうにも……らしいので。そういう甘ったるいエンディングは、肌に合わないんです。残念でしたね?」


 彼は死んだ。死んだものは、もう二度と帰ってこない。

 魔法でも使わない限り、たとえ魔法を使ったとしても、自分が愛した彼は、もう戻ってこない。


「これは、お前にとっても望ましい結末のはずだ」

「そうかもしれませんね」

「受け入れて、溺れてしまえばいい」

「ええ。それはきっと、幸せなのでしょうね」

「ならば……」

「……でも」


 言葉を遮って、止める。

 こうして、彼の姿をした『何か』を見て、ルナローゼは確信した。


「彼に生きていてほしい、と願うのは……ただの私のわがままです」


 自分は、悪魔に恋をした。

 自分は、サジタリウス・ツヴォルフという一人の男を、愛してしまった。

 残された自分は、不幸なのかもしれない。

 自分の物語は、ハッピーエンドではないのかもしれない。

 けれど、ルナローゼは、自分が看取った彼の死を、不幸だったとは微塵も思わない。


「彼が望み、彼が勝ち取った死を愚弄することは、この私が許しません」


 たとえ、それが自分の幸せと引き換えだったとしても。

 彼が選んだ結末を、否定することだけは。


「そこに、あなたが望んだ愛がないとしても?」

「……ええ。たくさん貸したまま、返し切らずに、逃げられてしまいました」


 十分だ、なんて言えない。

 もっともっと、本当は欲しかった。


「でも、いいんです」


 そんな泣き虫でか弱い女の子よりも……ちょっときついくらいの、かっこいい女の方が、彼はきっと好きだろう。



「愛した男が、私にすべてを賭けてくれました。これ以上はいりません」



 これから、彼に相応しい女になることが。

 きっと、自分の人生を賭けたゲームになる。


「……うん。そうか。そうだね。さすがは、サジが選んだ女性というべきか」


 サジタリウスだった『何か』の姿が、解けて消える。

 ルナローゼは、息を呑んだ。

 長身を見上げていたはずが、一瞬で見下ろす側に立場が逆転する。

 白いフリルが彩られた華美なワンピースドレス。純白と紅色が目にも鮮やかな、二色のリボン。

 その悪魔の名を、ルナローゼはよく知っていた。


「トリンキュロ……リムリリィ」

「まずは、彼の姿を『模倣』したことについて……あなたに謝罪を。ルナローゼ・グランツ」


 史上最悪の悪魔と呼ばれたトリンキュロ・リムリリィが、深く膝を折り、頭を垂れる。

 不思議な違和感だった。

 ルナローゼは、トリンキュロと勇者の、殺し合いと呼ぶしかない死闘を見届けている。

 だから、いつでも自分を殺せるはずの彼女が、こちらに向けて頭を下げるその姿が、ひどく非現実的で滑稽で、信じられなかった。


「なぜ、こんなことを?」

「あなたという人を、見極めたかった。それだけだよ。ボクはサジを信頼していたつもりだったけど、結局のところ最後には裏切られてしまったからね。こういうイジワルもしたくなるのさ。何を隠そう、悪魔なものでね」


 硝子張りのような軽薄さで、けらけらと笑顔が踊る。

 貼り付けられたようなそれを見下ろしたまま、ルナローゼは簡潔に評した。


「悪戯にしても、薄っぺらい真似事でしたね」

「そうかなぁ? ボクの『麟赫鳳嘴ベル・メリオ』は、一度触れたモノならほぼ完璧に『模倣』できる。どこをどう見ても、サジタリウス・ツヴォルフ本人だったと思うけど……」


 そこで、言葉を区切って。

 トリンキュロの笑みから、薄さが消えた。


「うん。でもこればっかりは、見破られたボクの負けだ。あなたはもう、彼の死を受け入れている。やっぱり、人の心を模倣するのは、難しい。そこに、愛やら恋やらが絡むなら、尚更だね」

「彼は、悪魔でしたよ?」

「……きみ、人の揚げ足を取るのが上手いねえ。こりゃ、サジが口喧嘩で負けるわけだよ」

「お褒めに預かり光栄です……とでも、言っておけばいいですか? 四天王第一位」


 くつくつと、細い喉が鳴る。

 笑い声を抑えたトリンキュロは、自分を言いくるめた女性を見上げて、さらに問いかけた。


「改めて、ルナローゼ・グランツへ、トリンキュロ・リムリリィより、最上の敬意を。たとえ魔力の繋がりがなかったとしても……あなたはたしかに、我らが十二柱と、心を通わせた契約者だった」


 四天王第一位は、懐から取り出した封筒を、ルナローゼに差し出した。


「これは……?」

「サジからの預かりものだよ。もしも自分の身に何かあったら渡してくれって。あいつから頼まれてたんだよね」

「なぜ……彼は、これをあなたに」

「さあ? 他に預けられる人がいなかったからじゃない? それ以上の理由はないでしょ」


 ほら、サジって全然友達いなかったしさ、と。

 トリンキュロは、素知らぬ顔でそう言い添えた。


「どうして、あなたはこれを私に届けてくれたのですか?」

「おや。聡明なあなたにしては、愚かな質問だね、ルナローゼ。じゃあ、これだけは覚えておいてほしい」


 人ではないそれは、最後まで礼を欠かさず。


「悪魔は、契約は守るものだよ。お嬢さん」


 そうして、最後の一礼と共に、トリンキュロ・リムリリィの姿は一瞬でかき消えた。

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