彼がいなくなった日

「……無職だ〜!」


 ルナローゼ・グランツは、アホみたいなセリフを叫びながら、馬鹿みたいに広くなったベッドに飛び込んだ。

 あれほど職なしのヒモカスをバカにしていたはずだったのに、まさか自分が職を失って無職になってしまうとは思わなかった。

 部屋の中を見渡して息を吐く。まるで、時間が宙に浮いてしまったかのような気分だ。

 あれから間もなくして、ルナローゼは無罪放免で釈放された。お節介で人の良い社長が手を尽くしてくれたことは、想像に難くない。礼の言葉の一つでも、と思って会社に行ってみたが「あなたはもう部外者ですので」とあっさり門前払いを食らってしまった。一応、渡すべきものは渡してきたつもりだが、本当に素直じゃない上司はこれだからやっていられない。

 ただ、生活の中心であった仕事を失ってしまったのは、紛れもない事実だ。

 仕事もなく、やることもない。

 とりあえず、部屋の片付けからはじめてみよう、と手を付けてみたが、これも中々進まなかった。

 彼が使っていたマグカップ。彼が座っていた椅子。

 部屋の中に残る全てに、馬鹿な悪魔の残り香がある。

 その事実に、ルナローゼ・グランツはもう一度深い息を吐いた。

 もう少し、自分は賢いものだと思っていたが、どうやらそんなこともないらしい。

 ルナローゼは、彼が使っていた食器に手をかけた。


「忘れものばっかり」


 呟きをひろってくれる誰かは、この部屋の中にはもういない。

 生きなさい、と言われた。

 だから、生きなければ、と思う。

 けれど、一人で普通に生きていくことがこんなに難しいなんて、彼が隣にいる時は、想像すらできなかった。


「サジ」


 耳を澄ますと、足音が聞こえた。

 階段を小気味良く登る音。まるで、ギャンブルで大勝ちしてきた時のように、上機嫌な。


「……サジ」


 想像をする。

 もしも。

 もしも、彼が帰ってきてくれたら。

 いつものように鍋に火を入れよう。無駄なお土産を買ってきたなら、少し強めに叱ろう。

 足音が部屋の前で止まる。ノックの音が響く。

 まさか、と。

 期待に、心が踊る。

 ルナローゼは、迷わずにドアを開いた。


「帰ったぞ。ルナ」


 思わず、呼吸が止まった。

 目を引くような赤い髪。白いスーツ。整った顔立ち。

 寸分違わず、ルナローゼがよく知るサジタリウス・ツヴォルフがそこに立っていて。


「中に、入れてくれるか?」


 それを見た瞬間に、ルナローゼはすべてを理解した。

 彼の胸の中に飛び込んで。

 彼の腕に抱き締めてもらって。

 それは多分、きっととても幸せで。




「どちら様ですか?」




 でもそんな幸せは、もう二度と自分にはやってこない。

 だからルナローゼは、それを躊躇いなく言葉で破壊した。

 どこまでも粉々に、躊躇なく、砕き割った。


「……なぜわかった?」


 サジタリウス・ツヴォルフの皮を被った『何か』が、問いかけてきた。

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