死霊術師さんは彼女を殺さない
口枷が、解かれる。口の中に溜まっていた唾を吐き出して、深く息を吐いた。
目隠しが、外れる。圧迫されている状態が当たり前だったせいで、瞼が正しい動作を忘れているようだった。
ひさしぶりの明るさに目を細めると、そこに座っていたのは自分が最も尊敬していた人物だった。
「おはようございます。社長」
ルナローゼ・グランツは、いつものように挨拶をした。
「ええ。おはよう、ローゼ」
リリアミラ・ギルデンスターンも、やはり普段と同じようにそれに応えた。
「数日、拘束された感想はどうです?」
「肩が凝って仕方ありません。揉んでいただけると、助かります」
「あらあら。いつもはわたくしの肩を揉む側だったというのに、随分偉くなりましたわね?」
「はい。もう、社長と秘書の関係ではありませんから」
軽口を叩きながらも、ルナローゼはさっさと本題に踏み込んだ。
「私は死罪ですか? 社長」
悪魔との魂の取引は、重罪。
それが明らかになった時には、例外なく死罪である。
リリアミラは、ゆったりと微笑んで腕を組んだ。
「そうですわね。先ほど、トリンキュロと契約を交わしていた重役に会ってきましたが……そもそも、あなたとサジタリウス・ツヴォルフの間に、契約関係はなかった」
人間と悪魔の関係は、基本的にすべて契約によって担保される。
悪魔と繋がりを持った人間の証拠となるのも、魔力によって作られた結び付きが大半だ。
憎い人間を殺すため。
犯罪の片棒を担がせるため。
純粋に便利な手駒として使い潰すため。
利用し、利用され、喰らわれて、喰う。
人間と悪魔の関係はそんなものがほとんどだが、しかしサジタリウスとルナローゼの関係は、そういったものではなかった。
主従ではない。契約者でもない。
あの不思議な繋がりを、どんな言葉で表現すればいいのか。
ルナローゼには、わからなかった。
ただ、彼がいなくなったあと、自分の中にぽっかりと空いた穴が、埋まらない事実だけはわかった。
「どのような処罰も、受ける覚悟です」
「……そうですか。契約関係になかったとしても、悪魔と関わりを持ち、わたくしを陥れたのは、紛れもない事実。その代償は、払ってもらいます」
リリアミラ・ギルデンスターンは、ルナローゼ・グランツに向けて、告げた。
「あなたはクビです」
それは、紛れもない死刑宣告。
社会的な立場を奪う、通告であった。
「……え、あ、はい」
「首を切ります。解雇です」
「は、はい」
「終わりです」
「えっ」
もう話すことはない。
そう言わんばかりに、リリアミラが立ち上がる。
ルナローゼは、慌てて口を開いた。
「ま、待ってください社長! 本当に、本当にそれだけですか!?」
「ええ。それだけですが、何か?」
「し、しかし……私は、そんな簡単に許されないことを……」
「簡単に許されない? 何を言っているのです。会社から、首を切られる。これはもう、社会的に殺されたのと同じです。健全に生きる人間として、これ以上の死はないでしょう」
あまりにも詭弁であった。
「社長……まさか、私を庇って……」
「あらあらあら、何を言っているのかよくわかりませんわね〜! あなたが何を背負うつもりだったのかは知りませんが……まあ、被害を受けたのはわたくしですし? あなたの裏にいた重役も、すでに捕まっていますし? これ以上、いいように利用されていた馬鹿な小娘に追求できる罪は、もうこれっぽっちもないということです」
「ですが、私は……!」
くどいですわね、と。
言葉を繋げたリリアミラが振り返る。
机に腰掛け、腕を伸ばし、指先を頬に当てて、リリアミラはルナローゼに問いかけた。
「ローゼ」
「……はい」
「サジがいなくなって、つらいですか?」
「……はい」
「愛した人がいなくなって、寂しいですか?」
「……はい」
「サジのあとを追って、死にたいですか?」
「…………」
「ダメです」
リリアミラは、ルナローゼの返答を待たなかった。
「あなたは生きなさい」
浮かんだ涙を、指先が優しく拭う。
決して死ぬことのない死霊術師が。
自分では死ぬことのできない死霊術師が。
誰よりも死にたがりな死霊術師が。
生きろ、と。
ルナローゼの意思を否定して、そう告げた。
たったそれだけの言葉で、ルナローゼ・グランツは理解した。
自分はもう、楽には死ねないのだ。
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