勇者の新たな友

「ククク……オレの『妄言多射レヴリウス』をお前に」

「いやだから、いやだって言ってるだろ。なに言い直してんだ」


 勇者は、あっけからかんと言い放った。

 思わず、唖然とする。頭の回転はそれなりに早い方だと自負していたのに、思考が止まってしまう。

 サジタリウスは、勇者の胸ぐらを掴んだ。


「おまっ……『妄言多射レヴリウス』だぞ!? オレの魔法だぞ!? 欲しくないのか!?」

「うん」

「即答!?」

「あのなぁ、サジ。おれは魔王を倒して、世界を救った勇者だぞ? 今さら、お前みたいな最弱悪魔の魔法なんか貰っても、嬉しくもなんともないんだよ」

「ククク……急に辛辣。泣くぞ」

「繰り返しになるけど、おれは勇者なんでね。自分が口にしたことは、魔法に頼らず自分の力で現実にするよ。あとまぁ、これは本当に個人的な理由なんだけど……」


 ぼりぼり、と。

 少し照れくさそうに、頭の後ろを所在なさげにかきながら、




「友達は殺したくない」




 きっとそれが、本当に嘘偽りのない勇者の本心であることを、サジタリウスは理解した。


「……勇者」

「なんだよ」

「オレは、お前の友人か?」

「一緒にゲームやって、一緒に戦って、一緒に敵を倒して、一緒に遊ぶ。仲間だし、友達だろ。むしろ、これが友達じゃなかったら何なんだっていうくらい友達だ」

「オレは人間じゃないぞ」

「知ってるよ。でも、言葉を交わせる。名前を呼べる」


 あるいは、思い上がりになってしまうかもしれないが。

 サジタリウスにとって、この出会いが特別であったように。


「ありがとう、サジ。名前を呼べる友達ができたのは、本当にひさしぶりだった」


 勇者にとっても、この出会いは特別なものだったのかもしれない。


「……こちらこそ、礼を言う」


 決闘魔導陣が、消えていく。

 二人だけの空間が、霧散して光になっていく。

 サジタリウスは、周囲を見回して二人に声を掛けた。

 勇者以外にも、きちんと言葉を遺しておきたいと思った。そう思えるようになった、と言った方がいいのかもしれない。


「ムム・ルセッタ。楽しい勝負だった」

「うむ。こちらこそ」

「レオ・リーオナイン。親友は大切にしろ」

「ありがとう。でもそれは、キミに言われるまでもないな」


 そして、もう一人。


「リリアミラ・ギルデンスターン」

「はい」

「ククク……えっと、その、アレだ。いろいろすまなかった」

「わたくしにだけ選ぶ言葉が雑では?」


 もっと言うべきことがあるでしょう、と。

 死霊術師は、頬を膨らませた。


「まあ、そうですわね。わたくしに対するアレコレ、会社に対するソレやアレ、トリンキュロへの協力のモロモロ……率直に言って許し難い行為ばかりですが」

「フフフ……はい。なんかもう、本当にすいません」

「ですが、謝ることはあれど、恥じる必要はありませんよ。サジタリウス」


 リリアミラの口元が、蠱惑的な弧を描く。


「ルナローゼ・グランツを守る。その一点のみにおいて、あなたはたしかに、契約を完遂しました」

「ククク……そうか。お前が保証してくれるのなら、間違いない」


 立ち上がろうとした悪魔の、腕の一部が音を立てて地面に落ちる。

 体だったものが、砕けて消えていく。

 それを見たリリアミラの表情が、ほんの少しだけ。何かを迷うように、歪んだ。


「本当に……よろしいのですか? サジタリウス」

「らしくない顔をするな、ギルデンスターン。昔、お前はオレに言ったはずだ。貰った命をどう使うかは、自分自身で選べ、と」


 不器用な使い方だったかもしれない。

 それをくれた親友に、報いることができたかはわからない。

 それでも。


「友が賭けてくれた人生で、オレが望んで勝ち取った、オレたちの死だ」


 自分を気遣う死霊術師に対して、サジタリウスははっきりと答えた。


「これ以上の終わりはない」

「……そうですか」


 迷うように揺れていた白い指先が、そっと下ろされる。

 もう決して、サジタリウスに触れないように、リリアミラは自分の右手を、自らの左手で掴んで止めて、微笑んだ。


「良い男になりましたね。サジタリウス」

「馬鹿を言え。オレは昔から、ずっと良い男だ……」


 言いかけて、サジタリウスは膝を折った。

 もはや立ち上がる力もないその体を駆け寄って支えたのは、目の前にいた勇者でも、死霊術師でもなかった。


「……すまない。ルナ」

「構いませんよ。あなたに面倒を掛けられるのは、いつものことですから。仕方ないので、膝枕でもしてあげましょうか?」

「ククク……最後まで、世話をかけるな」

「ええ。本当ですよ」


 サジタリウスとルナローゼ。

 二人を残して、全員が一歩。そっとを身を退いた。

 横たわるサジタリウスに膝を貸して、ルナローゼは柔らかく頭を撫でた。

 悪くない寝心地だ。子どものような扱いに皮肉を漏らす前に、サジタリウスはそう思った。


「死なないで、とか。置いていかないで、とか。そういう可愛げのあるセリフを吐いてもいいんだぞ? ルナ」

「お断りです。それとも、そういう可愛げのある女が好みになったんですか? サジ」

「いいや? オレの好みは今も昔も変わらず、キツいがちょっと抜けているところがある、良い女だ」


 最初は、親友の孫娘という記号だけの存在だった。

 貰った命に報いるために、側にいようとした。

 いつの間にか。

 いつからだろう? 

 こんなにも、己の全てを賭けても守りたいと思えるようになったのは。


「ルナ」

「なんです。サジ」

「お前は一人でも心配ないと思うが」

「当たり前です。穀潰しのあなたのお世話をしていたのは私ですよ? あなたに心配されることなど、何一つありません」

「そうでもない。寝起きは悪いし、出かける前に再確認しないと何かしら忘れ物をするし、大きな会議の前には」

「やめてください。そういう弱点は大体克服しましたから」

「フフ」


 たくさんの思い出を作った。

 欠けた心を、埋めてもらった。

 守るといいながら、救われていたのは、自分だった。


「ああ、でも……あなたがいなくなると、食器とか余っちゃいますね」

「そうだな」

「ご飯も、いつもの癖で二人分作っちゃいそうです」

「お前は良い女だ。すぐに、甲斐性のある男が迎えに来るさ」

「……それは、あなたよりも良い男ですか?」

「クズでカスな穀潰しの悪魔と比べれば、世の中のほとんどの男は、良い男になるだろう?」

「……まったく、あなたは」


 もっと一緒にいたい。

 もっと見守っていたい。

 そして、もしもその先の望みが叶うなら──


「ルナ」

「大丈夫。私はもう、大丈夫ですよ。サジ」


 ──いいや、もういい。


 頬に触れる、手の温もり。

 少しだけ震える、声の響き。

 今、この瞬間。彼女が自分に向けてくれるすべてが、契約の答えだ。


「だからもう、安心して眠ってください」


 薄れていく意識の中で、親友とのやりとりを、思い出す。


 ──では、アル。マシな死に方とはどんな死に方だ? 

 ──そりゃあ……アレだろうよ。惚れた女に看取られて死ねりゃあ、男は本望だろうよ


 見ているか、と。

 サジタリウスは、親友に向けて勝ち誇りたかった。

 今まで、ずっと勝てなかった。一度も、友に勝つことはできなかった。

 けれど、ようやく掴んだ。

 こんなにも大切で。

 こんなにも愛おしい。


「ククク……」


 この賭けは、自分の勝ちだ。


「ルナローゼ。オレは、お前を」


 悪魔が紡ごうとした言葉は、最後まで続かなかった。

 崩れ落ちたその体の跡を抱き締めて、ルナローゼ・グランツは静かに唇を噛み締めた。

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