賢者の逆襲
「……なぜだ」
敗北を喫したトリンキュロが最初に抱いたのは、純粋な疑問だった。
地面に倒れ伏し、感覚を失った下半身が吹き飛んでいくのを、呆然と眺める。
四天王第一位の身体は、腰の上を境界線にして、真っ二つに裂かれていた。しかし、体が二つに分かれた程度で、トリンキュロ・リムリリィが死ぬことはない。
過不足なく、思考は働く。
故に、考えてしまう。
地面にうつ伏せに這いつくばりながら。指先の爪を立てて、悔しさを滲ませながら。
それでもトリンキュロという悪魔は、単純な好奇心からそれを問いかけずにはいられなかった。
「アリア。きみの心は、完璧にへし折ったはずだ……それなのに、なぜ……」
「名前で呼ばないで。耳が腐る」
低い声で拒絶しながらも、アリアはトリンキュロを見下して疑問に答えた。
「心は、折れてたよ」
ただ、事実のみを告げる。
「あたしは、お前に負けて、魔法を奪われて、無様に殺されて、やっぱり勇者くんがいないと……何もできなくて」
それでも、と。
「勇者くんの、視線を感じた。あたしを、見てくれていた。あたしが立ち上がって、お前にトドメを刺すことを信じていた。その信頼に、応えないのは嘘だ」
人の心は、強いようで脆い。
些細な一言で、悪意に満ちた指摘の一つで、簡単に折れて壊れて、砕け散る。
言葉とは、人の心を射る矢だ。
しかしだからこそ、長年培ってきた信頼と行動は、いとも容易く、悪意に満ちた言葉を超えていく。
一人ぼっちのトリンキュロに、それは理解できない。
「それだけか。それだけで、お前は立ち上がったのか?」
「うん」
アリアが生き返ったのは、リリアミラの魔法のおかげだが、紫の魔法で元に戻すことができるのは、体だけ。
折れた心をもう一度引き戻したのは、間違いなく勇者とアリアの関係、そのものだった。
「酔狂だね。あいつも大概だけど、きみもやっぱりイカれてるよ。アリア」
「でなければ、勇者の隣に立つ資格はないよ」
姫騎士と言葉を交わしながら、悪魔は地面を這う。
トリンキュロは、足掻くことをやめない。『
体さえ、この体さえ復元できれば。
まだ、打てる手はいくらでもある。
「待たせましたね。トリンキュロ」
そんなトリンキュロの思考を、嘲笑う存在があった。
「グランプレ……」
「ええ。私です」
いつの間に、そこまで増えていたのだろうか。
這いつくばるトリンキュロを、取り囲むように。
地面を走る蟻の一匹を、決して逃さないように。
複数人に増えたシャナ・グランプレが、トリンキュロを包囲していた。
「待たせたっていうのは、どういう意味かな?」
「そのままの意味ですよ。あなたという悪魔に、とどめを刺す用意です」
杖の先端が、無慈悲に向けられる。
「おかしいとは思いませんでしたか?」
「いくら、広範囲の攻撃魔術が使えない地下とはいえ」
「いくら、あなたが最初から、私たち全員が全力を出せない環境に誘い込んだとはいえ」
「あんなにも優秀で」
「あんなにも有能で」
「あんなにも用意周到な」
「あの勇者パーティーの賢者が!」
「あの世界最高の賢者が!」
「あまりにも存在感が薄すぎると!」
「そう疑問には思いませんでしたか?」
「もしも」
「ええ、もしも」
「もしも、疑問に思わなかったのなら」
何人も、何人も、何人も。
まるで精巧に作られた人形のように、増えていくシャナ・グランプレが、トリンキュロの周囲を取り囲む。声が幾重にも折り重なって、嘲笑が響き渡る。
「てめーは私を舐めすぎなんですよ。クソロリ四天王」
直後、トリンキュロの周囲に変化があった。
まるで、外界からの影響をすべて断つように。
円形ではなく、四角形に形成された魔術結界が、トリンキュロを外界から遮断する。
「……はは。得意げな顔で何を披露してくるかと思えば、こんな結界でボクを……」
言いながら、その半透明の壁に触れようとして、トリンキュロは気付く。
硬い。そして、触れた瞬間に、指先が弾かれる。トリンキュロの頬にそれが跳ねて、流れ落ちる。
指先を濡らしているのは、数滴の液体。
トリンキュロの周囲を覆っているのは、硬い水で形成された壁、としか表現できない不可思議な結界だった。
「なんだ、これは……」
「世界を救った後、私の研究のメインテーマは、結界魔術になりました」
四天王第一位の疑問に対して、世界最高の賢者の、答え合わせがはじまる。
「転送魔導陣のような高等魔導術式は、どうしてもその用途に特化した術式を仕込まなければなりません」
「たとえば、転送魔導陣の敷設には、天才魔導師である複数人の私が必要であり……さらに、万人がスムーズに扱えるようにするには、それなりの時間と魔力と調整を要します」
「さらにたとえば! そこの博打顔だけ悪魔が実際に行っているように、魔導陣の術式そのものを肉体に書き込み、特化させることで、ある程度、運用を簡易にすることは可能ですが……」
「その場合は他の魔術の使用を完全に捨てることになるので、これもまた現実的な手法であるとは言い難いでしょう」
「しかし、決闘魔導陣のように一定範囲に展開し、相手を閉じ込める結界には多大な戦術的アドバンテージがあることもまた事実」
「なので、賢くてかわいい私は考えました」
「魔法使いを完璧に閉じこめる結界魔導陣を作れたら……強そうだなぁ、と」
声が重なる。聴き取りきれない。
そんなバカな、と。
トリンキュロは、体の震えを必死に抑えようとした。
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