妄想と現実

 イト・ユリシーズの息が、止まる。

 そして、糸の切れた人形のように。心臓を貫かれた勇者が、息絶える。


「あ」


 死んだ。

 目の前で、好きな人が、死んだ。

 その端的な事実に、悪い意味で回っていたイトの思考が、ぴたりと静止する。


「勇者く……」

「失礼。蘇生いたしますわ」


 今にも泣き出してしまいそうな、イトの横に、空気を読まない死霊術師が割って入った。

 いつの間にか戦線に復帰していたのだろうか。背後から現れたリリアミラが、手慣れた様子でその背に手を当てて、落ちた命に再び鼓動を吹き込んでいく。

 体の震えが強まることを自覚しながら、それでもイトは口を開いた。


「リリアミラさん」

「なんです?」

「勇者くんは、いつもこんな戦い方を?」

「はい」


 リリアミラも、簡潔に答えた。


「これが、世界を救った勇者さまですから」


 無造作に言い放たれた一言に、イトは唇を噛み締めた。

 痛みも、恐怖も、あるはずだ。

 なのに、彼は一切の躊躇いなく

 この境地に至るまでに、彼は一体どれほどの苦しみを経験したのだろう。

 抱き留めた体に、少しずつ、体温が戻ってくる。

 そして、意識を引き戻した勇者は、開口一番。イトに向けて言った。


「大丈夫ですよ。先輩は、おれが守るから」


 その一言に。

 そのたった一言だけで、イトの手の小さな震えが、ぴたりと止まる。

 同時に、平静に引き戻された思考が、勇者の行動の意味を理解する。

 勇者は、自分を助けるだけなら『哀矜懲双へメロザルド』の転移で逃がすこともできた。

 しかし、彼はそれを選択しなかった。自分の体を張って、自らの命を犠牲にしてでも、仲間を守ることを選んだ。

 何故か? 

 示すためだ。

 集団を率いる長として、パーティーのリーダーとして、仲間が殺されるならその前に自分が盾になって死ぬ、と。その在り方を、示すためだ。

 死んでも生き返るからいくらでも命を粗末にしろ、と。リリアミラの魔法があれば、そう言うのはたしかに簡単だろう。けれど、剣で刺されれば人は痛みを感じるし、生き返るとわかっていても、死ぬことは恐ろしい。

 だから、勇者は自らが率先して死ぬ。仲間が死ぬなら、それを庇って死ぬ。誰かが死んだなら、それよりも多く死ぬ。

 その背中で、仲間を勇気づける。


「……ずるいなぁ。そういうこと言うの。ほんと、どうかと思うよ」

「すいません」

「謝れって言ってるわけじゃないんだけど」

「ごめんなさい。でも、それなら、ずるいついでに、後輩のお願いを一つ。聞いてくれますか? 先輩」

「なに?」


 もう、体の震えは止まっている。

 手と手を合わせて、左右で色の違うイトの瞳を見て、勇者は小さく呟いた。



「先輩のかっこいいところ、もっと近くで見たいな」



 先輩のかっこいいところ、もっと近くで見たいな

 先輩のかっこいいところ、もっと近くで見たいな

 先輩のかっこいいところ、もっと近くで見たいな


 勇者がそう呟いた、瞬間。

 イトの脳を、魔王の雷撃魔術に等しい衝撃が駆け抜けた。

 そして、次の刹那には。

 無造作に抜き放たれた斬撃が、しかしこれまでで最も鋭く、トリンキュロ・リムリリィの右腕を切って捨てていた。


「なっ!?」

「……ふぅううぅ」


 驚愕するトリンキュロを尻目に。

 イトは勇者から受け取った言葉を反芻するように息を吸い込み、咀嚼して吐き、また吸い込んでその味わいに浸る。握る剣に、もはや死の震えは微塵もない。




「やっぱ妄想イメージよりも現実ナマの方が効くわ」




 イト・ユリシーズ、完全復活。


「わかります、先輩。やはり、親友はイメージよりもナマに限りますよね」

「ね。やっぱりレオくんもわかる?」

「わからないでくれ」


 狂人二人が、共鳴を開始する。

 甘い一言で死のトラウマを克服した女と、そのケツを叩いた勇者おとこを交互に見て、トリンキュロは吐き捨てた。


「この腹黒女誑しが」

「モテない嫉妬か? 見苦しいぞ」


 やはり、世界を救った勇者は。

 どこまでも、トリンキュロ・リムリリィの天敵。

 仕切り直しが完了したところで、リリアミラはつんつんと勇者の背中をつついた。


「ところで勇者さま」

「なに? 死霊術師さん」

「先ほど、おれの目の前で仲間は殺させねぇ、みたいなことを仰っていたではありませんか?」

「うん。言ったね」

「わたくしは死にまくっているのですが、それについてはどう思われます?」

「もちろん死霊術師さんもおれの大切な武器なかまだよ」

「答えになってますそれ?」

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