勇者の異常

 イト・ユリシーズは、震えていた。

 世界を救った勇者と、共に戦える感動。

 世界を救った勇者の、手助けとなれる高揚。

 レオ・リーオナインが口にしたような、王国の騎士団長としての感動も、もちろんあったが、


(まずい。うん、これはちょっと、まずいかもしれないな……真面目に戦っている後輩の横顔が良すぎる)


 不純であった。

 隣に立つ勇者の顔面に、イトは内心で恐怖を懐いていた。

 大真面目な顔で愛刀を構えながら、イトはちらりと片目で勇者の横顔を見る。

 戦いの中で無造作に乱れた、くすんだ赤い髪。相手を射殺すような眼光。引き結んだ口元。なによりも、自分を助けに来てくれた彼との、満を持しての共闘というこのシチュエーション。

 それら諸々の要素をまとめて、イト・ユリシーズの聡明極まる頭脳は、一つの結論を導き出した。


 良すぎる。


(いや、べつにワタシは勇者くんが強いから惚れたわけじゃないし、そもそも勇者くんが世界を救う前から勇者くんのことが好きだったし、だから勇者くんが勇者だから好きってわけでは決してないだけど、でもいつ惚れたかって言われたらやっぱり助けに来てくれた時の背中に惚れたわけで、っていうかズルいなあ普段あんなにゆるい感じなのにこういう時は男の子からちゃんと男の顔になるんだもんなあ、もちろんワタシには甘えてほしいし全然甘えさせてあげるけどでもこの顔を間近で見られるっていうのは役得だよね結婚式いつにしよ)

「先輩、来ます!」

「よしよし。先輩におまかせってやつだ」


 さすがに、思考を止める。

 かっこいい後輩には、さらにかっこいい先輩のいいとこを見せなければなるまい。

 イトは剣を振るった。抜き放った刃が、壁面に斬撃の跡を刻む。


(んん?)


 すべてを切り裂く圧倒的な、破壊の斬撃。

 しかし、それを撃ち放った張本人であるはずのイトは、言葉にできないような微細な違和感を抱いた。


(おかしい。なんか、さっきよりも、切れ味が)

「さっきまでみたいに、剣を振れないでしょ?」


 間近で響いたトリンキュロの声に向けて、イトは反射で剣を振り下ろした。

 しかし、当たらない。

 嘲笑うように飛び跳ねながら、トリンキュロはイトにだけ、狙い澄まして、言葉を紡ぐ。


「勇者がグランプレから蘇生させたのは、単純な話。あの賢者が、死に慣れているからだ。普通の人間は、死んだらそこで終わりだし、一度経験した死の体験は、そう簡単に払拭できるものじゃあない」


 そこまで言われて、イトはようやく理解する。

 剣先がブレる、違和感の正体。自分自身の小さな小さな、手の震えに。

 トリンキュロ・リムリリィは、心を喰らう悪魔だ。

 人の心の変化には、目敏く気が付く。

 そして、それを指摘し、あげつらい、馬鹿にして、塩を塗り込むことに、何の躊躇いもない。


「恥じることはないよ。正常なのはきみで、イカれてるのは勇者やギルデンスターンの方だ」


 先ほどよりも明らかに余裕を保って、イトが繰り出す斬撃を避けながら、トリンキュロは言葉を止めない。

 死は、命の終わり。死は、恐怖の根源。

 当たり前のようにそれを繰り返し、戦術に組み込んでいる勇者やリリアミラは、既に人間が生まれた時から持っている恐怖のブレーキが壊れている。

 当然、今まで一度も死んだことのなかったイトは、死に慣れておらず。

 必然、一度死んでしまったイトの身体はその経験を理解してしまっていた。

 体から熱が抜け落ちる感覚。遠のく意識。動きを止める心臓。


 ──また死んでしまったら、どうしよう? 


 トリンキュロに指摘されて、イトは自覚する。

 これは、勇者と共に戦える、喜びの武者震いではない。


 もっと原始的で、より単純な、死への恐怖だ。


(やばい。まずい? 大丈夫だ落ち着け。こわくない、こわくない。足手まといになるな。三人で連携すれば、絶対に勝てる。落ち着け、落ち着け。体の感覚を、取り戻せ)


 思考が、ぐるぐると無駄に回る。

 精神と体が、噛み合わない。

 勇者が隣にいるからといって、それは誤魔化しきれるものではない。

 呼吸が乱れる。手に汗が滲む。緊張が、筋肉を強張らせる。

 人間が当たり前に抱く、根源的な恐怖が、イト・ユリシーズの心にべっとりとこびりつき、動きの質を低下させる。

 恐怖を自覚したイトの様子に、トリンキュロは内心でほくそ笑んだ。

 リリアミラ・ギルデンスターンの蘇生の魔法に、限界はない。だが、生き返る人の心には、必ず限界がある。殺し続ければ、いくら体が蘇っても、先に心が壊れるだろう。


「さあ! あと何回死ねば、きみの心は折れるかなぁ!?」


 盛大に煽る言葉を浴びせかけながら、トリンキュロの手刀がイトに迫る。


「おい」


 その間に割り込む形だった。

 覆い被さるように、転移した勇者がイトの盾になる。


「おれの目の前で、そんな簡単に仲間を殺せると思ってるのか?」


 結果、トリンキュロの手刀は、勇者の胸を貫くだけで留まった。

 数滴。跳ね跳んだ勇者の血が、呆然と立ち尽くすイトの頬に汚す。振り返りもせず、勇者は裏拳の一発で、トリンキュロを殴り返した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る