勇者の本気

「……すごい」


 赤髪の少女は、理解する。

 ジェミニと戦った時も、勇者は間違いなく本気だった。

 手を抜いていたわけではないだろう。気を抜いていたわけでもないだろう。けれど、あの時の勇者は、を最優先に、戦っていた。

 今は、違う。

 今、この瞬間。勇者は、目の前の敵をただ殺すために、拳を握り締めている。


「ぐっ……はぁ、はぁ……」


 その殺意を一身に浴びる最上級悪魔は、呻くことしかできない。


(だ、打撃の、勘所が良すぎる……動く前に、魔法攻撃の起き上がりを、潰される!)


 理解は、していたはずなのに。

 その厄介さに、トリンキュロは改めて戦慄する。

 自らの手で、殺すことに……近接戦に拘れば、このまま押し切られかねない。


「……なら、遠距離で殺すだけだ」


 狡賢い悪魔は、思考を切り替える。

 勇者への接触は諦め、『奸錬邪智イビルマル』によって柔らかくした地面を踏み込み、トリンキュロは後退する。

 間合いさえ稼げば、こちらのもの。

 指先を弾丸のように構え、トリンキュロは歯を剥き出しにして叫ぶ。


「食い破る猪牙に、蜂起する回転を……! クロスイミテーション! 『猪突蜂天ファング・ビーネ』」


 それは、姫騎士を屠った手指弾丸。トリンキュロ・リムリリィの真骨頂である、合成魔法。

 直撃の瞬間、内部から捻れて破壊する、絶死の連射である。

 右手から五発。左手から五発。合計十発の弾丸が、勇者に襲い掛かる。

 勇者は、その攻撃を知らない。アリアより先に死んでいたシャナも、その詳細がわからない。わからないが故に、警告することもできない。

 だからこそ、


「『哀矜懲双へメロザルド』」


 勇者はその未知の攻撃を、完璧に防御する。

 死霊術師を、手元に引き寄せ、盾にすることによって。


「ぎぃやぁぁぁ!!?」


 十発の手指弾丸は、バニーガールの身体に一発残らず着弾。それらすべてに仕込まれた『回転』の魔法が作用し、リリアミラの体は着弾した十箇所で捻り切れ、血飛沫を巻き上げる。


「……うわ」


 肉壁にされたリリアミラの有り様は、凄惨という言葉では言い表せないほどで、原因となる弾丸を撃ち込んだトリンキュロですら、顔を歪めるほどだった。


「なるほど」


 だから、反応が遅れた。



 分析が終わる。

 ぞっとするほどの、低い声が響く。

 仲間を盾にして、表情の一つすら変えず。

 勇者は、血の雨の中から千切れ飛んだ肉片の一つを掴み取って、トリンキュロに向けて投擲する。


「……っ!?」

「『哀矜懲双へメロザルド』」


 投擲されたが、刹那の内に入れ替わる。

 トリンキュロがやっとの思いで稼いだ間合いが、一瞬で詰まる。

 下から、抉り通すように。躊躇のない一撃がトリンキュロの頭部を捉え、遂に顎の骨を砕き割った。

 使いこなしている。

 本来、最上級悪魔が運用するはずの魔法を、黒輝の勇者は存分に使い潰している。

 実際に、対峙してみなければわからない。実際に、対峙してみれば嫌が応にでも理解させられる。

 近接格闘を至上とする勇者と、転移によって間合いを自由自在に詰める『哀矜懲双へメロザルド』の相性は、これ以上ないほどに良い。


(ジェミニめ……なんて、なんて厄介な置き土産を遺していったんだ……!)


 だが、しかし。

 それでも、トリンキュロは勇者に負けるつもりはない。負ける気もしない。


「舐めるなよ……真っ黒野郎」


 勇者は、目を見張る。

 砕いたはずの顎が再生し、トリンキュロは元通りに言葉を紡いでいた。


「『猪突蜂天ファング・ビーネ』ぇぇ!」


 右腕の五発。勇者は身を大きく退いて避けた。

 左腕の五発。勇者は体を回転させて、ぎりぎりで躱した。


「甘いよ。ばーか」


 そして、

 トリンキュロが足から放った不意打ちの射撃を、勇者は腕を犠牲に受け止めざるを得なかった。

 右腕が粉々に捻じれ、使い物にならなくなる。

 その隙を見逃さず、トリンキュロは躍りかかる。


「片腕なら、殺せるなァ!」


 腕一本の喪失。常人なら絶叫する痛み。

 しかし、自身の肉体が欠けたところで、勇者はその表情を小揺るぎもさせなかった。


「はい」

「撃て」


 勇者の背後に回っていたシャナは、躊躇わなかった。

 魔導陣から撃ち放たれた岩の弾丸は、あっさりと勇者の胸を貫き、殺す。そして、ついでとばかりに、貫通したそれはトリンキュロの顔面を抉り抜いていった。


「ごっ……!?」


 勇者は死んだ。

 口元から血を流しながら、勇者は笑う。

 自分の体ごと、敵を撃たせながら勇者は笑う。

 既にその傍らには『哀矜懲双へメロザルド』により引き寄せられた死霊術師が寄り添っている。勇者の体に、触れている。


「ひとーつ」


 貫かれた背中が、再生する。


「ふたーつ」


 抉られた肉が、再び織り込まれる。


「みーっつ」


 完璧に元通りになった心臓が、血液を送り出す。


「よーっつ」


 そして、トリンキュロ・リムリリィにとって、なによりも最悪なことに。

 捻れたはずの右腕までもが、塗り重ねられたによって、完璧に再生していた。


「ふざけっ……!」


 ふざけるな、と。

 そう叫ぶことすら許されず、穿ち抜く拳が、トリンキュロの鼻を叩き折って吹き飛ばす。

 トリンキュロは、まるで人形のように錐揉み、地面を無様に転がった。


「あったまってきたな」


 事も無げに、勇者は言った。


「……うん。そうだね」


 起き上がって、トリンキュロも応える。

 挨拶代りの、前哨戦が終わる。


「ふふ……くくっ……あはは」


 トリンキュロ・リムリリィは笑う。

 それは、どこまでも懐かしい感覚だった。

 自分の命に指先が掛かる、暗い危機感だけがもたらす熱があった。

 魔法を殺す拳。

 魔法を見抜く洞察の眼。

 魔法を躊躇いなく使い潰す心。

 人の心を喰らう頂点捕食者である最上級悪魔は、思い出す。

 すべてを塗り潰す黒輝の勇者は、彩りを尊ぶ自分にとって、たった一人の天敵。

 そう。この世界で、たった一人。


 この男は、魔王を殺した唯一の人間だ。


 トリンキュロは、思わず呟いた。


「バケモノめ」


 勇者は、口元を歪めて吐き捨てた。


「よく言われる」

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