魔を屠る雷撃
少女が口にするのは、シャナ・グランプレ直伝の口述起動式。
唸る魔力に、鮮やかな赤髪が靡く。
かつて、世界を滅ぼそうとした魔王が最強を誇ったのは、彼女の魔法が最も強かったから……だけではない。
魔王が最強であったのは、彼女の魔法が最強だっただけではなく、彼女の魔術も最強であったからに他ならない。
攻撃に使用される魔術の属性は、主に四つ。
イメージを具現化しやすい炎を操る、拡張性の高い攻撃術式である
攻撃性能は凡庸なものの、質量による面制圧や搦手に非常に優れた
極めれば人体に対して最も高い殺傷能力を発揮し、速度にも秀でる
攻撃、防御、補助など状況を選ばずに、場面に応じた活躍が可能な
これらの魔術は、長い時間を重ね、術式を最適な形で行使するための魔導陣を組み上げることで、効率化されてきた。いわば、多くの魔導師達の探求の成果。次代へ、また次の時代へと、受け継がれてきた叡智と努力による、研鑽の結晶である。
無論、才能による適性はある。
しかし、魔法が一人に一つだけの異能であるならば、魔術は共有が可能な知識。原理を理解し、学習すれば誰もが扱える技術だった。
魔王と呼ばれた少女が、自分にしか扱えない魔導陣を組み上げ、運用するまでは。
「……」
赤い瞳が、細く悪魔を見据える。
魔力が、引き絞られる。
必要なのは、イメージだ。
根本的に、自分自身と接触したものにしか影響を及ぼせない魔法に対して、魔術は己の中の魔力を体外へと放出する技術である。
魔法は心。魔術は理。
だから、感情の昂ぶりは関係ない。
それでも、少女は考えてしまう。
己の内に燻る気持ちを、意識し始めたのは何時からだろう?
それに蓋をして、気づかないように、コントロールするようになったのは、どこからだろう?
──ねえ、勇者くん。ワタシと結婚しようよ
勇者がイトから唇を奪われた時。嫉妬がなかったと言えば、嘘になる。
表面上は拗ねながらも、けれど心の中には安堵があった。
あんなに強くて、きれいで。澄んだ青空のようにかっこいい女の人から、求婚を迫られても。
まだこの人は、自分が側にいることを許してくれる。一緒に暮らすことを、一緒に過ごすことを許してくれる。
そんな浅ましい、優越感と安心があった。
けれど、王城で聞いた一つの事実を受けて、自分の中で認識が切り替わった。
──お前とまったく同姓同名の少女の名前が、見つかった。
ジェミニはこう言っていた。
──借り物の器に、不完全な中身。何もかも足りないけど、何もかも足りないなら、これから満たしていけばいい。
女王の少女は、簡潔に告げた。
──もしかしたら、お前の身体は本来……別の人間のものだったのかもしれない。
今はもう、魔王ではない少女は思う。
わたしは、魔王じゃない。
魔王じゃない、とあの人は言ってくれたけど。
でも、わたしが魔王とは無関係の女の子だったら、きっと彼と出会うことすらできなかった。
自分で気づいていますか、勇者さん?
勇者さんって、魔王のお話をする時、ちょっとだけ遠くを見るんですよ?
いっそ、直接彼にそう聞いてしまえたら、どんなに楽だろう。
今はもう、魔王ではなくなった少女は考える。
──世界を一緒に見に行くって、約束しました。世界を壊す魔王になるなんて、死んでもごめんです。
それでも。
もしも、わたしの中に魔王の残滓のようなものがあったとして。
それを、正しく。
彼のためだけに、使えるとしたら。
世界を壊してしまえるような、力を。
彼の敵を倒すためだけに、奮うとしたら。
膨大な魔力が、迸る。
形を伴って溢れ出すそれが、目に見える光となって、空間を満たす。
「そんな、魔王様の猿真似で……」
「トリンキュロ」
呼ばれた名に、トリンキュロ・リムリリィは言葉を止めた。
透明な水の中に、指を差し入れるような。
厳しく、苛烈で、それでいてどこか温い。
耳の中を、その響きだけで満たしたくなる、甘い声音。
それを、トリンキュロ・リムリリィは知っている。
燃えるような赤い髪の合間から、焼けつくような鋭い視線が標的を射抜く。
かつて魔王であった少女は、薄く薄く、蔑むような瞳を、人ではない悪魔に向けて、
「少し、
明確に、
「あ……」
主の笑みを、垣間見た。
そう思えてしまった時点で、悪魔がその一撃を避けられないことは確定した。
一筋の光が、駆け抜ける。
フリルに彩られた小柄な体が、かつて世界を救ったパーティーを最も苦しめた四天王第一位の、その肉体が。
一拍の間も置かずに、風船の如く爆ぜ消え、呑まれる。
防御不能。
絶対必中。
撃ち放った後には、ただ対象が破壊されたという結果のみが残る。
世界で唯一、一人の少女のみが行使することを許された、魔術の特異点。
それは、天の外より降りかかる、光の一撃。
それは、大気を撃ち裂く、神の裁きの再現。
人と魔を問わず。生きるものすべての恐怖と畏敬を集めたそれは『雷撃魔術』と呼ばれた。
「……うん。できた」
かつて世界を脅かした、魔王の術理が、蘇る。
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