魔王の魔術
トリンキュロ・リムリリィは、攻防の合間にふっと息を吐いた。
「まいったなぁ……何かの切っ掛けで魔法が強くなることは今までもあったけど……こういうパワーアップはちょっとはじめてだ」
「うむうむ。理解したかな? これが愛の力だよ」
「おまえ今一人だろ隣見ろよ」
こわい。言葉が通じているはずなのに通じていない。
トリンキュロは迫りくる斬撃を避けながらドン引きしていた。心も体も、全力で後退している。
かつての魔王軍四天王第一位を会話だけで圧倒するプレッシャーが、今のイト・ユリシーズにはあった。勝手に脳内の想い人とケーキを切る妄想をしながら繰り出される斬撃は、全てが正しく必殺だ。
それは、数多の魔法で己の死を塗り替える、トリンキュロにとっても、例外ではない。
「まったくもって厄介だ……厄介だけど、いいねえ」
唐突に脈絡のない進化を遂げた魔法を前に、悪魔は笑う。
最初から答えのわかっている問題に、魅力はない。難解で理解できないものにこそ、人はそれを解き明かす価値を感じる。
この世で最も理解し難いのは、いつだって人間の心だ。
「きみをもっとたくさん、分かりたくなってきたよ」
故にこそ、トリンキュロは大いに笑う。
己の死を恐れていては、悪魔は名乗れない。
人の強さを嘲笑し、心の輝きを褒め称え、その色合いを喰らいつくすのが、トリンキュロ・リムリリィという悪魔である。
「その深くてキレイな蒼色。とっても欲しいな!」
「あげないよ。ワタシは勇者くんのものだから」
断ち切るような宣言に、苦笑を一つ。フリルに彩られた小さな大悪魔は、空中を疾駆する。
トリンキュロが足場として選び取ったのは、シャンデリア。きらびやかなそれを踏み砕きながら、イトに狙いを定めさせない空中機動を以て、防御ではなく回避に専念する。
とはいえ、避けてばかりでは勝てない。
(基本的にどんな攻撃でも拡散させて防ぐことができるのがのウリなのに、魔法の上から斬られた。まともに受けたらそれだけで詰みだなぁ)
トリンキュロは思考する。
(生半可な魔法を重ねたところで、まとめてぶった斬られて終わりだ。彼女には、一対一でボクと渡り合うだけの攻撃性能がある。王国の騎士団長クラスで脅威に成り得るのはグレアム・スターフォードだけだと思っていたけど、考えを改めなきゃいけないな)
思考を重ねて、考えを伸ばしていく。
(一対一でも、後手後手に回ってこのザマだ。しかも、そこそこ時間をかけて遊んじゃったからそろそろこわいおねえさんが戻ってくる)
そして、トリンキュロの思考が正解であることを証明するように。
獲物に食らいつく、蛇の如く。揺れる爆炎が鼻先を掠め、シャンデリアのガラスを一瞬で個体から液体に変化させた。
「こわ〜ぁ。でも、やーっぱ、そうなるよねえ」
右手の『
「おかえり。アリア。お腹の調子はどう?」
「問題ありません。お待たせしました」
「よかたよかた」
「でも結婚式はダメです」
「大丈夫大丈夫。招待状は送るから」
「何も大丈夫じゃないですよ!?」
イト・ユリシーズの隣に、傷を癒やしたアリア・リナージュ・アイアラスが並び立つ。
細身の剣をゆったりと構える、ダークスーツ姿の騎士団長。二振りの大剣をがっしりと携える、重装の姫騎士。
武器も装備も、どこまでも対照的な出で立ちの二人の騎士が、並び立ってトリンキュロに剣を向ける。
「いくよ、アリア。二人でダブルケーキ入刀だ」
「ダブルケーキ入刀ってなんですか? バカなんですか?」
「ああ、ゴメンゴメン。アリアの魔法的には、ロウソク係が適任かな?」
「……シャナ! シャナーッ! 助けて!」
「いやですよ私もその人と意思疎通するの」
憎まれ口を叩きながらも、下準備を終えたらしい複数人のシャナ・グランプレも、トリンキュロを取り囲む。
「お? 雑務は終わったのかな? グランプレ」
「ええ。あなたをぶっ倒す目処は立ちましたので……可及的速やかに、人の心を貪る害虫は駆除しようかと」
「強がりはやめておきなよ。勇者がいないからってリーダーのまねっこをしてもボロが出るだけだよ?」
「では、試してみましょう」
先ほどよりも圧倒的に不利な状況に陥っても、トリンキュロの余裕は変わらない。
(いくら頭数が増えたところで『
圧倒的に密度が増した攻撃を避けながら、四天王第一位は内心で笑う。
そう。トリンキュロが警戒するべきは『
加えて言うなら、アリアとシャナの連携密度は熟練のそれであっても、イトとアリア、イトとシャナ……それぞれの連携はこの場限りのもの。そこまでの脅威には成り得ない。リリアミラやムム、なにより勇者を欠いた急造パーティーの連携を恐れることはない。
さらに、戦う場所として地下を選んだことで、アリアは文字通りに大火力の炎による攻撃を封じられ、シャナは持ち味である増殖させた魔導陣の面制圧が使えない。
そして、最後に。人間の心のみならず、その動作の観察にまで長けたトリンキュロは、イトの遠隔即死斬撃がタメに近い動作を必要とすることを、既に見抜いている。
(狙うのは、遠隔斬撃で剣を振り抜いた瞬間! イカレ妄想結婚願望女から仕留める!)
「イト先輩!」
アリアの炎の斬撃が霧散し、氷の壁が退路を断つ。
トリンキュロには関係ない。
「合わせてください」
シャナの魔術攻撃は火力が絞られている。
トリンキュロには通用しない。
「任されたよ、お二人さん」
そして、現状唯一の有効打である『
紙一重で回避してみせたトリンキュロは、深い笑みと共に華奢な腕を振り上げる。
(獲ったァ!)
「お見事」
回避と見極め。称賛の一言。
それらを贈ったイトは、さながら二刀流の如く、愛刀を持つ手とは逆の腕を、振り抜いた。
「招待状だよ」
散らばるように、ばら撒かれる紙片。
それらはもちろん、結婚式の招待状などではなく……予め、イトの用いる魔術が仕込まれた『
トリンキュロは知らない。その規格外の剣技故に、予想すらしていない。
イト・ユリシーズが純粋な騎士ではなく、魔術の才能にも優れた『魔導剣士』に近い存在であることを。
「しまっ……!」
起動、明滅。
所詮は、非殺傷の閃光魔術。目眩まし程度の効果しか見込めない、初歩的な魔術。しかしだからこそ、その初歩が最上級悪魔の虚を突いて穿つ。
振り抜いた刀身を引き戻し、再度の一閃。
「……ちぃっ!?」
それすらも、四天王の第一位は回避してみせた。
動物的な直感。あるいは、神業めいた反射の為せる技。
引き込んでなお、仕留め損ねた事実に、今度はイトが目を見張る番だった。
イト・ユリシーズは、強い。この世の全てを斬ることを剣の強さと仮定するのであれば、彼女の剣は間違いなく、最強の頂きに手をかけている。
だからこそ、イトの攻撃のみを警戒すればいい……そう考えるトリンキュロ・リムリリィは、全力の攻防の中で、気付けなかった。
「今だよ。アカちゃん」
静かに魔力を充填する、赤髪の少女の姿があることに。
瞬間、トリンキュロの胸に浮かんだのは、疑問だった。回復しつつある視力で、背後を見る。
(あのバカみたいな斬撃を囮にして、ボクを誘導した? そこまでして、当てたい攻撃が……)
そこに、存在する。
「その、魔導陣は……」
目を見張るトリンキュロ。
驚きを隠せない最上級悪魔に対して、赤髪の少女は、ただ両腕を構えて向けた。
その手の中には、賢者の魔法によって複製された、借り物の杖がある。
「
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