あるいは最強のジョーカー

 イト・ユリシーズの魔法の進化によって、戦力の天秤は再び引き戻された。


「まいったなぁ」


 蒼色の死が、迫り来る。

 回避をミスすれば、待ち受けるのは一刀両断の即死。

 一瞬の油断も許されない攻防を演じながら、大悪魔トリンキュロ・リムリリィの心中は、困惑の二文字で満たされていた。


「ふふ……ダメだ。いくら考えてもわからん。


 追い詰めたと思っていた敵が、ケーキ入刀の想像だけで自身の魔法を進化させた。

 冷静に、実際に起こったことを客観的にまとめてみても、理解不能な出来事である。

 人の心を理解することが心情のトリンキュロですら、それはまったく理解が追いつかないレベルの……恋する乙女の思い込みであった。


「あのさぁ。お前と勇者って実際に婚約とかはしてるの? してないだろ。身勝手な妄想は大概にしてくれないかな?」

「なに? 引き出物の話? 悪いけど、キミは結婚式には呼べないよ?」

「……会話をしろよ」


 言葉と魔法の応酬が続く。

 トリンキュロの注意は、今、この瞬間。魔法を進化させたイト・ユリシーズに向けられている。

 そこが、付け入る隙になる。勇者が不在である以上、全体の戦術を組み立てる立場にある賢者……シャナ・グランプレはそう考えていた。


「いけますか? アリアさん」

「うん。大丈夫。シャナの回復、ちゃんと効いてるよ」


 片膝をついた状態で、アリアが頷く。

 トリンキュロの一撃を受けた姫騎士は手負いだったが、戦闘を継続できないほどのダメージではなかった。シャナが魔術で回復を施し、バックアップすればまだ戦えるだろう。

 とはいえ、それは体に麻酔を打って、無理矢理動かすようなものだ。


「無理はしないでください。今は死霊術師さんもいないんですから。死んだら終わりですよ」

「平気だよ。頑丈なのがあたしの取り柄だし、トリンキュロにやられた分はきっちり返したいし。それに……」


 そこで一拍。間を置いたアリアの表情に、薄い影が差す。


「勝手に勇者くんと結婚するとかほざいてるあの馬鹿な先輩の暴走も、早く止めないと」


 あ、これわりと大丈夫そうだな、とシャナは確信した。

 めらめらと黒い嫉妬の炎を燃やしている姫騎士に安堵と恐怖を半々で懐きながら、シャナは背後を振り返った。


「もう少しで、アリアさんの回復が終わります。準備をしてください」


 トリンキュロ・リムリリィは強敵だ。

 パーティーの中核である勇者、蘇生役の死霊術師であるリリアミラ、攻防共に隙のない武闘家であるムム。三人のメインメンバーを欠いている現状、どうしてもパーティー全体の連携も、決定力も下がっているのは認めざるを得ない。

 必要なのは、盤面をひっくり返す切札。

 だからこそ、託す。

 愛用の杖を自身の魔法によって増やし、ほとんど人に預けたことがないそれを手渡して、シャナは言う。


「ヤツを倒すための切り札は、あなたの魔術です。赤髪さん」

「はい」


 しゅるり、と。

 二つ結びに束ねていた髪を解き、スーツの上着を脱ぎ捨てて、元魔王である赤髪の少女は頷いた。

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