あるいは、世界を少しだけ変えた出会い
数年後。
黒輝の勇者が魔王を倒し、世界を救ったという話を聞いても、アルカウス・グランツの仕事に変化はなかった。
世界とは、案外そんなものだ。
リリアミラ・ギルデンスターンの名前は、多くの人々を救った功績により、元魔王軍の四天王ではなく、世界を救った紫天の死霊術師として認知されることが多くなった。とても嬉しいことだと、アルカウスは思う。
──もしもわたくしが世界を救って帰ってきたら。その時は、わたくしに運び屋のお仕事を教えて下さいませんか?
べつに、最初から期待していたわけではない。たった一回。一緒に仕事をしただけの、ただそれだけの関係だ。あんな口約束を、本気にする方がおかしい。
世界を救う。そんな大仕事を成し遂げたのだから、彼女はゆっくりと休んで、幸せな毎日をどこかで過ごしてくれていれば、それで良い。
頭の片隅でそんな風に考えながら、アルカウスはいつものように馬車に荷物を積んで……
「おじさまーっ!」
とうとう、自分もボケたか、と。そう思ってしまった。
空を見上げて、アルカウスは絶句する。
聞き覚えのある声と共に、人生ではじめて目にするモンスターが、翼を広げて降りてくる。
鉄よりも硬い鱗。剣よりも鋭い牙。鳥よりも風を掴む翼。
魔獣の頂点。モンスターの王。ドラゴンと呼ばれる伝説の存在が、一人の美女に足として使い倒されていた。
「おひさしぶりです! わたくし、リリアミラ・ギルデンスターン! お約束した通り、弟子入りに参りました!」
「お、おま、お前……それ、ドラゴ……」
「ええ! ドラゴンです! わたくし、おじさまのように馬をうまく扱える自信はないので……使えるものは使い倒そうと思いまして! とりあえずは、これを馬代わりに使って、おじさまの運び屋のお仕事を、お手伝いしながら学ばせていただこうかと!」
どこの世界に、馬の代わりに竜を使うバカがいるだろうか。現在進行系で、ここにいる。自分の目の前で、ニコニコと微笑んでいる。
アルカウスは、頬を引きつらせた。
勘弁してほしい。こちらはもう、腰の痛みで引退を考え始めている歳なのだ。危うく腰を抜かしそうになるような伝説の魔物を、ほいほい持ってこられても困る。
「お前さん、本気でそのドラゴン使って仕事やるつもりなのか……?」
「とんでもないです! この子だけで仕事ができるとは思っていません」
「ああ……よかった。そうだよな。普通に馬も使って……」
「ご心配なく! そのあたりは抜かりありませんわ! あと九匹躾けてあるので、今は上空で待機させております!」
アルカウスは、腰を抜かした。
ドラゴンが、十匹。
そもそも、数える単位は『匹』でいいのだろうか?
そんなどうでもいい疑問だけが浮かんでくる。
なんかもう、発想のスケールそのものが違った。
「おじさま!? 大丈夫ですか! おじさま!?」
お前のせいだ、お前の。
そう叫び返したかったが、腰に響くリスクを考えて、アルカウスは叫び返すのをやめた。
ただ、約束を守って自分を頼りに来てくれた彼女へ、静かに問いかける。
「……オレが教えられることなんて、たかが知れてるぞ?」
「大丈夫です! わたくし、自分で言うのもおかしいですが、聡明で賢い女ですので。おじさまから学んで、素晴らしい会社を作ってみせます。一を聞いて、十を知り、百を成してみせましょう!」
「ははっ……いいね。そりゃおもしれえ」
アルカウスはリリアミラのことを、生真面目な女だと思っていたが……どうやら違うらしい。
見誤っていた。リリアミラ・ギルデンスターンは、想像よりもずっと破天荒な女だった。
それで良いと、アルカウスは思う。常識に縛られた仕事を続けるよりも、その方がずっとずっと、おもしろい。
ドラゴンを、輸送に使う。
きっと、そんなイカれた空想を現実に変える天才が、世界を変えるのだ。
「そのでけえ図体を有効活用するには、港が欲しくなってくるな。そもそも、降りられる場所も限られているし……お前さん、会社を起こす資金はあるのか?」
「はい。それなりに貯め込んでおります!」
「なら、まずは資金上乗せして借金してでも、でけえ船買うぞ、船」
「船、ですか?」
「ああ。馬に馬車を引かせるのと同じだ。海ならある程度安全に着水できるし、既存の海運のノウハウも利用できる」
人類が、魔術を一つの技術として体系化してから、およそ千年。千年の時を掛けても、人類は空を飛行する技術を一般化できず、交通、輸送の手段として利用することは叶わなかった。
千年を変えるチャンスが、目の前にある。
おもしろい。年甲斐もなく、アルカウスは心の底からそう思った。
「よぉし。やるからには、でけえ会社にするぞ。しっかりついてこいよ、リリアミラ」
「はい! よろしくお願いいたします、社長!」
「ばぁか。これから、お前さんが社長になるんだよ」
歴史が変わる。
この日、世界にはじめて空輸という概念が誕生した。
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