とある死霊術師の追憶②

「さあ、いくぜ! ペガサス号!」

「羽もないのに名前が強気過ぎでは!?」


 結論から言えば、リリアミラはアルカウスによって布でぐるぐる巻きの簀巻きにされて、馬の背へ放り込まれた。座るための馬鞍どころか跨がるための場所すら用意されなかったので、本当にただの荷物扱いである。


「くっ、このわたくしに、こんな仕打ちを……!」

「わりぃな。まあ、文句はついてから言って……」

「正直興奮します」

「お前さんさては変態だな?」


 出発直後こそ、まだそんな軽口を叩き合う余裕があったが、しばらくすると口を開けば舌を噛みそうなほどに駆ける速度が上がった。

 アルカウス・グランツの馬の操り方は、素人のリリアミラの目から見ても、実に見事だった。

 パーティーには勇者も騎士もいるので、馬に乗ることそのものがめずらしいわけではない。基本的に後ろに乗せてもらうことが常であるシャナや、物理的に足が届かないムムはともかく、勇者とアリアは騎士学校に通っていたこともあって、人並み以上に馬を操ることができる。

 しかし、老人の手綱の握り方は、そもそもの年季が違った。己の手足のように操る、という使い古された表現がぴったり当てはまるほどに無駄がない。経験に裏打ちされ、長い時間をかけて磨き抜かれた技術。全速力に近いスピードが出ているはずなのに、決して力んでいるわけではなく、馬がのびのびと走っているのが伝わってくるようである。

 半日で間に合わせてみせる、と。そう大口を叩くアルカウスに対して、シャナは半信半疑の目を向けていたが、実際に彼の馬に乗ってみて、リリアミラは理解した。あれは本当に、ただ可能である事実を述べていただけだったのだ。

 結果として、日の入り前に出発したアルカウスとリリアミラは、日の出前に目的地に到着した。


「よぅし。着いた着いた。さぁ、待たせたなねーちゃん。降りてくれ」

「すごいですわね」

「ん?」

「正直、半日以上は絶対に掛かると思っておりました」


 リリアミラの素直な感想に、老人は片眉をあげた。


「そりゃ仕事だからな。できるって言ったことを嘘にはしねえよ。信用に関わる」


 それに、と。

 アルカウスはここまでがんばってくれた馬の首筋を撫でながら、言葉を付け加える。


「美女からの褒め言葉はありがたく頂戴するが、オレがすごいわけじゃねえ。ペガサス号が良い馬なだけだ」

「すいませんそのネーミングセンスだけどうにかなりませんか?」


 どんなに仕事ができてもすべてが完璧な人間はいないのだなぁ……とリリアミラは実感した。


「にしても、聞いていたよりもひでえな」


 そう呟いて、アルカウスは周囲を見回す。怪我人が運び込まれてくる拠点には医療魔導師達の怒号が飛び交っており、既に息絶えたものとして端に寄せられている死体も、かなりの数だった。


「今更聞くことじゃないけどよ。本当にこれ、お前さんの魔法でなんとかなるのか?」

「ええ、もちろん。なんとかいたします」

「ほお、言い切るねえ」

「無論です」


 自分を、ここまで運んでくれた。

 自分に、彼らを助けるチャンスをくれた運び屋に向けて、リリアミラは力強く宣言する。


「それが今のわたくしの仕事ですから」


 そこから先は、正しくリリアミラの魔法の独壇場であった。

 魔力という有限のリソースを用いる治癒魔術と異なり、心を元とする魔法は魔力切れを気にする必要はない。故に『紫魂落魄エド・モラド』という蘇生魔法には『四秒間触れなければならない』というような制限はあっても、限界は存在しない。

 触れた側から、死人が人間に戻る。

 土気色だった顔に、生気が戻っていく。淡々と、続々と息を吹き返していく人々。その非常識な光景に、一介の運び屋に過ぎない老人は、ただ感嘆するしかなかった。


「……オレぁ、結構長いこと生きてきたけどよ。人間って本当に生き返るんだな……はじめて知ったぜ」

「ふふ。わたくしの手にかかれば、こんなものです」


 引き攣った笑顔を浮かべるアルカウスに向けて、ほぼ全員の蘇生を終えたリリアミラは、得意気な表情で胸を張った。


「お前さん、本当にすげー魔法使いだったんだな」

「失礼ですわね。わたくしのことをなんだと思っていたんですか?」

「元魔王軍四天王のこわいねーちゃん」

「……まあ、その通りですが」


 少しだけ口ごもったリリアミラを横目で見ながら、アルカウスは指先を鳴らしてタバコに火を点けた。ふぅ、と吐き出した煙が、ゆったりと宙に舞う。


「あの……あまりゆっくりしている暇はないのでは?」

「まあ、落ち着けよ。お前さんの仕事が、オレの予想よりも早かったからな。あの賢者の嬢ちゃんに約束した時間には、十分に間に合う。ちょいと一服しても罰は当たらんだろ」

「ですが……」

「なにより、せっかくの美人の顔色が悪い。帰りの乗り心地も保証はできんからな。少しでもいいから休め」


 それは、無骨な気遣いだった。

 老いぼれの言葉は、素直に聞くもんだ、と。

 そこまで言われては、もう頷くしかない。リリアミラは、老人の隣に腰を落ち着けた。


「わたくしにも一本いただけますか?」

「なんだ。吸うのか?」

「はい。少し嗜む程度ですが」

「あんまり上等なタバコじゃねえから、お嬢さんの口には合わないかもしれんがね」

「構いませんわ。嗜好品の好き嫌いはしない主義なので」

「そりゃよかった」


 懐から差し出されたタバコを受け取る。先ほどと同じように指先が軽く鳴って、リリアミラが咥えたタバコに、小さな火が灯った。

 吐き出した紫煙が、二つ。重なって、見上げた空に溶けていく。

 親子よりも歳の離れた二人が、並んで一服をする。それは少し、不思議な時間だった。


「おじさまは、いつから運び屋のお仕事を?」

「かれこれ四十年くらいだな」

「まあ。だからあんなに、馬の扱いがお上手なのですね」

「こんなジジイをおだてても、何も出せねえぞ?」

「いえ、本当に感服いたしました。おじさまがわたくしを運んでくださらなかったら、この戦場のみなさんを助けることを、諦めるしかありませんでしたから」


 リリアミラの魔法は、どんな死体でも蘇生できる。逆に言えば、基本的には死体がなければ蘇生はできない。

 戦線が崩壊し、遺体が魔獣の餌にでもなってしまっていたら、こんなにも多くの命を救うことはできなかった。

 アルカウス・グランツという運び屋が偶然居合わせてくれなければ、リリアミラは自分の責任を果たすことができなかっただろう。


「生真面目だねえ、お前さん」

「……そうでしょうか?」

「そりゃあそうだろうよ。顔も人柄も知らん連中の命を助けるために、ろくな報酬も貰わず、必死こいて自分の魔法を使い潰す。そんな人間は、よほど馬鹿な博愛主義者か、罪の意識に押し潰されそうになってるヤツだけだ」


 食んだ煙が、苦く感じる。

 あの時、酒場で言われたことを思い出す。


 ──勇者と一緒に世界を救えば! てめえの罪を償えるとでも思ってんのか!?


 たった一言で。

 リリアミラの心の深い部分を突いてきたのは、老人の年の功というべきなのだろうか。


「……わたくしが、どれだけ多くの人の命を救ったところで。それだけで、今までやってきたことを、償えるとは思っていません」


 今日出会ったばかりの、他人。

 仕事を依頼しただけの、その場限りの付き合い。

 しかし、そんな薄い間柄だからこそ、言えることもある。

 煙と一緒に、抱えていたものを、リリアミラは吐き出した。


「そうさなぁ……人間、一度やったことはそう簡単になかったことにはならんよ。お前さんが何を思って人類の敵をやっていたのかは知らんし、何があって今、また人間の味方に戻ってくれたのか。そのあたりの事情が、気にならないと言えば嘘になるがね」


 言葉を区切り、煙を吐いて、


「だがまぁ、正直。一緒にとしては、どうでもいいな」


 老人に、そう言い切られて。

 リリアミラは、目を丸くした。

 タバコの先が、ぽろりと地面に落ちて消える。


「どうでもいい、ですか?」

「ああ。どうでもいい」

「あの……今、なんか、おじさまがわたくしを慰めてくれる流れだったと思うのですが」

「なんだ? 慰めてほしいのか。オレの仕事はお前さんを運ぶことだけだからなぁ。やさしい言葉が欲しいなら、この先は有料の追加サービスになる。高いぞ?」

「なっ……!」


 頬を赤らめるリリアミラを見下ろして、アルカウスはタバコを咥えたまま意地悪く笑った。

 それは、そういう笑い方を知っている、長い年月を生きてきた人間ならではの微笑みだった。


「ようやっと年頃の娘らしい顔になったな。それでいいんだよ。お前さん、大人びた美人なんだからよ。そういう顔してた方が可愛げがあるぞ」

「……おじさまに口説かれたくありません! 」

「わっはっは。オレもカミさんに怒られたくねぇからな。口説く気はねえよ」

「まったく……もっと仕事人のようなおじさまだと思っていましたのに。とんだプレイボーイですわね」

「なんだぁ? オレのことそんな風に見てたのか? わりぃが、オレはそんなご立派な人間じゃねえよ。逆に聞いてみるがね。お前さん、なんでオレがこの仕事を続けてると思う?」

「……お馬さんが好きだから、とか?」

「違う違う」


 首を傾げてとりあえず言ってみたリリアミラに対して、アルカウスはざっくばらんにタバコを持ってない腕を振って否定した。


「オレが毎日汗水垂らして働くのは、趣味を楽しむためだ」

「趣味、ですか?」

「ギャンブル。賭け事。あとゲーム」

「え、えぇ……」


 リリアミラはなんとも言えない表情で身を引いた。

 とてもじゃないが、四十年手綱を握り、己の手足のように馬を操るプロフェッショナルの口から出てきたものとは思えない言葉だった。

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