とある死霊術師の追憶①
それはまだ、勇者が魔王を倒す前のこと。
彼がまだ、仲間たちの名前をはっきりと呼べた頃。
「ミラさんって世界救ったあと何するの?」
「え? 死にます」
もう少し付け加えるなら、彼が、自分のことを愛称で呼んでくれるようになった頃の話である。
「そうだけどそうじゃない!」
リリアミラの即答に、勇者は目を剥いて反論した。
「え? でも、魔王様を倒したら、勇者さまはわたくしを真っ先に殺してくださるのでしょう?」
「ああ、いや、うん、まあ……それは、そうなんだけど。でもほら、なんていうか。多分、おれはミラさんのことをすぐには殺せないと思うんだよね」
ぽりぽりと、頬をかく横顔が、苦笑いを浮かべる。
「ていうか、魔王を殺す算段がついても、ミラさんを殺せるイメージが湧かないっていうか……」
「あらあらあら。それは困りましたわね」
その日の夜は二人っきりで、周囲には誰もいなくて。
なので、誰かにその行為を見られる心配はなかった。
「ミラさん」
「はい」
彼に促されて、リリアミラは自発的に服を脱いだ。月明かりに照らされる生まれたままの姿のリリアミラを、彼はどこまでも冷めた目で一瞥して、息をするように引き抜いた剣で、その首を切断した。
血が噴き出す。地面に鮮血が落ちる。
そして、四秒。すぐに生き返ったリリアミラを見下ろす溜息は深い。
人の成長は早いな、と。息を吹き返したリリアミラは思う。
出会った頃は小生意気だった少年の顔は、いつの間にか男らしさを感じる青年のそれに変わっていた。
「……やっぱり、だめだなぁ」
「ええ。やっぱり、だめですわねぇ」
そう言って、二人でくすくすと笑って。
見上げる勇者の顔に、影が落ちる。
「……まだ、魔法が足りない」
「またそんなことを仰って」
駄々を捏ねる子どもを、諭すように。リリアミラは、彼の頭をそっと撫でた。
勇者が今、所持している魔法の数は十七。
きっと、まだ増えるだろう。これからも、彼は名前と魔法を奪い続けて、もっともっと、その黒の色を深くするはずだ。
「一体、どこまで強くなるおつもりですか?」
「どこまででも」
リリアミラの肩に服を被せて、勇者は笑った。
「ミラさんを殺せるようになるまで」
ぞくり、と。リリアミラは、体を這うようなその興奮を、彼に悟られないように、そっと押し留めた。
勇者の目的は、魔王を倒すこと。
魔王を殺して世界を救うために、彼はこんなにも強くなった。
けれど、自分を殺すという目標は、魔王を殺し、世界を救ったその後、その先にある。
それは捉え方を変えれば、魔王よりも自分の方が……彼に強く想われているようで。
そんな些細なことが、リリアミラはとても嬉しかった。
「もしも、おれが世界を救えたらさ……」
「それ、俗に言う死亡フラグというやつでは?」
「べつに死亡フラグ立ててもいいでしょ。ミラさんがいれば死なないんだから」
「ふふっ。それはそうですわね」
混ぜっ返したリリアミラの発言をきれいに返して、勇者は改めて言う。
「ミラさんが死ぬ前にやりたいことがあるなら。殺す前に、おれはそれに付き合うよ」
「わたくしに未練が残らないように、ですか?」
「そう。未練が残らないように。殺したあと、ミラさんに化けて出られても困るからね」
「あらあら、うふふ……」
奇しくも、リリアミラ・ギルデンスターンに人生の転機が訪れたのは、そんなやりとりをした夜の、次の日だった。
リリアミラが魔王軍を寝返ったあと。人類と魔族のパワーバランスは、一気に塗り替わった。蘇生の魔法による戦力の再補充はもはや見込めず、元々数で劣る魔王軍側は、当然の如く防衛線を後退させていった。特に、不死の軍団、という絶望が覆ったことによる人類側の士気の向上はかなり大きく、各地で攻勢に転じる義勇軍の存在が、散見されるようになる。
「西部の戦線に大きな被害が出ています。死者の数は、既に千を超えたとのことです。リリアミラ様! どうか……どうかあなたの魔法で、我々にお力添えを!」
しかし、攻めに転じるということは、決して死者が減る、という意味ではない。過熱した戦場で、死者が増えるのはむしろ必然だった。
仲間の命を救うために。きっと必死になって、ここまで馬で駆けてきたのだろう。ボロボロの使者の姿を見て、リリアミラは目を細めた。
その想いには、応えたい。彼が救いたいと願う人々を、可能ならば救いたい。
だが、リリアミラの魔法は万能ではあっても、完璧ではなかった。
「……シャナ様」
「だめです。リリアミラさん」
ちらりと顔色を伺っただけだったが、リリアミラの隣に立って戦場を見渡す賢者は、ばっさりとその提案を切り捨てた。
「気持ちは理解できますが、ここからの西部の戦場までは馬を飛ばしても、片道で一日、往復二日は掛かります。前線に出ている勇者さんを呼び戻すことも難しいでしょう」
「以前お話していた、転送魔導陣というのは……?」
「まだ実用段階ではありませんし……そもそも、あちらの戦場に増やした私がいません。無理ですよ」
「では、わたくしをシャナ様の魔法で増やせば……」
「人を増やすのは危険だからできないと、前にお話したはずです」
「……」
どんなに腕が良い医者でも、一人では救える命の数に限界がある。
そういう意味では、触れれば生き返らせることができるリリアミラの魔法に、救う命の上限はない。
ただし、魔法を使えるリリアミラ・ギルデンスターンが一人しかいない以上、二つの戦場で同時に命を救うことはできなかった。
「一日で戻って来ればいいのか?」
故に、その男の提案は、リリアミラやシャナの思考の、間を突くようなものだった。
「あなた、誰です?」
「運び屋だ。立ち聞きしたことは謝ろう。が、聞いておいて知らんぷりもできなかったもんでな。オレには、アンタらみたいな大それた魔法はねぇが、そういう話なら力になれるかもしれねえ」
「……どういう意味ですか?」
「言葉通りの意味だよ、賢者サマ。オレの馬ならそこの死霊術師のねーちゃんを連れて、一日で戦場を往復できる」
歳はもう、六十を超えているだろうか。無造作な口髭に、結わえた長髪も抜けた銀色に染まっている。
が、その眼光は鋭く、紡ぐ言葉も力に満ちていた。
「必要な場所に、必要なもんを運ぶのが、運送屋の仕事だ」
灰褐色の瞳が、リリアミラの方を向く。
「どうだいねーちゃん。アンタ、オレの荷になって運ばれる気はあるかい?」
根拠はない。実績もない。できるかどうかもわからない。
そんな時、人を信じるきっかけを生むのは、芯のある態度と、震えない声音だ。
リリアミラは答えた。
「良いでしょう、運び屋のおじいさん。そこまで仰るのであれば、あなたに賭けてみます」
「おじいさんはやめてくれ。オレぁ、まだまだ元気に仕事してくつもりだからよ」
差し出されたのは、皮膚の固い、皺が刻まれた手。
「アルカウス・グランツだ。よろしくなねーちゃん」
「リリアミラ・ギルデンスターンです。丁重に運べとは言いません。最速でお願いいたします」
「おう。任せな」
日焼けした顔が、にっと若々しく笑う。
「死んでもアンタを送り届けてやるよ」
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