蒼穹は果てしなく
頭が固すぎる。
見事な意趣返しに、トリンキュロは堪らず微笑んだ。
たしかに、その通りだ。
魔法は、常識で考えるべきではない。常識で捉えるべきではない。
「仕方ないなぁ」
トリンキュロが愛する人の心は、もっと自由なものだ。
「『
イトは切り札の一枚を切った。
故に、トリンキュロもまた、次のカードに指を伸ばす。
「──カラーイミテーション」
単純な話である。
トリンキュロ・リムリリィのアニマイミテーションには、もう一段、上がある。
「散れ──『
奇妙な手応えに、イトは息を呑む。
今度は、頭を縦に、真っ二つにするはずだった。
しかし、たしかに直撃したはずの斬撃は、何故かトリンキュロの背後の地面に二つの傷跡を刻んで、無効化された。
魔法には、魔法を。
色魔法には、色魔法を。
『
魔法と、さらにその上にある……色魔法の模倣。
トリンキュロ・リムリリィが『色喰い』の異名で恐れられてきた、最大の理由。
「っ……!?」
驚愕が、入れ替わる。
斬ったはずなのに、斬れなかった。
それは『
「驚かないでよ」
飄々と、声が響く。
「同じ色魔法だろ? なら、色魔法で防げない道理はない」
驚愕が入れ替わったように。
攻防も、また入れ替わる。
「呑み込め──『
咀嚼するような、歪な音だった。
無造作に転がる椅子、破損して動かないスロットマシーン、赤いカーペットが敷かれた床。
それら、身の回りにある全てを、呑み込むように噛み砕いて、細かく整形して、トリンキュロは切断された体の部位を補填する。
「その蒼の魔法。攻撃は大したものだね。でも、防御はどうかな?」
補填するだけに、留まらず。
連鎖するように繋がっていく腕は、太く長く、トリンキュロの小さな身の丈を遥かに超えて、まるで一匹の蛇のような、巨腕と化す。
一振りすれば、イトだけでなく、その背後にいるシャナやアリアたちをまとめて吹き飛ばすであろう、巨人の腕。当然、その腕には、イトの『
「……一つ聞いていい?」
「何かな?」
「色魔法、なんで最初から使わなかったの?」
「おもしろくないから」
剣士の問いに、悪魔は即答する。
トリンキュロ・リムリリィは戦いにおいて圧倒を好まない。
相手の心を理解するために……心の色を見るためには、対話が必要だ。
故に、トリンキュロ・リムリリィの戦いは、常に後の先をいく。
心を見て、心を圧し折り、心を砕き、心を喰む。
その先に垣間見える絶望に、真なる心の模倣があるからこそ。
「おかげで、キミの魔法が、見えてきたよ。目で捉えて、刀で触れて、魔法で斬る。そういう仕掛けだ」
イト・ユリシーズは、理解する。
数多の心を理解し、無数の魔法を使い潰す。
キャンパスの上で、絵具をごちゃまぜにするような、理不尽な暴力の嵐。
「見えてきたから……ここからは、同じ色の魔法で、圧倒させてもらうね」
トリンキュロ・リムリリィは、勇者と同じだ。
この四天王の悪魔を斬るということは……かつて最強を誇った黒輝の勇者を、超えるということ。
迫り来る、継ぎ接ぎの巨腕。
斬撃の迎撃は、先程のように防がれる。
応じる手が、ない。
その直撃を、イトは受けるしかなかった。
◆
イト・ユリシーズには、戦う理由がもうない。
昔は、世界を救う勇者になりたかった。
魔王を殺して、自分に名前と体を残してくれた、姉の仇を討つ。けれど、そんなどす黒い目標は、ただ純粋に「世界を救いたい」と語る後輩の言葉に、呑み込まれて消えてしまった。
本当は、彼と一緒に戦いたかった。でも、彼が選んだのは自分ではなく、アリア・リナージュ・アイアラスというお姫様だった。
アリアは、選ばれた。
イトは、選ばれなかった。
それが答えだ。
彼という勇者が、世界を救うために必要としたのは、褪せた蒼色ではなく、鮮やかな紅色だった。
その事実に、心を蝕まれなかったと言えば、嘘になる。
──わたしもすぐに偉くなって助けに行ってあげるから、待っててね
──はい、イト先輩
取り繕って、そんなことを言ってみても。
本当は、子どものように駄々を捏ねたかった。
──わたしも一緒に行く
あるいは、本心のままに、叫びたかった。
──アリアじゃなくて、わたしを選んで
なんて。そんなこと、言えるわけがないのに。
世界を救う彼の旅路には、ついて行くことができなかったから。
だからせめて、少しでも彼の強さに追いつけるように、強くなろうと思った。
事実、彼は魔王を殺し、世界を救い、姉の仇を討ってくれた。
そして、勇者になって帰ってきた後輩は、もうイトの名前を呼ぶことができなくなっていた。
寂しい。
そう口にすることすら、できなかった。
選ばれなかった自分には……彼の側にいることすらできなかった自分には、そんな言葉を表に出す資格すらない。
だからせめて、幸せにしてあげたいと思った。
彼の目は、もう彼が大好きだった人たちの名を読むことができない。
彼の耳は、もう彼が大好きだった人たちの名を聞くことができない。
彼の口は、もう彼が大好きだった人たちの名を紡ぐことができない。
勇者である彼が救った世界は、彼にとってなによりも残酷な世界に変わってしまった。
それでも、少しでも、彼が毎日を生きることに、幸せを感じられるように。
──わたしが絶対、キミを幸せにしてあげる
ふわふわと、うじうじと、ずるずると。彼との関係をはっきりさせない賢者や騎士や死霊術師と違って、イトはきちんと告白をしている。
そう。告白をしているのだ。
唇は、二回ほど奪ったし。
ちゃんと、求婚もしたし。
我ながら、かなりがんばってアプローチしていると思う。
それなのに、あのアホ勇者ときたら「すいません。ここは、逃げます。この埋め合わせは、いつか必ず」などとほざきながら、死霊術師の生首を持って逃げ出す始末。
なんだろう。
段々、怒りが込み上げてきた。
そもそも、きちんと態度をはっきりさせないから、あることないことをでっちあげられて、偽物の結婚報道をされるのだ。
というか、こんなところで、こんな強いヤツと戦って、死にかけているのも、彼が女と駆け落ちしたせいだ。
ありえない。こんなに良い女が求婚を迫ってるのに、のこのこと駆け落ちするなんて。
すぐに返事がないのは、まだ良い。合コンで遊ぶのも、許そう。しかし、彼の隣に、自分の知らない彼の一面を知る女が、訳知り顔で立っているのは、許せない。
──あなたの、蒼の魔法の一振りであっさり断たれるほど、わたくしの『
──おれが殺せなかったのに……先輩に殺せるわけがないでしょう?
腹が立つ、腹が立つ。
思い出しただけで、腹が立つ。
我ながら、可愛くない女だとは、思うけれど。
思い返しただけで、果てしない嫉妬が、海の底から湧き出るように止まらない。
イトの『
それはまるで、自分の愛の色が、あの下品な紫に劣っていることを、突きつけられたようで。
その明確な事実に、イトは思う。
もう、負けたくない。
もう、置いていかれたくない。
目の前に迫る濃厚な死を感じながら、イトは考える。
キスは、そこそこした。告白と求婚も済ませた。あとは何が必要だろう?
そういえば、色々と過程をふっ飛ばしたせいで、二人っきりのデートというものをやったことがない。
カフェに行って、あーんをやりたいし、されたい。
ソファに並んで腰掛けて、一日中だらだらしていたい。
膝枕は、してあげてもいいけど、できればされたい。
頭もそうだ。撫でてあげたいし、たくさん撫でてほしい。
こちらが歳上だから、いっぱい甘えてくるのは良いけど、甘えさせてほしくもある。このあたりのバランスが難しいところだ。
とても楽しい想像だった。
考えて、考えて、考えて。
イトは、思い至る。
この敵を斬れなかったら、彼と結婚できない。
それは、困る。すごく困る。
だから、なんとしてでも、斬らなければならない。
そして、この敵を斬るためには、同じ色魔法を断つ必要がある。
もっと強く。
もっと深く。
もっと果てしない、その先へ。
魔法は心。心は色。
己にとって、最も明確で、最も欲する、切断のイメージを、イトは考える。
そもそも『断絶』という自分の魔法は、あまりにも恋のイメージに向いていない。
だって、色々と不吉だ。
運命の赤い糸を断ってしまったら、洒落にならないし。
夫婦の縁を絶ってしまったら、笑い話にならないし。
でも、仕方ない。
これが、これだけが、今の自分の色なのだから。
迷いを切って、躊躇いを振り切って、その先に残った深い蒼が、イト・ユリシーズの愛の色。
だから、想像する。
もっと強く。
もっと深く。
告白と求婚の、その先へ。
◆
「そうか……ケーキ入刀だ」
聞き間違えかと、トリンキュロ・リムリリィはそう思った。
あるいは、目の前で剣を振るう女の頭が、おかしくなったのかと。そう考えた。
しかし、それは現実だった。
同化の特性を持つ『
「……ぇ?」
斬られて、しまった。
有り得ない。
四つの魔法に加えて、トリンキュロはその歪な義手に、イトの魔法を攻略するための、もう一つの色魔法を加えていた。
名は『
トリンキュロは『
事実、つい先ほどまでは、それで対処できていた。
今は違う。
断ち切られた。トリンキュロの『
「そんなに、驚かないでよ」
淡々と、声が響く。
「同じ色魔法でしょ? なら、色魔法で斬れない道理はない」
そんな理屈で納得できるわけがない。
この一瞬で、明らかにイトの『
「……何をしたのかな?」
「想像したんだよ。ワタシと勇者くんの結婚式を」
剣士は、悪魔に即答する。
何を言ってるんだろう、とトリンキュロは思った。
「ケーキ入刀は、はじめての共同作業。だから、斬れないものはないと思った。だから、実際に斬れた」
率直に、純粋に、意味がわからなかった。
「ありがとう。トリンキュロ・リムリリィ。ワタシは、まだまだ強くなれる。これから、式場を決めることにするよ」
イカれている、とトリンキュロは思った。
けれど、同時に、懐かしくも感じた。
強い魔法使いというのは、得てしてこういうものだ。支離滅裂な思考、決して塗り潰せない我の強い色合い。
果てしなく異常で、どこか狂っていて、常人には簡単に理解できない。
それは紛れもなく、勇者に成り得る……英雄の資質。
「一つ、聞いてもいいかい?」
「何かな?」
「おまえさぁ……勇者のこと、好きだろ?」
かつて、トリンキュロ・リムリリィが黒輝の勇者に感じたものに、限りなく近い心の色合いだった。
「うん。すごく大好き」
今、断絶する蒼の魔法は、進化する。
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