蒼穹の実力

 うっひょお……本物の魔王軍四天王じゃん。斬りてぇ……!

 

 要約すると、イト・ユリシーズの心境は、そんな感じの高揚に満ち満ちていた。

 無論、先輩として、負傷した様子の後輩への心配はある。騎士として、カジノの中にいる一般客の安全も気掛かりだ。

 しかし、そうした理性的な部分を差し引いてなお、魔王軍四天王第一位という、はじめて相対する明確な格上の敵への期待が、なお勝る。

 ゆったりと歩を前に進めつつ、イトはシャナに問いかけた。


「シャナちゃん。一応確認しておきたいんだけれども、アレ、本当に本物?」

「アリアさんをここまでズタボロにする敵が魔王軍四天王以外にいると思うなら、べつにアレが本物かどうか疑ってもいいんじゃないんですかね?」

「なるほどなるほど」


 持って回った、皮肉めいた言い様に、イトは苦笑する。

 とはいえ、賢者の口ぶりが普段と変わらないということは、いつも通りの仕事ができるということだ。

 事実、シャナの華奢な指先はドレスの裾に隠れて、イトに向けたハンドサインを送っていた。


『一般人、避難完了。周囲に、結界を敷設中。アリアの回復、およそ三分』


 トリンキュロに気づかれることを、嫌ってだろう。

 わかりやすく、的確な報告である。騎士用のハンドサインを素知らぬ顔で使いこなすあたりに、シャナの勤勉さが感じ取れて、イトは内心でくすりと笑った。

 前に出たイトは、背後に回した指を三本、立てて横に振ることで、シャナに応えた。


『了解。三分、稼ぐ』


「あなたには特別な眼がありますし、理解しているとは思いますが、一応忠告しておきます。アレは、強いですよ」

「うんうん。ご忠告痛み入るよ」


 こちらの注意喚起は口頭だった。トリンキュロにも聞こえても構わないからだろうか。

 でも、と。

 否定の言葉を接続に用いて、今度は表情に出すことで、イトは不敵に笑ってみせる。


「ちょうどよかった。この前も魔王軍四天王の第二位斬れなかったから、欲求不満だったんだよね」

「もしかして死霊術師さんのこと言ってます?」

「もしかしなくても死霊術師さんのこと言ってますよ」


 賢者と赤髪の少女のやりとりは、さらりと流す。

 イトは剣を構えた。


「へいへい、シャナちゃん。アレの情報ちょーだい」

「大まかにはご存知かと思いますが、勇者さんと同じく多数の魔法を使います」

「ほうほう。多数の魔法、ね……」

「何か考えが?」

「もちろん、ある」


 自信に満ちた表情で、言い切る。

 イト・ユリシーズの聡明な頭脳は、既に勝利への最適解を導き出している。


「アレの手持ちの魔法、全部斬って、本人も斬る」


 いや、これだめかもしれねぇな。

 脳筋の極みのような結論を出しているイトの背中を見ながら、シャナは「勇者さんはいないし、賢い自分がしっかりしないと」と、アリアの回復を急ぎ始めた。

 しかし当然、敵である四天王の第一位が、目の前で回復に専念する敵を待ってやる道理はない。

 トリンキュロ・リムリリィが、動き出す。


「とりあえず、アイアラスの魔法を貰おうかなぁ」


 今日は、あのお菓子が欲しいな、と。

 子どもが母親に、そんなおねだりをするように。

 たん、たん、たん。

 バレリーナがリズムを刻むが如く、地面を蹴るトリンキュロの足音が、消える。


「跳ねろ──『奸錬邪智イビルマル』」


 カジノという戦場に則った例えをするならば、それはまるでピンボールだった。手を触れる度、あるいは踏み込む度に、柔らかく変化させた壁面、天井。接触した箇所が『奸錬邪智イビルマル』によって、トリンキュロにとって最適なジャンプ台に変化する。

 それらを踏み込んで、小さな悪魔がアリアとシャナに向けて躍りかかる。

 常人には決して見切れないであろう、異常極まる高速の機動。


「おいおい」


 しかし、それを遮ったのは、冷めた視線の一瞥だった。

 左右で色の違う瞳が、トリンキュロを見る。


 ──見切られている。


 トリンキュロがそう気づいた時には、既に躊躇なく剣が差し入れられていた。


「こっち見ろよ、ロリっ子」


 まずは、右腕一本。

 振り抜いた斬撃が、染み入るように肉を裂く。少女らしい細腕が、肘の先から切り離されて宙を舞う。

 否、その斬撃は水を斬るよりも、なお滑らかだ。はじめて身で浴びる蒼の魔法に、トリンキュロは素直な驚嘆を口にした。


「素晴らしいね」

「どうも」

「その魔法も、ほしいなあ」

「あげないよ」


 シンプルに拒絶して、イトは二の太刀を振るう。

 勇者と相対した時。あるいは、赤髪の少女とはじめて出会った……武器をうっかり落としてしまった時。そうしたイレギュラーな事態を除いて、イト・ユリシーズの戦いに手加減という概念は存在しない。

 一刀で斬れば、全て終わるからだ。

 完全な、空中。いくら身を捻ったところで、トリンキュロがその斬撃を回避することは敵わない。

 無論、普通であれば。


「回れ──『蜂天画戟アピスビーネ』」


 常識を嗤い、魔法による奇跡すらも愚弄する。

 トリンキュロ・リムリリィは、そういう類いの魔法使いである。

 小柄な体躯が、ぐるりと回転した。

 同時に、普通の人間の人体構造であれば、絶対にあり得ない方向に曲がりくねった体が、斬撃の軌跡から逃れて、避ける。

 目を細め、イトはその異常を端的に評した。


「なるほど。身体もやわらかくできる、と」

「いいでしょ?」

「いや、キモいよ」


 回転と軟化。

 トリンキュロは、二つの魔法を組み合わせることで、イトの斬撃を回避した。

 先に攻撃に用いられた『蜂天画戟アピスビーネ』という魔法の本質は、回転運動の付与による破壊力の増加ではなく、任意のタイミングで自身に回転という概念を付与することによる……運動エネルギーの利用にある。

 絶対に切断される斬撃が迫りくるなら、対処はシンプルな方が好ましい。

 つまり、受けるのではなく、回避に徹する。

 体に任意の回転運動を付与し、同時にあり得ない形に折り曲げることで、斬撃をぎりぎりで避ける。

 発想、応用。トリンキュロの魔法の運用は、どれを取っても既に熟達の域に達している。


「魔法ってのはさ……やっぱこうやって、頭を回して、やわらかい想像で使わないとね」


 回避の後には、当然反撃がある。

 ぴん、と。

 トリンキュロの指先が、イトに向けて突きつけられる。

 まるで、銃口を向けるように。

 それは、照準のための動作だった。


「喰い破れ──『猪突猛真ファングヴァイン』」


 瞬間、背後から弾丸の如く飛来したトリンキュロの右腕を、イトは振り向き様に両断した。


「あっぶな……!」


 魔法の効果対象は、原則として、触れたものと自分自身。

 なるほど、たしかに。切断されていたとしても、それが自分の一部であることに変わりはない。

 普通の人間の魔法使いにはできない。自分の肉体を、パーツの一部として使い潰すことを前提にした戦い方だ。


「おおっ! やるね、お姉さん! これに反応するなんて」

「どうもどうも」


 トリンキュロの賞賛を、涼しい顔で受け取りつつ。

 しかしイトは、内心で舌を巻いていた。


(やばいなぁ……これ)


 ほんの数十秒、立ち会っただけで理解する。

 魔法の数が多いだけでなく、その一つ一つの練度が高い。本来、一人に一つであるはずの魔法を、理解し、使いこなし、併用し、組み合わせて使用してくる恐怖。

 魔王も倒した勇者が、殺し損ねているのも頷ける。

 しかし、逆に言えば。

 複数の魔法を応用して使いこなす……その対応力に、付け入る隙がある。

 じゃあ、次だ、と。新しいおもちゃを見せびらかすように、次の魔法をトリンキュロが繰り出す前に。

 イトは手持ちの切り札の一枚を切った。

 距離は、詰めない。一度は、納刀した刃。それを再び引き抜く……居合いの形で、鋭い切っ先が空を切る。

 振るわれたのは、横薙ぎの一閃。


「はあ?」


 距離に縛られぬ、両断。

 トリンキュロの口から、困惑に満ちた声が漏れ出した。

 左腕と左足。肩口から太腿にかけて。トリンキュロの左半身が、ただの一撃で破断される。

 イト・ユリシーズの斬撃は、全てを斬り裂くだけに留まらない。

 蒼の斬撃は、触れることで発動するという魔法の原則を、いとも容易く塗り替える。

 剣という武器の、間合いという常識すらも切り拓く、必殺の斬撃が炸裂する。


「いや、ちょ……!? ずるくない!?」


 それは、イトの攻撃に対して距離を取って回避に徹する……というアプローチを取っていたトリンキュロの意表を突くには、十分過ぎる一手だった。


「悪いね。でもさ」


 肉体の半分を欠損し、体勢が崩れ、動揺を隠せない四天王に向けて、イトは剣を振り翳す。


「触れなきゃ斬れないなんて、そんな常識でワタシの斬撃を推し量るのは……頭が固すぎるでしょ」

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