勇者の大脱走
ルナローゼ・グランツは、苛立っていた。
「サジに会えないとは、一体どういうことですか?」
「申し訳ありません。ルナローゼ様。サジタリウス様は、現在取り込み中でして」
カジノにクズでヒモの彼氏を迎えに来たら、無駄な足止めを食っている。
ルナローゼの現状を簡潔に説明するなら、そのような説明になってしまう。
我ながら最悪だ、と。ルナローゼは重い息を吐いた。
「取り込み中? サジが、私よりも別のものを優先するなんてあり得ません。サジに、私よりも大事なものもありません。私が来いと言えば、アレはすぐに必ず駆けつけます。とにかく、今すぐに私のところに戻ってくるように来るように伝えなさい」
「は、はい。承知しました」
ルナローゼの言葉と剣幕に、黒服はたじろいで頷く。
その主張はあまりも身勝手で乱暴で、我儘を極めた姫君のようだったが、しかしルナローゼという理知的な女性がそれを真顔で言うものだから、奇妙な説得力があった。
「ところで、さっきから妙に騒がしいようですが、何かあったのですか?」
問いかけに、黒服の肩がびくりと揺れる。
妙だな、と。ルナローゼは廊下の奥を見た。
警備を担当する黒服の数が妙に少ないだけでなく、普段はもっと賑わっているはずのカジノの客達も避難を促されるように誘導されている。サジがゲームをプレイをするのは、くだらないスロットの類いを除けば大抵はこのカジノの深い階層である。上層よりも隠し事が多いエリアとはいえ、張り詰めている空気の質が明らかにおかしい。
「じ、実は……地下のギャンブラーたちが、一斉に逃げ出したらしく……お恥ずかしい話なのですが、その対応に少々人員を割いておりまして。VIPのみなさまには、一時的に避難を願い出ているのです」
「……サジの魔法があるのに、ですか?」
人の命を奪うのを嫌う彼が、オーナーの意向に反して自分が負かした人間の命だけは助けていることを、ルナローゼはよく知っている。
「はい。先頭を切る二人の勢いが止まらず……恐れ入りますが、ルナローゼ様も安全のためにここは一旦避難を」
言葉は、最後まで続かなかった。
「いくぞお前らぁ! シャバは近いぞっ!」
黒服達が二人がかりで開く巨大な扉を片足で蹴り倒して、それが現れたからだ。
くすんだ赤い色の髪。強い意志の強さを感じさせる、前しか見ていない瞳。
そして、鍛え上げられた肉体と、辛うじて大切な場所を覆い隠す、下履きが一つ。
「はーはっはっは! 最高だよ親友! まさかまた、キミとこうしてバカ騒ぎができるとは! 実に心踊る! いやあ、昔を思い出すなあ! そう……思い返せばあの時も、ボクとキミは服を着ていなかった! あれは、冬のダンジョンで雪だるまを作っていた時のこと!」
「やかましい! 走るか回想するかどっちかにしろ!」
背後に続くギャンブラーたちの誰よりも速いにも関わらず、先頭を走る半裸の二人組には、軽口を叩きあうだけの余裕すら残されていて。
ルナローゼにとって最悪なことに。
響くその声は、聞き覚えしかない男のものだった。
「えっ?」
「あ」
そして、ルナローゼにとって、さらに不幸なことに。
半裸で廊下を疾走する彼は、ルナローゼの存在に気付いてしまった。
目が合った。一瞬の間。何かを迷うように、泳ぐ瞳。
そして、
「わっしょい!」
ルナローゼの元に全速力で駆けつけた半裸の勇者は、細い身体を俵のように肩に担いで、速度を落とさずそのまま逃走を再開した。
「きゃあああああ!? な、な、なにをするんですか!?」
「いや、ちょうどいいところに担ぎやすい女の子がいたものだから……つい、ね。わっしょい!」
わけのわからないことを言いながらも、駆ける速度は決して緩まない。
むしろ、加速して背後の黒服たちを突き放していく。
「むっ! 親友!? この大脱走の最中にナンパとは、ますます伊達男に磨きがかかったようだね!」
「アホ抜かせ。ちょっとした顔見知りだ」
「はじめまして。理知的で美しいお嬢さん。ボクの名前は、レオ・リーオナイン。今、あなたをやさしく担いでいる彼の親友です」
「自己紹介はあとにしろ!」
同じように隣を爆走する顔の良い男の口から、滑らかな自己紹介の言葉が紡がれる。
頭がおかしくなりそうだとルナローゼは思った。
それは王都を守護する第五騎士団長と同じ名前だったが、きっと何かの間違いに違いない。だって、こっちもパンツしか履いてないし。
「は、離しなさい! この変態!」
「おいおい、聞いたかよ、悪友。このお嬢さん、おれのことを変態って言ったぜ?」
「ど、どこからどう見ても変態でしょう!?」
「どう思う?」
「いいんじゃないかな? 大事なところは隠れてるし」
「だよな」
ルナローゼは、絶句した。
馬鹿と馬鹿が、並んで走ることは……こんなにも恐ろしいのか。
「な、なんなんですかあなたは!?」
この男はいつも、ルナローゼの理解から外れた行動しかしない。
仲間の首を躊躇いなく切って、持ち逃げし。
半裸のパンツ一丁で、嬉々として逃げ回り。
肩に女を抱えて、飄々と語る。
「え? なにって……勇者ですけど……」
知らないの?と。
いっそふてぶてしいほどの顔で、世界を救った勇者はそう答えて、笑った。
「ちょうどよかった、秘書子さん。あんたには、聞きたいことがたくさんあるんだ」
「まず服を着て止まりなさい!」
「え? お前、服ある?」
「ふっ……生憎、今は持ち合わせを切らしているよ」
「だそうです。ごめんね?」
「いやああああああああああああああああ!」
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