遊ぶ黄金

 ムム・ルセッタが育ての親である師父から教わったものは、三つある。

 一つ目は、武術の鍛錬。

 二つ目は、簡単な勉学。

 そして、三つ目は、


「ムム! 今日の鍛錬は休みだ! 遊ぶぞッ!」


 たくさん遊ぶこと。

 山から降りて街に行くたびに、師父は二人でできるボードゲームやカードゲームを調達してきては、一緒にやろうと誘ってきた。


「師父」

「なんだ!? ムム!」

「師父はどうして、遊べるものを、買ってきてくれるの?」

「そりゃあ、子どもは遊ぶのが仕事だからな」

「む。それは、心外。わたし、もう子どもじゃない」


 ムムは、遺憾の意を示すために頬を膨らませた。

 すでに、師父と出会って共に生活をするようになってから、十年ほどの月日が流れていた。見た目が変わらなくても、子ども扱いをされるのは少々不服である。

 しかし、師父はムムのまったく変わらない背丈を上から見下ろして、青い髪を拳で乱雑にぐりぐりと揺すった。


「がはは! そりゃ、わしの言い方が悪かったな! 子どもはよく遊ぶものだが、遊ぶのは子どもだけではない! 大人も、時には大いに遊びたくなるものなのだ! だから、今日はわしの遊びに付き合ってくれ!」

「……でも、遊ぶ時間を、鍛錬に使えば、もっと強くなれる」

「何を言うか! 鍛錬とは、ただ己の体を追い込めばいいというものではないぞ。追い込みすぎて体を壊してしまえば、元も子もない。特にお前は、まだ体ができていない。これから先も……もしかしたら、武術に適した体には成長せんかもしれん。適度な休息を取り、体を休めることも一つの鍛錬と心得ろ」


 師父の鍛錬は厳しかったが、決してムムに無理をさせるようなことはしなかった。


「人生において肝要なのは、切り替えだ。励む時は励み、遊ぶ時は遊び、寝る時は寝る! いいな、ムム!」

「ん。わかった」


 いつも通りの、平淡な声音の返事。

 しかし、それを聞いて、師父はにっと笑った。


「よぅし! ならば、今日は遊ぶぞ! 今回は、オセロというゲームを仕入れてきた! わしも街で少し遊んできたが、コイツはよくできておる! おもしろいぞ!」

「ルール教えて」

「おうとも! まずはこの白と黒の丸っこいやつを四つ並べてな……」


 熊よりも大きな男と、子鹿よりも小さな女の子が、地面に腰を落ち着けて、机を挟んで向かい合う。傍から見れば、滑稽に写る光景だろう。

 けれど、ムムは修行をしている時と同じくらい、この時間が好きだった。


「並べた。丸っこいやつも、色ごとに分けた。次は?」

「……」

「師父?」

「ああ、すまんな」


 対面に座る師父の表情には、鍛錬に励んでいる時とは違う優しさと。

 ほんの少しだけ、何かを心配するような色があった。


「よく遊べよ、ムム。人生は、楽しんでこそだ」

「うん。これからも、師父とたくさん遊ぶ」

「……がっはは! 同じ相手とばっかり遊んでいたら飽きるぞ!」

「そんなことない」


 二人で、たくさんのゲームをした。

 トランプ。オセロ。チェス。

 師父が寿命で死んでからは、一人で二人用のゲームをするようになった。

 なぜだろうか。

 己を鍛えることは一人でいくらでもできるのに。なのに、ゲームは一人でやっても、ちっともおもしろくない。

 三十年ほど一人で過ごして、ムムは師父の言葉の意味をようやく理解した。

 一人で遊ぶのは、つまらない。

 ゲームは、一人ではできない。

 よく遊べ、と。師父は言っていた。

 師父はきっと、これから先も長い時を生きる自分が独りぼっちにならないために、色々な遊びを教えてくれたのだ。

 あの人はいつも、大切なことをきちんと言葉にせずに、後から気付かせる。そういうところが少しズルいと、ムムは思った。

 ある日。最低限の生活必需品を買い込むために、ムムが山を降りて、街へ行ってみると。


「……あ」


 道端で、師父が教えてくれたオセロをやっている子どもたちがいた。ちょうど、ムムの外見と同じくらいの子どもだった。

 ちょっとだけ、迷った。

 でも、気が付いた時には、足が吸い寄せられていた。

 最初は、後ろから少し覗いていくつもりだった。だが、オセロで遊んでいた子どもたちは、すぐにムムに気がついた。


「なに? 混ぜてほしいの?」

「うん。よかったら、わたしにも……やらせてほしい」


 一緒にやりたい、遊びたい、と。

 たったそれだけのことを言うだけのに、すごく緊張して。

 だが、振り向いた男の子は、ムムのそんな心配を蹴飛ばすように、にかっと笑った。


「おう! いいぜ! この勝負が終わったらな!」

「ねえねえ! オセロのルール知ってる?」


 食いついてきた子どもたちに、ムムは表情を緩めた。


「……もちろん、わかる。わたしは、そのゲームを三十年前からやってる」

「うそつけ! お前、オレより身長低いだろ!」

「ほんと。勝って、証明する」


 百年。二百年。三百年。

 ルールが変わることもあった。流行り廃りもあった。いつの間にか、消えていったゲームもあった。

 けれど、どんなに時が流れようとも。

 おもしろい遊戯は、常に人々の傍らにあって、人と人をたしかに繋いでいた。



 ◆



 一瞬のことだった。

 サジタリウスが二枚のカードを伏せた瞬間に、師匠は動いた。

 目にも止まらぬ早さでカードが捲られ、表になる。

 一枚は、スペードのK。

 そして、もう一枚もダイヤのKだった。


「え……?」


 思わず、間抜けな声が、漏れる。

 だって、そんなことは有り得ない。

 師匠は初手で、のだ。


「ちょ……師匠それ、ルール違反じゃ……」

「なんで?」

「いや、なんでって……」

「わたしは、、とは聞いてない」


 子どもっぽいかわいらしい声の、力強い宣言。

 それを聞いて、サジタリウスの整った横顔が、たしかに歪んだ。


「二枚とも、きんぐ。だから、二枚ともわたしが貰う」


 淡々と。

 師匠は二枚のカードを自分の手元に引き寄せる。

 普通にターンを進行していたら、あり得ない。二点分のアドバンテージ。

 そう。師匠に言われて、ようやく気がついた。

 あの悪魔は最初のルール説明の時に『伏せられたカードの中で、最も数字が高いと思ったカードを選択し、表に開く』としか説明していない。場に伏せられたカードが同じ数字なら、それが最も数字の高いカード。師匠の例えに沿って言うなら、両手に石を握り込んで「どっちに入ってる?」と、問いかけるようなひっかけ問題だった。


「……ククク。最初にからかってやるつもりが、すべて見抜かれていたとはな。いつから気づいていた?」

「先に五枚のカードを獲得した方の勝ち。このルールなら、先攻が絶対に有利。でも、お前はコイントスもじゃんけんもせずに、わたしに先攻を譲ってくれた」


 それはつまり、サジタリウスにとって、先攻を譲るメリットがあったということだ。

 例えば、初心者が陥りがちなルールの穴を利用して、出花を挫いたり、とか。


「お前は、ルールで嘘は吐いていないと、思った。ゲームが好きだからこそ、ゲームには誠実であるタイプ。でも、だからといって正直者でもない。だから、ルールの範囲内で、嵌めてくると思った」

「見抜いていて、わざとオレの誘いにのった、と?」

「うん。その方が、おもしろいと思った」 


 サジタリウスの視線が、変わる。

 瞳の中に、明確な興味の色が浮かぶ。


「ククク……フフフ……だとしても、だ。なぜ初手から二枚、オレが同じ数字を伏せると思った?」


 小さな手を広げて、師匠は悪魔を指さした。




「顔に書いてあった」




「……あ?」


 とても、簡単な答えだった。

 魔法を使ったわけではない。

 言葉を交わして、駆け引きを仕掛けたわけでもない。

 ただ、悪魔の表情を一瞥しただけ。


「わたしは、千年生きてる。相手の考えてることなんて、表情を見れば、すべてわかる」


 たったそれだけで、必要十分。自分にとっては、伏せられたカードを見抜くのに多すぎるほどの情報だと。

 師匠は淡々と、そう告げていた。

 これまで、一切の余裕を崩してこなかった悪魔が絶句したのは、おれの目にも明らかだった。

 盤上の遊戯に絶対の自信を持ち、己の舞台としてきた最上級悪魔にとって、その言葉がどれほどの屈辱であるかなんて……二人の駆け引きがわからないおれには、もう欠片も想像できない。


「……これは、困った。どうやらオレはもう、笑っている場合ではないらしい」

「そう? ゲームは、楽しむもの。もっと、肩の力を抜いたほうが良い」


 覚悟を決めた悪魔に対して、師匠はやはり淡々と言う。

 拳を構えるように、気楽に。

 拳を構える時よりも、少しだけ純粋に……楽しそうに。


「さあ、もっと遊ぼう」


 黄金の武闘家の指先は、盤上においても、その一手を間違えない。

 勘違いされがちだが、おれの師匠はただ厳しいだけの人ではない。

 その可愛らしい見た目通り……とてもよく遊ぶ人である。

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