師匠の小さな嫉妬
勘違いされがちだが、おれの師匠はただ厳しいだけの人ではない。
師匠の鍛錬は過酷を極める。が、弟子には体を酷使するような鍛錬は絶対にやらせない。無理をして体を壊すのは、逆に成長への遠回りであることを知っているからだろう。
なので、息抜きは大切にするし、気ままにふらふらと何処かに行くし、突然よくわからないお土産を買って帰ってきたりする。
人よりも年を食っているだけあって、人生の楽しみ方を心得ている。なんだかんだで、師匠は優しい人である。
「それで、勇者は死霊術師と結婚するの?」
ただし、怒っている時のお仕置きに関しては、その限りではない。
「しませんしません誤解です師匠」
遮断された結界の中から、じとぉー、と。
全身にへばりつくような視線を向けてきた師匠に対して、おれは千切れそうなほどに首を横に振った。師匠をあまり知らない人から見れば、その表情はいつもとあまり変わらない無表情に見えるだろう。だが、付き合いの長いおれにはわかる。今の師匠は、すごく機嫌が悪い。
助けてもらうためには、なんとか誤解を解いてご機嫌を取らなければならない。
「でも、ひろった新聞記事に、勇者が死霊術師と結婚するって書いてあった」
「誤報です誤報! 死霊術師さんの会社のゴタゴタに巻き込まれて、こんなことになっちゃったんです!」
「じゃあ、悪いのは全部、死霊術師?」
「そうです!」
わりぃ。死霊術師さん。おれの代わりに死んでくれ。
「ふむ。なら、仕方ないか」
「そうです。仕方ないんです。ところで、師匠はどうしてここに?」
誤解も解けて、死霊術師さんに全面的に責任を擦り付けたところで、話を逸らす目的も兼ねて話題をふる。
師匠は、こてんと首を傾げた。
「勇者が、駆け落ちしたって記事見た」
「はい」
「探しに行こうと、思った。でも、ちょうど手持ちのお金があんまりなかった。ハゲに借りようと思ったけど、ちょうど仕事を受けてて、近くにいなかった」
「なるほど?」
「だから、カジノで旅費を稼ぎに来た」
「なんでだよ」
だめだこの師匠。悠久の時を生きているくせに、生き方が刹那的過ぎる。
「最近のリリンベラは、きびしくなった。昔は、わたしくらいの歳の子どもも遊ばせてくれたのに、ガキはカジノに入れないって、言われた」
「それはそうでしょうね」
「だから、こっそり潜り込んで、スロットやってた」
「だめでしょ師匠がスロットやったら」
師匠の鍛え上げられた動体視力と静止の魔法である『
「スロット、楽しかった。しばらく遊んでたら、お金持ちっぽいひげのおじさんに、きみかわいいねお菓子あげるよ、って声かけられた」
「犯罪の匂いしかしない」
「お腹空いてたし、ついていった」
「だめでしょ知らない人についていったら」
子どもか?
いや、師匠の見た目は明らかに子どもだけれども。
「びっぷるーむに案内されて、ご飯と洋服もただで貰ってきた」
「あ。だから今日はそんなかわいい感じの格好なんですね」
今日の師匠はいつもの道着ではなく、レモンイエローを基調とした、あどけない雰囲気の子ども用ドレスに身を包んでいた。スカートは長すぎず短すぎない膝くらいの丈で、ふんだんにリボンやフリルがあしらわれている。ロリコン金持ち不審者野郎の性癖なんて欠片も賞賛したくはないが、ドレスそのものはとてもよく似合っていた。
「どう、勇者。かわいい?」
「はい。よくお似合いです」
「うむ。苦しゅうない」
「ちなみに、服とご飯をもらったあとはどうしたんですか?」
「胸を揉まれそうになったから、壁を殴り壊して逃げてきた」
「師匠の胸を?」
「何か、不思議?」
「いえ、何も」
きっとこの世に無いものを追い求めようとする金持ちおじさんだったのだろう。
「でも、黒服の警備員に追われた」
「壁壊したらそうでしょうね」
「だから、適当に壁壊して逃げてたら、死なないばにーがーるが地下で暴れてるって話が聞こえた」
「暴れてるのはどっちかって言えば師匠ですけどね」
「多分絶対、死霊術師だと思って、殴りに来た」
「なるほど」
「殴れて、すっきりした」
よかったね。
「ところで、勇者」
「なんです?」
「その筋肉だけど」
「お、師匠もわかります? 実は最近ちょっと鍛え直してて……」
「上半身に比べて、下半身の強化が、甘い。トレーニングはバランスが命。見かけでわかったとわかる外側の筋肉よりも、内側の筋肉を大事にするべき」
「っ……! わかりました。参考になります、師匠!」
「うむ」
「ククク……そろそろルール説明していい?」
おれが師匠直伝のアドバイスに身を正したところで。
背後でずっとほったらかしになっていたサジタリウスが、少し悲しそうに呟いた。
「あ、ごめん。忘れてたわ」
「フフ……忘れるな。泣くぞ」
泣くなよ。男だろうが。いや、男である前に、こいつはそもそも悪魔か。
「気をつけてください。師匠。そいつ、ゲームの腕だけは本物です。あと、カスでヒモの女の敵です」
「散々な言われ様だな。しかし勇者よ、安心しろ。オレの好みはメガネが似合う理知的で賢そうで少し性格がキツそうなお姉さんタイプだ。そんなロリに興味はない」
「あ? 師匠はどこに出しても恥ずかしくないくらいかわいいだろ! ぶち倒すぞ!」
「フフ……めんどくさい男」
サジタリウスが椅子を手で示すと、師匠はちょこんとその椅子に腰掛けた。かわいい。
「トランプが得意、と言っていたな? 幼女よ」
「うん」
「では、トランプを使ったシンプルなゲームを三種類、用意しよう。レディとはいえ、手加減はしない。二本先取の三本勝負だ。異論は?」
「ない」
「良し」
サジタリウスの腕が、52枚のカードをテーブルの上に広げる。
「最初のゲームは『ハイ・エンド・ロー』。これは、簡単に言ってしまえば、二択のゲームだ。まずは五十二枚の山札をシャッフルし、互いに十枚を引く」
手慣れた手付きで、シャッフルとカットを行う悪魔の指先に、無駄はない。十枚のカードを配り終え、片手で手札を構える姿も、堂に入ったギャンブラーそのものだ。
対する師匠は、配られた十枚のカードを小さな両手で掴み取り、しげしげと眺めている。かわいい。
「このゲームは攻撃側と防御側にわかれる。レディファーストだ。先攻はそちらに譲ろう」
「ありがとう」
「ククク……お礼がちゃんと言える良い子のようだな」
「おいてめぇ、なに師匠口説いてんだ。はり倒すぞ」
「フフ……もう黙ってろ半裸勇者」
おれに向かってとんでもない暴言を吐きながら、サジタリウスはゲームの基本ルールの説明を続ける。
「防御側は手札の中から二枚のカードを選び、裏側で場に伏せる。そして、攻撃側は伏せられたカードの中で、最も数字が高いと思ったカードを選択し、表に開く。当てることができれば、そのカードを獲得。当てることができなければ、失敗だ。攻撃側はカードを獲得できずに、捨場に送られる」
やばい。すでにルールがちょっとよくわからなくなってきた。
「両手を握って、石がどっちに入ってるか当てるゲーム?」
「ククク……そうそう。そんな感じ」
な、なんてわかりやすい……!
師匠はやっぱりすごい。馬鹿なおれでもわかるように、めちゃくちゃシンプルな要約をしてくれる。流石と言うしかない。一生付いていきたい……。
「これらのワンセット……攻撃と防御を交互に繰り返し、相手よりも先にカードを五枚獲得した方が勝ちだ」
「わかった」
「質問は?」
「ない」
師匠が即答する。
え? 質問ないのか? もっといろいろ聞くこととかあるんじゃ?
おれ、まだわからないこと結構あるんだけど……もしかして、おれの理解力がないだけ!?
「では、はじめよう。まずはオレが、カードを二枚伏せる」
叩きつけるように。小気味良い音を鳴らして、サジタリウスが最初の二枚を場にセットする。
「ククク……それでは、最初の駆け引きと洒落込もうか。カードを選んでもらおう」
「うん。わかった」
そして、師匠の小さな右手が動いた。
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